YOKAI (妖怪) in New York 第15話 恐怖怪奇小説の元祖、ラブクラフト

YOKAI (妖怪) in New York
第15話 恐怖怪奇小説の元祖、ラブクラフト(1890~1937)

ラブクラフト
 僕が名古屋芸術大学で教えていた頃、学生がキャンバスのすぐわきに積み上げていた本を見て魔術と恐怖怪奇小説の創始者であるラブクラフトを知った。
写真右:ラブクラフト
 怪奇小説の元祖といえば、アメリカではまずエドガー・アラン・ポーの名が上がるだろう。ラブクラフトは確かにポーに傾倒しその影響を受けたが、彼の生みだしたこの世のものとは思えない妖怪たちは、新しい怪奇小説が出現したと言っても過言ではない。
 「芸術は終わった」と終焉が語られるようになった現代の絵画界においては、このホラー的思考の怪奇アートこそが、閉塞したアートからの一つの脱出口のように学生達には見えるのだろうと感じたものだ。積んである本の脇に立てかけられているキャンバスには、おぞましい内容の油絵が中途半端な色塗りになって放置されていた。この絵は日本の北斎や国芳の系統を感じさせるといったものではなく、かと言ってドラキュラや魔女風でもない。吸盤があったり羽があったりとまるで地中からか、宇宙から出現したようなおぞましい異形の化物群が描かれていた。これらの絵のアイデアを美学生らは積まれているラブクラフトの本から得ているようだった。

マンハッタンとレッドフック
 ラブクラフトは35歳の折「レッドフックの恐怖」という本を書き上げている。レッドフックはブルックリンの南の果てにある街の名前で、かつてはヨーロッパから新大陸へやって来た密航者のたまり場であり、犯罪の巣窟でもあった。
写真左:マンハッタン(地図の中央上)とブルックリンレッドフック(右下)
 1776年、アメリカ独立戦争の折の「ブルックリンの戦い」でワシントンはイギリス軍に敗れイーストリバーを追えてマンハッタン方面へ逃げ帰っている。その折、主戦場となったレッドフック近辺の死傷者数はそれまでの独立戦争中の緒戦の中で最も多かったといわれている。レッドフックにはその数えきれない亡霊が漂っているといえる。だから町の雰囲気は暗く重々しいものになっていたようだ。

レッドフックの海岸
 ラブクラフトはそのレッドフックの街をテーマとして選び、小説にしている。
写真右:レッドフックの海岸
 彼はその前年34歳の時に7歳年上のバツイチ女性ソーニャと結婚してここに住んだが、翌年には早くも別居している。レッドフックの貧しいアパートに住み、すさんだ気持ちでこの土地の雰囲気にどっぷり浸かりながらこの本を書いたと思われる。
 物語はこの貧民街の住民たちの間に悪魔崇拝が広まっているという想定で始まる。近くでは幼児の誘拐事件が頻発化している。どうもこれを仕切っているのはこの土地に住む大富豪だった隠遁者であろうといわれている。その彼は新婚旅行の最中、豪華客船で怪死を遂げる。彼の遺体は突然現れた得体のしれない船に引き取られることになった。その後その遺体は、こっそりレッドフックの地下トンネルに持ち込まれ、安置された。そこでは悪魔(サタン)たちによる遺体蘇生の儀式が執り行われていた。甦った彼の遺体は何故か自分を蘇生させてくれたサタンに逆らい、サタンの王座をひっくり返し破壊してしまう。するとその地下トンネルをはじめとして、地上の建物やその遺体も瞬時に消滅してしまう。この土地は悪魔すら生きられないおぞましい所という印象を読者に与える。

 次の年、36歳の時に書いたもう一点もこのレッドフックをテーマにしたと思われる『冷気』という物語である。これはこの街の古びたビルの上階に住む住民である博士の話だ。部屋には常にエアコンが稼働しクレゾールのにおいが充満していた。あるとき冷房用のエアコンが切れてしまった。そして博士との連絡が付かなくなった。家主がドアを開けて入ると、そこにいたのは18年前に死んだ博士の亡骸だった。この街は死人が住むに適した町といいたいのだろうか。ラブクラフトにとってここは決して住み心地がよかったとは思われない。事実彼はその後生まれ故郷のプロヴィデンスに一時期戻っている。しかし彼の小説を読むと彼の魂はこの荒れ果てた街に共鳴していたとも感じられる。

 ラブクラフトを最初に日本へ紹介したのは江戸川乱歩で、推理小説誌の『宝石』誌上だった。
江戸川乱歩 夢野久作
写真左:江戸川乱歩  写真右:ラブクラフトに似て面長の顔をした夢野久作
日本怪奇幻想文学の黄金期を出現させた夢野久作や江戸川乱歩、横溝正史たちとラブクラフトがほぼ同時代の生まれだったこと、怪奇幻想文学の隆盛が日米ほとんど同時期だったことは非常に興味深い。

 現在のレッドフックの町は若い芸術家たちのアトリエやロブスターの専門店が多くなっている。ここに住む芸術家の多くは名芸の美学生のように妖怪画を描きまくり、妖怪に似た形のロブスターを食べている?かどうかも調べてきたいと思っている。
 レッドフックは現代の若者に広がる新しい妖怪の震源地といえる。そしてその創始者はラブクラフトと言っていいだろう。そんなつもりでこの地域を歩いてみれば妖怪たちのメッセージに気付くかもしれない。妖怪たちはきっと何か彼らの存在を示すものを残しているはずだ。

尼ケ坂のあるマンションの表記
名古屋の妖怪銀座である尼ケ坂にも妖怪の行為ではないかと伺われる物件がある。ここに少し怖そうなマンションが立っている。その古いマンションのセメントで作られたマンションの表記には『マンション』と書かず『マンショーン』となっている。妖怪が書かせたのに相違ない。

写真右:尼ケ坂のマンショーン


<ニューヨークの妖怪シリーズ>

 さて今回も上記の話に因んだ僕のオリジナル妖怪画を紹介したい。今回は作家ラブクラフトそのものが妖怪のような存在だと感じてズバリ『妖怪 ラブクラフト』を描いてみた。

⑮ 『妖怪 ラブクラフト』
 
妖怪ラブクラフト
 新しい恐怖と幻想怪奇の世界を創り出した作家。感受性が人一倍強かった彼は幼少期に夜な夜な悪夢に悩まされ、それらの夢をもとに彼独特の怪奇小説を創作した。父母とも精神を犯されて亡くなっており、彼の精神世界に大きな影響を与えている。
 長い顔が特徴的で、その点でも夢野久作との類似点が指摘されている。その他二人の共通点はいろいろあり、夢野久作の生没年は1989~1936年で生も死もラブクラフトの1年前だ。勿論二人とも怪奇幻想小説を書き、知る人ぞ知る特異な作家だ。
 これまでは比較的シンプルな妖怪を描いてきたが、今回は複雑に増殖する目や口が体のあちこちから伸びているラブクラフトを描いてみた。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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