『名古屋妖怪三十六景』より ㉛㉜

『名古屋妖怪三十六景』より ㉛㉜

㉛お助け妖怪「西行橋」
出現場所:稲置街道 杉ノ宮神社付近(名古屋市北区)


 戦前、名古屋市北区の清水小学校北には西行川が流れ、稲置街道と交わるところに架かる橋を西行橋、別名捨橋と呼んだそうだ。この橋に赤ん坊を一度捨てて後で拾うと子供は丈夫に育つという言い伝えがあったからだ。僕が子供のころ住んでいた家からこの橋まで数百メートルで、勿論山田家の跡取り息子であった僕は捨橋っ子であった。そのことを何かの折に御袋から聞かされたことがある。
 
 川はあの世とこの世の境界にあり桃太郎話も一寸法師話も川が登場する。ここで棄てられ拾われることはそれによってこの世への登場となるのだろうか。この話、「児拾川」として古事記に由来することから来ているらしい。秀吉の子の幼名も「棄丸(すてまる)」や「ひろい」というから同じような発想で付けられたのであろう。
 
 西行川、西行橋の名は、西行が大仏の建立費用調達のため奥州藤原氏の所に行く時に、昔の我が家の前を南北に走る稲置街道を通り、この橋を渡ったことに由来したのかもしれない。小牧山にも西行法師が歌を詠んだあとがあるとか。西行はあの日本三代怨霊の一つである崇徳天皇の霊を鎮めるため四国の巡礼も行っている。崇徳天皇は隠岐に配流された恨みで自分の血で写経をし、それを都へ送ったり、怒りで自分の舌を食いちぎったりしている。まあ妖怪もどきの人間だ。西行は崇徳天皇の霊を鎮めたように、この地を通過するときもその霊力を残していったような気がする。

西行橋の橋げた
 西行橋は先の大戦時、米軍の2回の爆撃で木の部分は燃えて無くなってしまったが、橋桁は石が使われていたので焼け残り、近くの杉ノ宮神社にその大きな橋桁の石が残っているというので尋ねてみた。
写真右:空襲で燃え残った2本の橋桁のうちの1本(もう1本は氏子総代の水野さん宅にあるという)
 氏子総代の水野淳一さんに会うことができた。彼は僕と同年でこの地で生まれたというから戦前、どこかで会っているかもしれない。彼の家は疎開をしなかったので、敵機来襲の折、焼夷弾が降り注ぐ中、逃げまくったそうだ。今でもその恐怖は夢にまで出てくると語ってくれた。だが、不思議なことに西行橋は焼けたのにそこから100m程先にあった彼の家のあたりは焼け残ったという。生き残れたのは西行のご利益に預かったからかも知れない。

 今回の妖怪画には、西行橋の上に立つ西行を描いてみた。西行が抱く赤ん坊は水野さんかもしれない。池で魚釣りを楽しむカッパは僕が小さい頃あのあたりで見た亀からの連想だ。


㉛お助け妖怪「西行橋」

お助け妖怪西行橋



㉜血の池半蔵蛙
出現場所:長久手「血の池公園」


 愛知県長久手周辺は妖怪多発地区である。秀吉と家康の「小牧・長久手の戦い」の激戦地となったところで、非業の死を遂げた武将やその家来たちの怨念が渦巻いているからだ。

 長久手合戦では家康は今の色金山公園に本陣を構え池田恒興、元助親子や森長可等、名だたる豊臣の武将を奇襲で討ち取っている。德川十六神将の一人である渡辺半蔵も山本勘助の嫡子勘蔵らを打ち取っている。勝利した家康軍の侍たちは家康の本陣から500m程西南にある池で、血のりの付いた槍や刀を洗った。そのためこの池は戦死者たちの血で赤く染まったという。その後戦いが終わった後も合戦のあった4月9日には池田や森らの怨念で池の水が赤く濁るといわれ、血の池と呼ばれるようになった。


血の池公園
 今は市が埋め立てて公園となっており、当時あった池はその跡地に血の池公園と名前の彫られた岩だけが残っている。
写真右:血の池公園
 草木におおわれた公園だから水はなくてもよく探すと赤い血に染まったカエルでもいるのではないか。昔からカエルは妖怪の変身した姿であると言われている。カエルは長い舌であっという間にハエなどを呑み込んでしまう。あまりの早さにカエルが妖術でハエを消したように見える。そのためか人々はカエルが人の精気も吸って呑み込んでしまうと恐れたという。そんなことからカエルは妖怪ということになったのではないか。都心にある我が家でも以前突然ガマカエルが庭に現れたことがあり、その後数日で消えている。妖怪が何かを訴えたかったのだろうか。

 半蔵はその後家康の9男義直、後の尾張藩初代藩主の家老となり大阪夏の陣では初陣をした義直の後見人ともなっている。
 
 今回の妖怪画の半蔵カエルは槍を持って、怨念妖怪となって表れる勘蔵等を見張っている。半蔵は槍の名手で家康に「槍の半蔵」の異名ももらっている。家紋が横一の上に丸が3個だからそれを耳のところに描き込んでみた。赤くなった水にナマズも驚いて飛び跳ねている。


㉜血の池半蔵蛙

血の池半蔵蛙

ランス美術展開催の旅

ランス美術展開催の旅

オペラ座近くで起きたISの5人殺傷事件の場所に前々日いた!
パリの店での詐欺とソウルの税関での騙し


 8日間のランス、パリ旅行の間、美術展以外でいろんな事件が起きた。様々な出来事をちょっと紹介させていただきたい。

テロ事件を知らせる新聞
 ①テレビや新聞でも報道されたが5月12日の17時頃、パリ中心部のオペラ座近くでISによるテロ事件が発生し1人が死亡4人が負傷する事件が起こった。犯人は駆けつけた警官に射殺されたが「神は偉大なり」と叫んでいたという。
写真右:テロ事件のニュースを伝える5月13日中日新聞

 実はこの2日前の同じ時間帯に、僕といとこで元校長の和一君は調子の悪い女性を伴いながらまさにその近くにいた。すると突然パトカーが4台繋がって走り、街角には20人程の警官が盾を持って待機していたので、僕は何事が起きたかと驚いた。その2日前のこの時間帯も仲間22人とオペラ座前で食事をしていた。

 日本へ帰ってすぐISのテロ事件のニュースを知り、あの時の事かと思ったが、事件が起きたのは僕等がいた二日後だった。場所は全く同じだ。ということは、テロリストの動きが僕等がいた時にもあり、それをいち早く察知した警察が部隊を出動させ、テロは未遂に終わったのかもしれない。似たような事件があの時も起こりかけていたのでは?と思われる。いつ我々が巻き込まれてもおかしくなかったわけだ。ニュースで聞くだけの遠いヨーロッパの事件が急に現実味を帯びてきた。常に注意を怠ってはいけない。

 ②さて何かあったのかなと思いながらも、僕等はオペラ座から凱旋門に向かって歩き出した。同行していた女性がトイレに行きたいといったからだ。コンコルド広場脇のモダンな2m平方の筒状の一人用自動トイレ(写真下)を見つけ、使っていた人が出てきたからすぐに入るよう彼女に促した。

パリの無料トイレ (300x213)
 その1分後、彼女がまだ用を足している最中にドアが自動で開いてしまった。驚いた彼女は立ち上がった。僕といとこはドアの前に立って隠そうとしたが、ドアは1メートル以上大きく開き、広すぎて隠せない。その後何かの誤作動か、よくわからないが扉が閉まり彼女はもう一度用を足そうとした。また1分後便器に座っているときドアが開き、また彼女は立ち上がる羽目となってしまった。
 これを3回繰り返した時、近くの人が教えてくれた。このトイレは使用後、一度閉まって1分間自動的に掃除され、又開く仕組みであるという。彼女は3回も清掃の時間帯に入ってしまい、1分後ごとにドアが開いてしまったのだ。まるでチャップリンの喜劇を見ているようだったが、若い子だったら恥ずかしさのあまりセーヌ川に飛び込んだかもしれない。

 ③モンマルトルでは、丘から下るとたくさんのお土産屋がある。大須の絵描きの馬場さんは気にいったワッペンを6個買った。これは僕も確認していた。ところがホテルへ来て調べたら5個しか入っていなかった。袋に入れる折、1枚をぬかれたのだ。勿論お金は6個分払っている。こんな詐欺、外国では日常茶飯事的だ。

写真下左:モンマルトルの丘、正面にサクレクール寺院が見える  右:観光客でにぎわうモンマルトルの丘を降りた商店街
モンマルトルの丘 モンマルトルの商店街

モンサンミッシェル
 ④モンサンミッシエルではこんなことがあった。メンバーの一人がカメラを落とした。それを拾ってくれた男性が、自分に返してくれると思ったら、そのまま持っていってしまったという。そのことを僕に告げたので追いかけようと思ってどんな人だったか尋ねたが、忘れたという。もうどうしょうもない。何をしても周囲の男性が助けてくれると思っている日本の女性は反省すべきだ。彼女、朝起きるとご主人が食事の準備を全てしていてくれるという。なんとそこに原因があったのか!
写真右:モンサンミッシェルに到着

モンサンミッシェルの教会の上から
写真左:モンサンミッシェルの教会の中庭から見降ろした干潮時の海
 この島の上から海を見ていて日本の未婚男性のために僕が思いついたことがある。同伴の女性がいて口説きたい時、島の入口にあるレストランでまずお茶でもして休憩し、そこのボーイに1万円程渡し、干上がった海辺に大きく「結婚してください、花子♡!」と書くように頼んでおく。レストランを出て山を上り山頂から何も知らない彼女に見せる。なんと広大な水の引いた海に自分の名が記されている!!!
 
 こうすればまずプロポーズは成功するのではないか。帰りにまたそこのレスランに寄って食事をし、ボーイにお礼を言えばいい。フランス人のボーイが日本語を書けない場合は、Je t’aime, Hanako!などフランス語で愛の告白の言葉を書くように頼めばいい。山頂で日本語に訳してあげれば相手はもっと感激するかもしれない。これと同じような僕のアイデアをNHKの中学生日記で使わせたことがある。

ランスのホテル
 ⑤ランスでは20人程しか泊まれない四つ星老舗高級ホテルに宿を取った。
写真右:ランスで僕等が泊まった四つ星老舗高級ホテル
食事も部屋の雰囲気も抜群で文句はなかった。ところが絵描きの2組の夫婦から苦情が入った。ベッドがダブルで困るというものだった。小さなホテルでは余分な部屋はない。ホテル側は夫婦ならダブルで文句がないだろうとして引き受けたのだ。夫婦のどちらかが本当に嫌だったとしても互いに遠慮してホテル側に申し出ない筈だ。日本の夫婦はどうなっているのか。

ホテル内部
 以前老後の本を友人の精神科女医と出すためスエーデンやデンマークへ取材旅行をしたことがある。そこで僕は街行く人にインタビューをしまくった。それによると夫婦者はほぼ全員がダブルベットで寝ていると答えた。ツインになったら離婚のシグナルであるという。どちらかが亡くなっても思い出のためベッドは死ぬまで同じものを使うとも言っていた。「いびきがやかましくないですか」の質問に「健康の証拠で聞こえなくなったらより心配だ」と言われたものだ。
写真左上:歴史を感じさせる老舗ホテルの内部

 日本人はどうだろうか。好きでなくてもお金のため別れないのだろうか。その日本の画家夫婦はやむなくダブルベッドで寝たが、翌朝、「妻に蹴飛ばされベッドから落ち、足がおかしくなった」と僕に旦那が告げにきた。奥さんに言わせると遠慮して端っこで寝ていた夫が勝手にベッドから落ちたとのこと。

 ⑥最後は帰りの韓国インチョン空港での事件だ。パリのドゴール空港の免税店でワインを購入した。チケットを見せたら税関がパスできる証明書を書いてくれ、僕はその証明書をワインのバッグの中に一緒に入れておいた。ところがインチョン空港では没収だと告げられた。パリでいいと言われたといっても全然応じない。昨年モスクワからの帰国時、同じようにウオッカを持ち込んだが、同じこのインチョン空港ですんなり通った。ウオッカは安いから取り上げても売れないからか、ロシアは怖いからだろうか。実はこの時、検査官が僕のワインバッグを一瞬奥の部屋に持って行った。その後パリの免税店で書いてもらった証明書が消えていた。それを言ったら検査官に「お前はドロボーだ」と言った事になり、警察に連行されかねないので抑えた。
 交渉を続ける僕に、メンバーの一人が「山田先生、そんなワイン1本で目くじら立てて恥ずかしい。辞めなさい」と怒鳴った。お金の問題ではない。僕は不正があってもしかたなく引き下がる日本人が多いことにいつも怒っている。すったもんだの末、僕は折れてもう一度航空会社のカウンターへ行くしかワインは守れないと諦めチェックカウンターへ行くと、そこでもアテンダントに木箱に入れないと受け付けないと拒絶された。「木の箱なんて持ってる筈がない」とここでも押し問答をしていると上司が出て来て段ボールとテープで僕のワインを縛り、にこにこして「送ります。お金はいりません」となった。何でも諦めずやってみるべきだ。

 以前教え子の野中君を連れて韓国へお寺の天井画を描きに行ったことがある。今回のように大韓航空のチェックカウンターで通行を拒否された。チケット購入の折、彼の名前を僕は書き間違えてしまった。パスポートとチケット名が違うのだ。完全にアウトと思ったが「僕の住む町内に韓国の総領事の家があり、その娘が僕に絵を習いに来ている」と話したらすんなりOKとなってしまった。これは本当の話で大人しくてかわいい子だった。何でも諦めずにやってみるべきであることを皆さんにも知ってほしい。外国ではお金持ち日本人はだめだと言えばすぐに従うと思っている。「金持ち喧嘩せずだよ」と事あるごとに僕を諭す財団の堀会長。彼のように数千億の財産でもあればそうするが・・





名古屋の姉妹都市ランスでの美術展開催

名古屋の姉妹都市ランスでの美術展開催

期間:2018年5月5日〜5月7日
場所:フランス ランス市立ギャラリー


世界遺産ランスノートルダム寺院
 昨年の名古屋市とフランスのランス市の姉妹都市提携に伴い、今年5月5日にはランス市でその記念式典が行われ、僕らはその式典に合わせ、ランス市提供の市ギャラリーで美術展を開催することになった。ランス市ギャラリーは、世界遺産であるノートルダム大聖堂から10mほど離れたところにある。
写真右:ランス市のノートルダム大聖堂、ここでかつてフランス国王の聖別戴冠式が行われた。

ランス市ギャラリーの前での僕
写真左:展覧会が開催されたランス市ギャラリーの前で














展覧会テープカット
 オープニングには河村市長やランス市長も加わりテープカットを行った。写真上:展覧会のテープカット 左から僕、河村市長、ランス市の代表者ら

 河村市長はこの席で、いつも焼酎で酔うと歌う十八番の「お袋さん」の歌を、僕らのメンバーでバイオリン奏者でもある鈴木洋子さんが弾く伴奏に合わせ披露してくれた。この美術展には僕以外20人程が作品展示をした。会場も素敵で係りの人も大変親切でランス市の気配りが感じられた。

 50年程前の名古屋市とメキシコシティーとの姉妹都市提携の折、名古屋の日展や二科の画家を中心に100人程が同じように展覧会をするため出かけた。だが今回は名古屋とランスの美術館同士がまず交流、提携し、その後市もそれに乗っかって姉妹都市提携をしたという経過がある。にもかかわらず、今のこの地の画家には以前のような活気がなく、結局僕の周辺の国際的に活躍するフリーの画家中心のメンバーによる参加になってしまった。

展覧会場風景 記念式典会場で河村市長とメンバーたち
写真上左:展覧会場風景    上右:記念式典の会場で河村市長を囲んで写真を撮るファンになったメンバーたち

 我々は記念式典にも招かれ式典後市長ともシャンパンを飲みながらの交流もおこなった。ランス市は高級シャンパンを生産するシャンパーニュ地方の中心地でもある。この折、わがメンバーのほぼ全てが河村市長のファンになったから僕は驚いている。彼のスピーチはフランクで、ランス市長の杓子定規な挨拶よりはるかに親しみがあり、またその立居振る舞いからは権力者の持つ傲慢さや、政治家によくある金権主義のいやらしさも感じられなかったから、皆さんは河村市長を好きになったようだ。

フジタ礼拝堂
 この街は、またあの藤田嗣治の礼拝堂があることでも有名だ。彼はフランスに帰化した後シャンパン企業家の後援を得てフジタ礼拝堂を建て、内部の壁全てにフレスコ画を描いた。藤田とその妻もここに葬られていて連日見学者が絶えない。
写真右:フジタ礼拝堂ランス市内にあり市の中心からバスで10分くらいで行ける


 ランスの後、我々はパリにも寄り、世界のパフォーマーが集まるポンピドーセンター前で、妖怪人形作家である宮本美代子さんや画家で大宰府の巫女の娘である倉掛京子さんを中心に、真っ赤な着物を着て妖怪踊りを披露した。日本から持ち込んだ妖怪人形が世界にお披露目された。

写真下左:ポンピドーセンター前でのパフォーマンスに向かう朝、宿泊したモンパルナスホテル前で集合
右:ポンピドーセンターへ向かう地下鉄の中で

モンパルナスホテル前 ポンピドーセンター前でのパフォーマンスに向かう地下鉄の中で
写真下:ポンピドーセンター前でパーフォマンスの打ちあわせ
パフォーマンス前の映合わせ

 名古屋人でこの場所でのパフォーマンスをやった者はこれまで誰もいないのではないかと思う。地元では威勢がいいが外ではからっきし弱くその実力もない芸術家が多いが、今後この名古屋が伸びるとすると、今回参加したようなメンバーによるところが多いのではないかと思っている。







『名古屋妖怪三十六景』より㉚

『名古屋妖怪三十六景』より㉚

㉚ 妖怪「白澤(はくたく)」
出現場所:北区辻町羊神社周辺


 名古屋市北区辻町に未(ひつじ)年だけ賑わう羊神社がある。僕の通っていた中学から近いのでこのあたりには詳しいと思っていたが、この羊神社の存在を僕は20年ほど前まで知らなかった。一度も同級生仲間たちの話題に上がったこともないし、勿論親や大人たちから聞いたこともない。すぐ近くに弟の嫁の実家もあるのに噂にも出なかった。

 羊神社の由来は、群馬県多胡群の領主「羊太夫」が、奈良の都へ上る時に立ち寄っていたゆかりの屋敷が、この地(名古屋市北区辻町)にあり、この土地の人々が平和に暮らせるようにという願いを込めて羊太夫が、火の神を祀ったといわれ、羊神社と呼ぶようになったとのこと。又ここを「住昔火辻村」と呼んだがそれが辻村→辻町に変わったようだ。延喜式神名帳に「尾張の国山田郡羊神社」と記されていることから1,000年以上の古社と思われる。明治5年、村社に指定されている。

 近年その年の干支の名がある神社を初詣に参拝する風潮が広まり、1980年頃からやっと未年だけ人がくるようになった。近くにある伊奴(イヌ)神社も同様だ。しかし参拝者が来るのは12年に一度。それも最近のことでそれ以前はどうやって存続させてきたのだろうか。伊奴神社は犬=安産の神様で参拝者を呼び込める。

北斎が描いた白澤 では羊神社は?僕が思うに、「白澤」(はくたく)と呼ばれる羊によく似た神獣を羊神社と結び付けたのではないか。白澤は古代中国の山海経に登場し、人語を解し万物に精通すると言われ、徳の高い為政者の治世に姿を現し世直しをすると同時に病魔除けもすると信じられていた。これなら人々はご利益があると参拝に来ただろう。白澤の絵は魔除けになるため江戸時代には道中の宿で、お守りとして枕元に置いて寝たという。北斎漫画の1冊の最後のページに、腹にいくつもの目があり背中にも角の生えた白澤が大きく描かれている。
写真右:白澤 北斎漫画より

 こんな白澤妖怪が羊神社に住み付き、住民を守り、この神社を生き永らえさせたのではないかと僕は想像し、「妖怪 白澤」描いてみた。僕の描いた白澤妖怪は元気でピンク色をしている。白澤のお尻の上には猿が乗っかっていて、来年は僕の出番だと待ち構えている。


㉚ 妖怪「白澤(はくたく)」

妖怪白澤

『名古屋妖怪三十六景』より ㉘㉙

『名古屋妖怪三十六景』より ㉘㉙

 これまで尾張徳川藩主の落ち延び街道沿いや、当時名古屋一の繁華街であった大須の妖怪を取り上げてきた。今回は八事興正寺付近をあぶり出したいと思う。ここ八事は徳川の本拠地、岡埼、駿河への最短コースで名古屋の南東の玄関と言っていい。辺りは丘陵地帯で水の便が悪く、稲作には適していないため住みづらいが、大きな寺社を作るには土地獲得がしやすく最適であったかもしれない。石も多く妖怪にもそれが反映している。1808年に建てられた五重塔は市内で唯一の五重塔で国の重要文化財でもある。

㉘妖怪「未来のぞき」
出現場所:八事興正寺付近


 高野山の末寺、八事興正寺は1688年、尾張徳川家2代藩主光友が建立した。その後ここはこの界隈の住民の憩いの場となり縁日には今でもにぎわっている。そんな人々の愛着がこの寺に「興正寺七不思議」なるお話を生み出したようだ。この寺をより面白くしようと僕のような者が江戸時代にもいて考え出したのであろう。

 その7つとは、金属音の出る九品仏、寺の東北奥にある大日如来堂の乳首のない仏像、珍しい干支廻りの宝塔、海の干満差に合わせ水量が変化する石碑。さらに雷が落ちない、神聖な境内のため蜘蛛の巣が張らないとあるが、この二つはどうも怪しい。蜘蛛の巣も張り、雷も落ちている。建立当初は立木も低く、草花や庭木の手入れが行き届き、雑草等が繁殖していなかったから蜘蛛も見られなかったのであろう。

姿見の閼伽井戸 
 最後が五重の塔の直ぐ西隣にある「姿見の閼伽(仏に供える聖水)井戸」で、この井戸を覗くと自分の未来が分かるという。
写真右:蓋をして見られなくなっている姿見の閼伽井戸
 井戸を覗けば勿論水面に自分が写る。その像が元気に映っていれば今後の人生は幸せで、弱々しく映れば今後何かトラブルが起こると言われる。興正寺の聖水となれば神秘性があり信じられやすい。これを考えた人には拍手喝さいを送りたい。神社で引くおみくじのようなもので誰でもが試したくなる。人間弱っていれば弱々しく見えるものだし、高齢で死が近くなれば目もボケて姿が見えにくくなる。ごく当たり前なことだが、人々はよく当たると思ってしまう。7不思議の創案者はこの井戸の使い方の面白さに気付き、他の6不思議を考案して付けたし興正寺での楽しさを増やしたのではないか。

 今は井戸も枯れ、竹の蓋で覆われ覗けないが、その代わりにお札事務所の前に30cm平方の小さな大理石の井戸を作り、蓋の真ん中にあけた直径5cmの覗き穴から参拝客にのぞかせている。しかしこの小さな穴からでは顔の一部しか見えないし、何よりも大理石では古井戸の風情がない。残念だ。

 僕が考えた「妖怪 未来のぞき」は顔が二つあり、一つは赤い元気な顔、もう一つは青く病気がちだ。元気な赤い方は井戸に映る閻魔もへっちゃら、青い方は井戸の中の仏様に助けを求めている。


㉘妖怪「未来のぞき」

妖怪未来のぞき


㉙「八事叩きのっぺら」
出現場所:興正寺内東北の一隅


 八事、興正寺の山門を過ぎ東北の小山へ200mほど登ると、見晴らしのいい、石仏群のエリアに入る。その道が十字路になったところのくの字の部分に4体と5体に分かれた九品仏の石仏(前述した七不思議の一つ)が安置されている。全ての顔が少しづつへこんで目鼻のないのっぺらぼうのようになりかかっている。その中で、右から2番目の石仏はのっぺらぼうどころか、お椀のように完全に内側に陥没している。この石仏の前には拳ほどの石が数個置いてある。どうもこの石で叩けということらしい。この石仏は石でできているのに石で叩くときれいな金属音がする。この異常なへこみ、数百年にわたって叩かれた結果なのだろう。

 目や鼻のないのっぺらぼう話は結構ある。恋川春町の黄草子、小泉八雲の怪談、古くは源氏物語の「手習」の文の中にも登場する。のっぺらぼうは皆、脅すだけで悪さはしないお化けだという。

孫が石で石像を叩く
 先日写真を撮るために孫二人を連れて、またここを訪れた。孫たちと叩いてみると、やはりきれいな澄んだ金属音がした。
写真右:石仏を石で叩く孫
 すると突然孫が、顔の部分がへこんだ石仏を見て「僕の顔が入るかな。入れたらいいことあるかな?」と言い出した。自分の顔がまだ小さいからだろうが、僕はこの面白い発言にびっくり。仏様は常に上から見下ろして人間に何かをかなえてやるという雰囲気なのに、仏様の顔に人間の顔をうずめるなんてものすごい発想だ。この合体で何かが起きれば、人面はめ込み妖怪といってもいい。信者が仏と同化するわけだ。仏様が凹で人が凸になる。どんなご利益があるのだろうか。

 待てよ。本当はこの石仏は、人間がここに顔をうずめて振り返ったらその顔をのっぺらぼうにしてしまう妖怪なのかもしれない。僕が顔を突っ込み、のっぺらぼうの顔を孫に見せたらどうなるだろうか。こんな悪戯のできる妖怪がいてもいい。そんなことを考えて今回は妖怪「八事叩きのっぺら」を描いてみた。


㉙「八事叩きのっぺら」

八事叩きのっぺら
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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