スティ―ブ・ジョブズ驚異のイノベーション ジョブズならどうする?

ジョブズならどうする?
芸術が死んだ(喪の)時代を?


驚異のイノベーション
 今『スティ―ブ・ジョブズ驚異のイノベーション』(ジョブズならどうするか?)を読んでいる。先回のブログで現代は芸術(美術)が終わり喪に服している時代だと僕は書いた。そのことを思い出して、もしジョブズが芸術に携わっている者だったらどうするかと尋ねたくなった。例えば①彼が芸大の教授だったら、あるいは②美術館の館長だったら、この美術の喪の時代をどう切り開くか、ということをだ。勿論彼は芸術関係の人ではないし、もう亡くなってしまったから、ここはあくまでこの本を読んだ僕が、彼ならこんなふうに答えてくれるのではないかという思いを書くことにする。
写真右:『スティ―ブ・ジョブズ驚異のイノベーション』(ジョブズならどうするか?)

 ①ジョブズは仕事に行き詰まった折、オノ・ヨーコに自ら電話をかけたという。ということはヨーコの持つ芸術センスを信じているわけだ。ヨーコはジョン・レノンに自分のナフキンを送ったり、二人でベットインし記者会見をしたり、ステージに座り自分の着ている服をハサミで切り取り半裸婦状態になる行為等で知られている。芸大で教える絵なんてヨーコはやろうともしていない。芸術で食べていくのは非常に難しい。芸大生は多かれ少なかれそれを承知しているはずだ。「夢の現実に向けて人生を歩む人は3%にすぎない」とジョブズは言っている。ジョブズはその3%の中の偉大な1人だ。せっかく好きで選んだ道なら厳しくとも進んでほしい。そのためには既成概念にとらわれず常識を覆す発想で美術の世界を切り開いてほしいと持っていたはずだ。オノ・ヨーコに相談したのはそんな気持ちがあったからだろう。
ジョントヨ‐コのベッドイン
写真左:よく知られたオノ・ヨーコとジョン・レノンのベットイン 

 ちなみに僕が学生に言っていることは「現在は皆がやる気をなくしている。それでも美術館は無くならないし歴史も続く。絵を欲しがる人もなくなることはない。今こそあらゆる努力をして自分を切磋琢磨すべきだ。皆がやる気がないからこそ、やる気を出したものが目立ってくる」だ。これに加えて僕の授業は卒業してから食べていかれるようにTシャツ刷りのシルク版画や似顔絵等々即お金儲けにつながる授業も組み込んでいる。やりたいことが見つからない場合、当面食べていかれるようにするためだ。

 ②ジョブズが美術館の館長だったらどうするだろうか。現在の日本では多くの美術館が新しい作品は購入せず、印象派を中心とした作品を多額な費用を払い、外国から借り出して見せる展示館の役割を担っているのが現実だ。「驚かせてくれ。」「ハングリーであれ。分別臭くなるな!」と言いまくっているジョブズならどうするだろうか。彼の発想からすれば、もうキャンバスに絵を描くだけがアートと思ってはいない筈だ。「生きている行為の全てがアート」と思っている。芸術性の強弱はあるにせよ、全ての人間は芸術家と言ってもいいわけだ。ジョブズなら、全ての人を巻き込むような美術館、あるいは美術展示を考えるのではないだろうか。

 この発想で僕が考えたのは、次回の『愛知トリエンナーレ』を個人だけでなく企業も含め作品公募展にしたらどうかということだ。一人或は一企業それぞれに、美術館内外の5メートルぐらいの壁面、スペースを与え「ここにあなたたちのアートと思う行為をしなさい」と提案する。企業の持つ芸術性を拾うのだ。企業ならお金もあるし、ついでにお金の寄付もあるかも知れない。「そんなお金持ちの企業を巻き込むなんて、アートはお金儲けではありませんよ」とお叱りを受けるかもしれない。とんでもない。今はそのようなアートが終わったと言われる時代だ。このお金に窮している今、ひょっとして企業家がアーティストも兼ねる時代が来るかもしれない。
 
 こうすれば次回の『愛知トリエンナーレ』は間違いなく面白くなる。これを例えば『5メートル美術コンペ』と名付けて個人から企業、団体まで誰でも参加できるものとする。トヨタがどんな芸術作品を出すか、僕はものすごく興味がある。トヨタにとり開発で使われた才能を美術という別の形で表現することにもつながるし、いい宣伝にもなる。また会場のその横にはホームレス作家の作品が並ぶかも知れない。これはお金のかからないとんでもないアイデアの作品になることだってあり得る。「大好きなことをしろ。製品を売るな、夢を売れ。すごい体験をつくれ。メッセージの名人になれ」と言うジョブズの考え、上記のコンペの提案に全て合うのではないか。想定外の思考でなければ次なるアートは生まれない。うまくいけば愛知から次なるアートが生まれるかもしれない。
尾張富士石上げ祭り

 「山彊先生、次なるあなたのアート作品は考えているのですか」。僕はもう70年代に、アートは終わったと感じていた。60,70年代は、反体制文化、カウンターカルチャー全盛期だった。僕の美術作品も当然政治運動や社会運動とコラボしたものとなっていったが、そこに自分独自の美術感覚を打ち出したかった。そこで例えばお祭りの中にアートを入れようとしたりした。犬山方面に尾張富士という山があり、ここでは毎年8月の最初の日曜日に『石上げ祭り』なるお祭りが繰り広げられている。山岳信仰で地元の人々は毎年20人ぐらいがひと組になって大きな石を山頂に上げている。僕はこれに自分の美術作品である軽い偽石を創り参加をした。20人で担ぐ石を僕は一人で楽々と担ぎあげている。「てめー、フザケヤガッテ!」と言われ殴られるのも覚悟の上で参加した。「それがアートなんですか」という疑問を持つ人もいるだろう。僕自身、次なるアートを求めて模索していた時代だった。その他にもアートパフォーマンスと言われる行為を次から次へとやりまくっていた。翌年度の祭りのポスターに僕の写真が大きく取り上げられていたことから判断すると、結構喜ばれたのかもしれない。ジョブズはなんというだろうか?この種のパフォーマンスアートは全世界で行われ『行為に賭けるアート』(現代の美術第11巻、講談社)とし出版された。アート史の1ページとして歴史に残ってはいるが、その後のアートを大転換したとは言い難い。アートの歴史を変えるなんて大変なことだ。しかし生きている限り挑戦し続けることその行為もまた僕はアートと考えている。
石上げ祭りに参加した僕
写真上:尾張富士の石上げ祭り情景
写真下:偽石を背負い祭りに参加している僕(まだ髭を生やしていない)
 

※県美術館で12月6日~11日まで「SPACE SHOW」なる展覧会があり、ここでも新しいアートにつながらないかと願う作品を僕は出品しています。是非観てください。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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