YOKAI (妖怪) in New York 第6話 ニューヨークは妖怪まみれ

YOKAI (妖怪) in New York
第6話 ニューヨークは妖怪まみれ

タイムズスクエア
 前回登場してもらった和泉俊昭は、これも前回記したが、20代からニューヨークへ行き20年程そこに滞在していた。長い滞在なのでいろいろ情報がもらえる。ニューヨーク生活は最初の奥さんとの別れもありしんどかったけれど、思い出すのが楽しそうなのだ。
写真右:人々でにぎわうタイムズスクエアー(自由の女神やミッキーマウスの路上芸人もいる)

 「異常と思える人を妖怪と呼ぶのなら、ニューヨークは妖怪まみれだよ!」というのがまず彼の第一声だった。仲間の絵描きの奥さんは人が通る街中で日中に強姦されたが、通行人は知らん顔であったとか。その後彼女は恐怖のあまり外に出られなくなり日本に帰ってしまったそうだ。

川島さんと僕
 MoMAに作品がコレクションされている著名な画家川島猛さんは日本料理屋で働く奥さんを強姦から守るため、こん棒を持って地下鉄駅まで送り、帰りは地下鉄の入り口でこん棒を持って彼女を待っていたという。
写真左:川島さんと僕(彼のソーホーにあるアトリエで)

 和泉自身も体験を語る。いろいろあったが忘れられないのは、人が行き交うマンハッタンの街中で突然2人の大男に両サイドから腕を挟まれ持ち上げられポケットの金品を全て奪われたということだ。人通りのない夜間なら分からなくもないが人が行き交う街中で堂々と犯罪が行われ、それを目撃しても平気で無視する人間たちも妖怪以外ありえないというのだろう。30~40年前のこととしても、まあ普通ではありえないことだ。


マンハッタンの夜明け 先日我が家に来たジェフは僕の妻が日本語を教えている米国人だ。彼はニューヨークが好きで数えきれないほどよく訪れている。その彼に「マンハッタンで妖怪の存在を意識したことはないか?」と尋ねてみた。「はっきり妖怪を見たことはないが、何か異様な雰囲気を感じたことはある。ある時、仲間と朝の5時ごろまで飲んでいて、地下鉄を降りて地上へ上がったら、まったく人気のない5番街のビル群が四方八方から迫り、まるでビル妖怪に囲まれたような恐怖を覚えたという。日頃の人や車であふれかえっている5番街を知っているものの目には人気の失せた街はゴーストタウンの様に不気味だった。」との答。

マンハッタン風景写真右上:夜明けのマンハッタン風景
写真右下:日中でも摩天楼が迫ってくるようなマンハッタンの通り

 またネイティブアメリカンの怨霊について聞くと「コロンブス以後ヨーロッパヘ梅毒が伝わったことはよく知られているが、逆にネイティブアメリカンたちは入植したヨーロッパ人たちが持ち込んだ伝染病で実に7割近くが亡くなっている。彼らはヨーロッパの風土病に対する免疫を持たなかったため、容易にヨーロッパからの伝染病に感染したのだ。

ウンデッド・ニーの虐殺犠牲者の埋葬 さらに白人による国家的なインディアン絶滅政策も行われた。 1890年12月ウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争は終結したが、最終的には推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接虐殺により実に95%が死に絶えたと言われている。これらの悲惨な歴史を考えれば、怨念を持った原住民の亡霊がうようよいても不思議はない。」と答えてくれた。
写真左上:ウンデッド・ニーの虐殺犠牲者の埋葬

 ニューヨークの妖怪の多さは「ニューヨーク・ゴーストサイティング」というネット上への投稿欄があることでも分かる。住民が見た妖怪のようなものを投稿するコーナーがあるのだ。その中から面白いものを紹介しよう。

 地方から出てきた女子学生がマンハッタンの安宿に泊まった。最初の日の夜、調べものをしていて、気が付くと午前の2時頃になっていた。すると突然電話が鳴ってすぐ消え、その後部屋の電気がパタパタ消えたりついたりしだした。すると壁の奥からだみ声のざわめきが聞こえたかと思うと薄汚れた衣服を付けた労働者たちが壁から現れ部屋を横切って廊下の方角に消えていく。中にはシャベルを持ったり、足を引きずったりする者もいた。アジア系の者が多かったとか。朝になって宿のおじさんに尋ねたら「現れたらいつでも連絡してほしい。助けに行くから」と言われたという。彼は亡霊たちが出現することを知っていたのだ。
 このホテルはその昔、労働者たちのタコ部屋だったという。低賃金で酷使され死んでいった労働者たちは、亡くなっても怒りで成仏できないのだろうか。亡霊となって出現する前、電話や電気がついたり消えたりするのは、妖怪の気が電波や電磁システムと連動しているからだと妖怪通は言う。

ストリートパフォーマンス 僕も30年程前、ニューヨークを訪れている。
写真右:人だかりを見てすわ事件か、とかけよったらストリートパフォーマンスが行われていた
 その時アッパーウエストにある1泊6千円程の安宿に泊まったが、室内灯を付けると、電灯内から昆虫の羽音のような音がしてびっくりした。単に古い電灯だからなのだろうが、昆虫の妖怪でも忍んでいるように思えたのだ。朝になり僕が靴を履こうとしたら親指がもぞもぞし、びっくりしてよく見ると、僕の靴の中に大きなゴキブリが入っていた。泊まったのは冬だったが、セントラルヒーティングで暖かくゴキブリは生き延びていたのだ。僕の泊まったこの安ホテルは壊れた窓の取り替えもしてなくて、幾度も上から上に塗られたペンキで窓は半開きで動かなかった。また階段際の廊下につけられた裸電球は薄暗く、妖怪が出てきてもおかしくはない雰囲気だった。
マンハッタン射殺事件の死体運搬
 でもまだ若かった当時の僕は、薄暗いと密造酒製造に頭が行って禁酒法を思い出し、アルカポネのようなギャングが飛び込んで来て警察と銃撃戦になったらどうしょうとなんて想像をめぐらしたものだ。
写真左:マンハッタン射殺事件の現場

 もう1件は親の代からここに生んでいるフランス人の子孫の話だ。異教徒である彼らはニューヨークの中でも特別なエリアに住んでいる。1678年に祖先たちはエトパスネイティブアメリカンから強引に土地を買ったからか、住処を失ってさまよう幼い女の子やおばあさんの霊によく出会うという。自分の部屋で音がするので飛んでいくと、引き出しが最後だけ残しすべて開かれていたりもした。誰も部屋に入った形跡がないのに何故このような現象が起こるのだろう。自分の部屋を訪れた友人が、「今、年老いたおばあさんが部屋を横切ったのだけれど、あの人はだれ?」と質問したこともある。どうもこの異教徒が住む特別なエリアには、かつてここに住んでいたエトパスネイティブアメリカンの亡霊がいまだに彷徨っているようだ。
 最後にもう一つ幽霊話をあげよう。ニューヨークがまだニューアムステルダムと呼ばれていた1600年代、オランダの総監としてやって来たのがピーター・スタイブサント。彼の幽霊がまだピーターズチャーチで出るという。夜になると義足のコトコトという音が教会内部から聞こえるそうだ。通りから見ると窓に影が映り、誰もいないのに教会の鐘が鳴るという。きっと彼は気になることを残して亡くなったのであろう。

 一緒にマンハッタンの街中を巡った大須の刺繍屋さんの馬場さんは、よく似たことを旅行中僕に話してくれた。博多から彼の所へ嫁いできた奥さんは霊感が強く、時折「今、亡くなった博多のお母さんがそこを通り過ぎた」とか「今日はおじさんだ」などとよく言うそうだ。彼女は11月11日生まれで霊ともコンタクトが取れるという。一度彼女を連れてニューヨークへ行きたいものだ。音や声なら僕も感じないこともないが映像が見られるのはめずらしいから。



<ニューヨークの妖怪シリーズ>

妖怪魔天楼
 さて今回も上記の話に因んだ僕のオリジナル妖怪を紹介したい。

⑧ 妖怪「妖怪魔天楼」

怖いばかりが妖怪じゃないということで、摩天楼に巣食う妖怪を黒人歌手トリオのように楽しく、面白く描いてみた。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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