YOKAI (妖怪) in New York 第19話 イーストビレッジと高倉健

YOKAI (妖怪) in New York
第19話 イーストビレッジと高倉健

 マンハッタンのチャイナタウンすぐ右上(北東)にある、ここイーストビレッジには日本料理店が多い。居酒屋、ラーメン店、蕎麦屋等が揃い、日本人がホームシックにかかったらここに来れば治るという。たこ焼き屋やお好み焼き屋もある。ただし、海藻や鰹節、大根おろしのホットドッグを見るともう日本の発想を越えた日本になっている。
写真下:様々な日本風の店
屋台居酒屋 ラーメン屋
 

 僕が20年ほど前に来た折はそんなではなかった。黒人やヒスパニック系、少数の韓国系アメリカ人が住み着いている町だった。髪の毛を赤や青、黄色に染め、とさかのように髪をとがらせたパンク系あんちゃんがよく目についた。そういえば段ボールにくるまったホームレスも多かった。現在のイーストビレッジはすっかり変わっている。ここにもジェントリフィケーション(高級化)の波が押し寄せたのだ。

居酒屋「けんか」
 僕は2014年5月に美術展のためニューヨークを訪問したが、その時に知りあった現地で働く美術関係の日本人女性たちやその友達の画家たちが、僕が同年12月に再訪した折、上記したイーストビレッジにある日本式の居酒屋「けんか」(写真右)に連れて行ってくれたのだ。このあたりはまるで小さな日本人街という雰囲気であった。

この居酒屋「けんか」がすごかった。日本の居酒屋より日本臭(?)く、まるで日本の秘宝館(今では皆無に近い)内にある酒処といった感じで僕は度肝を抜かれたが感動もした。まるで1960年代の日本の猥雑なものをごった煮にしたようだ。裸の女性マネキンのヴィーナスの丘には真っ赤な天狗のお面がかぶせてあり、その横には裸の女性を寝かしその上に食べ物を盛って食べるという「女体盛り」の写真もあった。
写真下左:天狗の面を付けた女のマネキン  写真下右:女体盛りの写真
天狗の面を付けたマネキン 女体盛りの写真

店内のメニュー
また今の日本の居酒屋ではまず見られないメニューもあった。一緒に行った女性たちもこれに対する違和感はないらしく、よかったら注文してもいいような感じだった。ニューヨークのこの地はやはり日本を越えた日本になっていると思わされた。
写真左:びっくりするような名前のメニュー

高倉健の壁画
 そして正面にはなんと半裸の体にさらしを巻き、刀を構えた高倉健の2メートルに及ぶ大きな壁画もあった。
写真右:店内の壁面に描かれた高倉健の絵
 そう言えばこの居酒屋へ行った日は、高倉健が亡くなって丁度1か月後だった。僕は高倉健の画像と対面し、お酒を飲んでいる。亡くなってから49日以内でまだ喪が明けてないから彼の亡霊はまだこの世を彷徨っているはずだ。妖怪は僕を高倉健の亡霊と会わせようとしくんだのか。でもいったい何故、はるかニューヨークまで背後霊のように日本から付いてきて、僕と高倉健と会わせようとしたのか?

ブラックレイン
 僕はいろいろ考えてみた。高倉健とニューヨークはどう繋がるのか。高倉健といえば『網走番外地』等で知られる寡黙なやくざのイメージがあるが、それはあまりにもニューヨークとかけ離れている。強いて言えば映画『ブラックレイン』でニューヨークの刑事役をやるマイケル・ダグラスと共演しているという繋がりがあるがこれではまだ弱い。
写真左:「ブラックレイン」映画ポスター
幸福の黄色いハンカチ
 多くの日本人にとって彼の代表作としてすぐ浮かぶのは映画『幸福の黄色いハンカチ』(写真右)ではなかろうか。
倍賞千恵子が妻役をやり、黄色いハンカチを屋根にたなびかせ刑務所から出て来る夫を待つ、あの感動のシーンを我々は忘れない。僕はこの映画の原作が外国人によるものだとは全く知らなかった。何とこの映画の原作はニューヨークポスト紙の記者であるピート・ハミルで、著書の名は『ニューヨーク・スケッチブック』なのだ。妖怪はこれを僕に伝えたかったのかも。高倉健とニューヨークはこんなことでも繋がっているのだと。ニューヨークへ来てからこんな妖怪が演出したような出会いがいっぱいあった。

ハロウィンパレード
 ところで妖怪、お化けと言えば西欧ではハロウィンだ。ケルト人の1年の終り10月31日はあの世とこの世の境目が希薄になるといわれ、幽霊やお化けが一番復活しやすい日であるという。そのことからこの日にはマンハッタン中にお化けに仮装した人々が現れ、おおいに盛り上がる。その中でもここイーストビレッジはその中心で、ニューヨーク最大のハロウィンパレードもここで行われる。(写真左)入場料無料で思い思いの思考を凝らした仮想パーティになる。さらにそれを見に来る見物客で街は騒然となるとか。夜の10時近くまで続くパレードの後、イーストビレッジのナイトクラブで開催されるアフターパーティーは、その年誰が一番うまく仮装したかを競うコンテストがあり賞金5000ドルが贈られる。

 またイーストビレッジはかつてヒスパニック系の人々が多く住む街で反政府・反権力、麻薬そして暴動の街だったといわれている。1950年代からはビートニクの拠点となり、1960年代後半からは多くの学生、芸術家、音楽家、そしてヒッピーたちが住み着くようになった。こうして「ニューヨークのボヘミア」とも呼ばれ、自由奔放な若者やアーティストなどが多く居住する地区となった。ニューヨークのカウンターカルチャー運動の中心地として、様々なアート運動が起こり、抗議運動や暴動もこの地域でたびたび起こった。
 そんなわけで1990年代初頭までは治安も悪く、街の中心にあるトンプキンス・スクエアでは麻薬取引などが横行していた。僕が20年ほど前に訪れたのはそのような頃だった。90年代半ば頃からジェントリフィケーションにより、現在では若者向けのおしゃれな街に生まれ変わりつつある。しかしかつての面影は「人種の坩堝」的な面で残されており、セント・マークス・プレイスを中心とする地区西部には日本人経営によるレストランや商店も多く、マンハッタンの中でも最も日本人の多い地域のひとつと言われている。
 前述の「けんか」があるのはこの地区だ。しかも古い日本の形で残っている。ここに日本から来た妖怪が住み着いたとしても「けんか」の店内を見る限り何ら不思議はない。西洋のハロウィン妖怪もここにはいっぱいいる。「妖怪種の坩堝」と言ってもいいかもしれない。そこに亡霊妖怪としてやって来た健さんと僕は酒を酌み交わしたわけだ。




<ニューヨークの妖怪シリーズ>

 さて今回も上記の話に因んだ僕のオリジナル妖怪画を紹介したい。今回はマンハッタンイーストビレッジにある小さな日本人街に日本から出張して住み着いた妖怪をぐっとアメリカ風にアレンジして描いてみた。というのは冒頭に書いたように日本食が日本人の発想を越えた食べ物に変わっているからだ。

⑲ 『イーストビレッジの侍妖怪』
 イーストビレッジ侍妖怪

 イーストビレッジの日本人街には任侠根性が生きているようだ。高倉健も喪が明けるまでこのあたりにいたかもしれない。そこで彼の中に流れる古き良き時代の義理と人情をモチーフに侍風の妖怪にしてみた。しかしニューヨークへ渡った妖怪はかなりアメリカナイズされたようだ。伊達正宗の眼帯をアメリカ国旗にして、衣を骸骨バージョンに変えてみた。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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