スティーブ・ジョブズとニーチェ

スティーブ・ジョブズとニーチエ
<パソコンは市民の持つバズーカ砲だ>


スティ―ブ・ジョブズ
 アップル創業者のジョブズ氏が亡くなった。我々の年代の者には今一馴染みが薄いが、娘や教え子たち世代にとっては憧れであり、神様のような人だった。ということは娘にパソコンを習っている身の僕としても神のような人か。そのためテレビのニュースで彼が亡くなった事実を知り、もっと詳しく知ろうとインターネットでいろいろ調べた。
 テレビニュースやインターネットではジョブズのスピーチの数々も流していた。「貧欲であり続けよ。愚かであり続けよ」「自分の心と直感に従う勇気を持とう」「毎日を人生最後の日であるかのように生きれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」等々。いずれも人々の心を動かす何かを持っている。現代においてはまだまだこれから活躍できるという若さで死に至った彼を誰もが惜しみ、その言葉とその言葉通りに生きた彼の人生に感動し、勇気づけられた人も多いだろう。
 これらの言葉、考えてみるとこのブログでも取り上げたニーチエとよく似ている。「貧欲であり続けよ」はニーチエの「欲望をなくしたらおしまい」と「ロバのように働け」と似ているし、「愚であり続けよ」は「幼児のように考えて動け」だし、「直感に従う勇気」は「ライオンのように」に似ている。また「毎日死を考えよ」はニーチエの「神は死んだ」と同じ思考だ。

 しかし今の若者は社会的状況もあろうが、夢を失って、消極的な生き方をしている者が多いと言われる。ジョブズ氏の言動は実に多くの人を感動させた。だから僕は彼の死を越えた言動が、意気消沈している現代の若者をふるい立たせる目標になってほしいと思っている。偉大な人物に対する単なる憧れだけに終わってほしくないと願っている。
 こんなことを考えるのは僕が教師として、若い学生たちと日々付き合っているからだ。ある時僕が日本福祉大学での講義の最中、学生に「死後の世界はある」と思う人、手を挙げよと言ったら、9割程の学生が挙手した。この時点で、もうジョブズ氏の言葉と食い違ってくると僕は思う。「今日が最後の日と思って生きよ」ということは死んだら終わりだから、今日1日を最大限に頑張れというメッセージである。死んでも次の世界があると思っている者に、死を考えよと言っても「今度はどんな人生が始まるかな」と思うくらいで、ジョブズ氏の言葉は通用しない。

 死後の世界を全然信じない僕も人生の中で2度程ひょっとして死後の世界(異次元世界)があるかもと思ったことがあった。1つは小学校6年の折り、近くの病院(名古屋の大隈病院)のゴミ捨て場から人玉が出るのを見た時、もう1つは皆さんもご存じのユリゲラーがスプーンを念力だけで曲げてしまうのを見た時だ。アナウンサーやスタジオにいるタレントが真顔で「本当に念力で曲がる」と言っているのを聞いて、「この宇宙には科学で証明できない何かがある。ひょっとすると死後の世界があるかも」と真剣に思い安堵しかかったことがある。


ノストラダムス
 ノストラダムスの予言というものもあったが、あれははなから信用していなかった。写真左:ノストラダムス
ノストラダムスの予言を信じて「どうせ地球は崩壊するのだから」と勉強を放棄した生徒も多かった。何事も信じやすい小中学生には罪な煽りだった。幼い子供の一生を台無しにしたかもしれないのに、その責任を予言学者もテレビ局も誰も取っていない。ノストラダムスはレオナルド・ダ・ビンチと同じ頃の人。この頃ダ・ビンチも2000年頃にはハルマゲドンが起きると言っていた。理由はいろいろあるが、その1つが山の断層の中に二か所の貝殻断層が見つかったことだ。ノアの箱舟が2度あったことになるから、2度あることは3度あるとなりキリスト生誕の2000年後に次の洪水が起きるとダ・ビンチは思ったのだろう。写真下:ダビンチ 地球最後の図
ダビンチ地球最後の図
 ノストラダムスも同様だろう。出鱈目な煽動を繰り返した予言学者やテレビマンを何故か日本人は許している。今回の福島の原発事故も「絶対安全」と幾度も言いきっていた者が、今でものうのうと生き表舞台に立っている。


 佐高信のベストセラー本の『原発文化人50人斬り』を読んだ。この内容について真実かどうか分からないが書かれた者が反論しないということは、この本で取り上げられていることは真実なのだろうと思える。書かれた本人はものすごい痛手のはずだ。「反論は面倒だから」では済まない。人としてのメンツがあるのではないか。今では簡単に反論する方法はいくらでもある。ブログやツイッターという誰でも使える簡単な釈明方法もある。50人に挙げられた者には誰もが知っている人も多い。梅原猛、吉本隆明、田原総一郎、養老孟司、茂木健一郎達だ。なぜ彼等は反論しない。ブログなら10分か20分もあればコメントを乗せられるはずだ。
 時折考えるが、このネットの世界はいい半面、怖い存在でもある。いつでも自分の意見を発信できて、読もうと思えば世界中、誰でも可能だ。これは悪の政治家や著名人にはバズーカ砲並みの威力を発揮する。悪事を知ったら誰にでも簡単にパソコンにその事実を載せられ悪が暴いてしまえる。これは小物には効き目は薄いが大物に立ち向かうには効果がある。「ナチスや日本の官憲と同じで密告者的では?」とも思われるが、ちょっと違う。自分の存在を明らかにして書き込み、バックに官憲等の権力はない。アメリカでは護衛のピストルが許されるが、ある意味、パソコンはそれを上回る護身用兵器ではないか。
 ジョブズ氏は社会をより良くするためパソコンを一般家庭まで広げ、人間性のあふれるテクノロジーにしたいと言っている。アラブのジャスミン革命もまさしくこのテクノロジーの先にあったものだ。僕は今後、このテクノロジーの進歩で、社会のひずみがかなり是正されると思う。トラブルが起きたらブログやツィッター等に載せればいい。すると数え切れない数の賠審員が答えをくれる。

 2ヵ月前僕は日本水彩画会の世話係をしているKによる詐欺に遭った。信頼のおける画家から紹介されたので間違いないと思ったのだが、裏切られ大変な憤りを感じている。この件に関して今後どうするか考えている。もしKがブログ等の効用を知っていたら、まずそんな詐欺行為はしなかっただろう。Kの本名を公表したら彼の将来はない筈だから。僕は正義の泣き寝入りだけは絶対避けたい。

 ところで火の玉の結論が出ていなかった。小学6年の夏の夜、仲間と将棋をしながら見たのだが、人々の言うように本当に人の死後に出る魂なのか気になった。それで翌日病院の焼却炉を僕は覗きに出かけた。中には切り取られた人の足等が捨てられていた。どうもこの脚から出たものらしい。きっと人体の骨や肉を燃やすと青白い気体を発するのだろうと自分で納得した。今でもタイ東北部のメコン川上流に行くと11月頃水面から人玉が上がる時があるという。川底から上がるメタンガスの何かが光るのだろうと思われる。この現象を「バンファイバヤーナーク」と言うらしい。

 いつも死に恐怖し続けている僕だが、ジョブズ氏のような偉人でも病を免れないのだから、我々がどうあがいても死からは逃れられない。ジョブズ氏の言うように毎日を最後の日と思って最大限の努力をして生きるしか仕方がないのだろう。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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