YOKAI(妖怪) in New York 第18話 ニューヨークで化物になったダリ

YOKAI(妖怪) in New York
第18話 ニューヨークで化物になったダリ

静物 ダリ作 1924
 サルバドール・ダリ(1904~1989)は1933年、29歳になった折、初めてニューヨークで個展をしている。いったんはヨーロッパに帰るが、その後1940年に再びニューヨークへ来て以来、8年間もそこに居続けたくさんのパトロンを得ている。
 そしてこの2度目のニューヨーク滞在の頃から彼の作風が大きく変化していく。それまでのダリは、印象派から点描派、そしてキュービズム的表現といったヨーロッパの美術界の流行に乗った作品を描いていた。写真右:ダリ作『静物』1924年(キュービズム的表現の作品)

 その後ヨーロッパでシュールレアリスム運動が盛んになってくると彼もシュールレアリストのメンバーに加わり、映画監督のルイス・ブニュエルと組んで、有名な『アンダルシアの犬』を制作したりしている。しかし彼の突飛な行動が他の画家たちの反感をかい、グループから除名される。

幽霊と幻影 ダリ作 1934

 この後彼は渡米し、他にはみられない彼独自のシュールレアリスム風の絵に邁進していく。ダリがニューヨークで出会った、あるいは感じた何かが、彼をその方向に導いたのではないかと僕は思っている。
写真左:ダリ作『幽霊と幻影』1934年







ダンテ『神曲』挿絵より
 例えば、妖怪的なものを描くにしても、「ダンテの神曲」に出てくるような地獄の化け者とか魔女、狼男といったそれまでの一般的な絵によく見られるものではない。
写真右:ダンテの神曲『地獄篇』15世紀前半(キリスト教的悪魔)・・ダンテの神曲本より
ダリの場合、人物、又は生き物の体がとろけたり、また雲が生き物状になったり、頭が大きく垂れさがったり、人の体から木が生えてきたりと超自然的な恐怖や出来事を唯物論的にダリは描くようになっていく。

写真下:ダリ作『パラディオのタリア柱廊』1938年
パラディオのタリア柱廊 ダリ作 1938
 ダリがニューヨークに来るようになったころの米国における文学的恐怖の世界は、エドガー・アラン・ポ―の「黒猫」的作風から、以前に僕も取り上げたラブクラフトの怪奇風的世界に入っていた。ダリはこのような一連の雰囲気を肌で感じたか、ひょっとするとラブクラフトの本でも読んでいたのかもしれない。

 ここ新大陸は多くの人種が入り乱れ、それまでのヨーロッパの価値観とは違う雰囲気、土壌を生みだしていた。宗教、道徳的な縛りから解き放たれ、ダリは新しい世界を肌で感じ、空気を吸い、新しい作品を描くことができるようになっていたといえる。前回のブログでも書いたビートニク運動の既成の価値観を破壊する運動が華やかなりし頃のアメリカの空気に、ダリも多いに影響されたことだろう。それまで抑圧されていたダリの感情の蓋が、ここニューヨークで吹っ飛んだのだ。

 裕福な公証人の息子として生まれたダリは17歳から通ったマドリッドの国立美術学校では絶えず騒動を引きおこし、投獄され、ついには退学にさせられている。若い頃から古い因習に囲い込まれた人間世界の縛りに我慢ができなかったのだろう。
 様々な奇行で知られるダリは妖怪に近い人間だったと僕は思う。というのも彼は人前で足を見せたり、触られたりすることを極端に嫌がったという。それ故、まともに靴が買えなかったそうだ。

 実は妖怪の足に関する話は多い。足は妖怪のアキレス腱かもしれない。だからダリは足を人前で出すのを嫌がったのではないか。日本の妖怪で「あしなめ」というのがいる。背後から忍びより、かかとの方から大きな舌でペロペロなめられると病気になってしまうとか。また「本所の7不思議」の一つは夜になると旗本屋敷の天井裏から「足をなめよ」という大声が聞こえたりするという。「てけてけ」という足のない女の妖怪は足に絡みつたりと、こんな足に関する妖怪話は、日本にわんさとある。

 足に関する話でみなさんが一番ご存知なのは大阪の2代目通天閣にあり、大阪のシンボルにもなっている「ビリケン」ではなかろうか。とがった頭とつりあがた目が特徴で子供の姿をしている。このビリケンのご機嫌をとるのは足の裏をなでることだといわれている。撫ぜて喜んでいるように見えたらいいことがあるそうだ。

写真下左:大阪2代目通天閣にあるビリケン(足の裏をなでるといいことがあるといわれている)
写真下右:アメリカセントルイス大学のマスコット像のビリケン

通天閣の2代目ビリケン セントルイス大学のビリケン像
このビリケン、実はアメリカ産でセントルイス大学のマスコットであるという。これは1908年にアメリカの芸術家フローレンス・プリッツが作ったもので、日本へは1911年に大阪の豪商が伝え、自分の店の商標にしてしまったとのことだ。

ガラの足 ダリ作 1975
 話が色々飛んだが、ダリと足→足といえばビリケン→ビリケンの生まれ故郷はアメリカ→ダリはアメリカでシュールレアリスム作品を多く生み出し、その作品と行動は妖怪的になった。ということで何か奇妙なつながりが感じられる。
写真右:ダリ作『ガラ(妻)の足』(ダリが妻にふざけている?)1975年
 アメリカ滞在以降のダリは作品のみならず行動も破天荒で人間の常識を越えたものになっていく。2メートルに及ぶコッペパンを焼かせニューヨークの5番街を歩いたり、パリ、ソルボンヌ大学の講演では白いロールスロイスに花キャベツを満載にしてやって来たり、ブルドーザーでミシンを押しつぶして版画にしてみたり、潜水服を着て講演に現れ酸欠で倒れたりと妖怪顔負けの行為を繰り返している。やはり人間を越えようとした妖怪と言ってもいいだろう。話は飛ぶがダリとあのジョンとヨーコは知りあいで一緒に食事までしているのだ。やはり妖怪的な者同士気が合うのだろう。


<ニューヨークの妖怪シリーズ>

 さて今回も上記の話に因んだ僕のオリジナル妖怪画を紹介したい。今回はダリも妖怪の仲間になってもらった。飴で固めたトレードマークの髭が有名なダリをマンガチックな妖怪にしてみた。

⑱ 『ニューヨーク ダリ妖怪』

ニューヨークダリ妖怪

 ダリはニューヨークへ来て妖怪に蘇った。ダリの顔からは髭にあわせてひとだまのようなものが飛び出し、中にはアメリカ国旗に変わっているものもある。頭上にはエンパイアステートビル、クライスラービル、アイアンビルなどが生えてきている。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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