台湾美術視察旅行を終えて

台湾美術視察旅行を終えて

 来年の秋11月に、台湾との芸術交流として美術展を行おうと考えているので、その視察のために台湾へ行き、戻ったところだ。台湾で美術展を行うとしたら、今年(2014年)の5月に開催したニューヨークの美術展のようなレベルの高い作家だけでなく色々な人も加え、お祭り的な交流をしたいと考えている。

教室のようなロフト内部 会場は訪れる人があまり多くない美術館よりも、たくさんの人がちょっと寄ってみようと足を止めてくれそうなエリアの会場を選ぶことにした。渋谷や原宿のように人が集まる超一当地のロフトの、しかも表に面した会場を予定している。
写真右:教室のようなロフト内部の様子
 初めに書いた11月に行うというのは、毎年1回、11月にこの地区最大のお祭りが木、金、土、日と4日間あり、多くの人出が予想されるため、それに合わせて我々の美術展を開催してみたいという意図である。展示作品は絵画や版画だけでなく芸能的、工芸的な分野まで巻き込んで、展覧会はお祭りの雰囲気で開くつもりだ。視察した感じでは、まだ”日本”ブランドは当地で評判が高く、買ってくれる人も多いのではないかということだ。だから即売システムもいれるイベントにしようと思っている。
 
選挙で燃える台北の新聞
 今回、我々が台湾へ出掛けた日は、国レベルの大きな選挙の直後で、街中を当選した議員たちのお礼の行列もたくさん目についた。写真右:選挙結果を伝える台湾の新聞
 日本の新聞にも大きく取り上げられているように中国と友好関係を築いてきた与党国民党が惨敗し、そのため馬英九総統の辞職も決まり、国民の意識の盛り上がりはすごかった。国民党の支持者は35パーセントで、新世代や党改革等の支持者は65パーセントもあったとか。芸術交流について話し合った作家やホテルで会うボーイまでその喜びを語ってくれる。「馬総統はグリーンカードを持ち、家族はアメリカにいて・・・」と彼らは僕に告げる。市民は馬総統がいつでも逃げだせるように準備しているのではないかと怒ってもいた。
 日本は現在中国との関係が悪化しているため、僕ら日本人と台湾人の交流の話し合いも、反中国派の彼等とはかなりスムーズにいった気がしている。モダンダンスのこかチちかこさんもこの展覧会に参加するが、彼女への応援で台湾の大きなダンスグループが彼女と共演をする予定もある。

ロフトのあるビル ロフト周辺の街並
写真左:我々が借りる予定のロフトのビルを正面から見たもの。中には高級な映画館やレストランが多く、新車の発表会も開かれる。車の発表会の会場は大きすぎるし、値段も高い。ここの館長さんは若い女性で、われわれの美術展の話を聞き、できるだけ協力させていただくと言っている。台湾側の作家についても要望があったら何でも言ってほしいと言われた。
写真右:ロフト周辺の風景。ちょっとした買い物を兼ねた散歩にうってつけだ。


 我々が今回使おうとしている台北市の華山文化創意園区は、東京の渋谷、原宿のような若者に人気の観光スポットで、元日本が統治していたエリアである。だから彼らは嫌がっているのかと思ったが、日本人関係の施設を台湾人は全然嫌がっていなくて、それを記念にし残そうとしている。

旧市長官邸
 長い間台北市長官邸として使われていたところは日本の総督府の長官邸があったところであり、戦後は台北市長官邸、今はギャラリー等に開放され市民に親しまれている。
写真右:旧市長官邸
来年の参加メンバーの中で個人的に発表したい人はここで個展をしてもいい。


 今回の視察で僕が一番気に入り、皆さんにも知ってほしいのは、台湾大学のすぐ裏の丘の上にある芸術村だ。芸術村は以前、日本の京都の嵐山の裏にもあったがスケール等全然違う。ここは国が管理し、お金も出している。土、日になると見物人がゾロゾロやってくるという。第二次大戦中は日本の軍需施設で、戦後は蒋介石に付いて中国から台湾に渡って来た若い兵隊たちのバラックがあったという。

芸術村風景 芸術村の壁に描かれた絵
写真左:芸術村の家    写真左:芸術村の壁に描かれた絵

 その後そこはホームレスの居住区になったが、それを国が壊してマンションを建てようと計画したら、市民から反対運動が起きて、今は芸術村となって生き残っている。何でもぶち壊して新しいものを作るといった発想は台湾人にはないという。大陸の中国人に対して「大きな声でしゃべる」「やたらタンを吐く」、あんなことを台湾人はしない。同民族として恥ずかしい、ともいう。

芸術村に住む日本人と僕
 ここの芸術村は国の文化庁が世界の芸術家に呼びかけ、常時50人ほどをここに3か月単位で住まわせ、自由に制作させている。僕たちもここで絵を制作中の武蔵野美術大学卒業の女の子に会うことができた。
写真右:武蔵野美大卒業後ここに暮らす女性アーティスト
他にも日本人がいるという。ここで制作したいというアーティストは多く、毎年500人近い応募が世界中からあり大人気であるとか。日本の国も見習ってほしいものだ。




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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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