「鬼と妖怪の造形」展・・水木しげるの作品とともに

「鬼と妖怪の造形」展・・水木しげるの作品とともに
 高浜市かわら美術館にて

鬼と妖怪の造形展
 来る7月19日〜9月15日まで、高浜市やきものの里かわら美術館で「鬼と妖怪の造形展」また同時に「水木しげるの戦争と新聞報道展」も始まる。僕の『平成名古屋の百鬼夜行』の妖怪絵も展示してもらいたいとの依頼があったので、展示する予定だ。よかったら見に来て頂きたい。
写真右:鬼と妖怪の造形展パンフ

 高浜は「かわらの里(鬼瓦の里)」だ。鬼は妖怪の部類に入る。ということは高浜は妖怪の里でもあるわけだ。中国や韓国では特に妖怪と呼ぶことは少なく幽霊や化け物はまとめて鬼と呼んでいる。だから妖怪展が高浜で行われることは妖怪にとっても我々にとっても有難いことだ。さあどんな妖怪が出現するのか楽しみだ。

 高浜市の「かわら美術館」の周りには「鬼みち」という散策路があってそのいたる所に面白い鬼や瓦の造形作品が立っている。すぐ隣の小山は妖怪スポットでもある。高浜に住み着いている鬼は各家の屋根を守ると同時に、屋根に当たる部分、人間でいえばその頭も守ってくれるとか。瓦産業がこれだけ発展したのはやはり守ってくれる妖怪がいたわけだ。

かわら美術館の前の小山にある観音像  僕が以前この小山に登った時、一人の青年が小山の上にある陶器で作られた巨大な観音様に願をかけていた。
写真左:かわら美術館の前の小山にある観音像
 御参りに来る人は地元の瓦会社の社長が多い。それが若い青年だったから、「何か後利益でもあるのですか」と僕は尋ねてみた。「いやいや、ハハハ!」と照れ笑いをしながら彼は小山を降りていった。後ろから男を見たら河童禿だった。以前ここは禿に効くという噂を聞いたことがあるが、やはり隠れ信者がいるのだ。(そうだ、いずれ「妖怪 禿隠し」でも描かなくては?)

 さて今回は水木しげるの戦争もからめたパプアニューギニアのお化け画も登場する。どんなふうに表現されているか気になる。僕も単身、パプアニューギニアへ出掛け妖怪ならぬギャングに襲われたことがある。ギャングに襲われた時のことはすでにブログで書いているので、(2011.2.13「生きることへの活性剤」 2012.7.10「妖怪屋敷 第10弾 我が家にいるパプアニューギニアの妖怪たち」、2013.11.18「妖怪屋敷での妖怪展終わる」) 今回はパプアニューギニアの飛行機の中とその後のことを書かせていただく。

 まずはパプアニューギニアへ入るのに、オーストラリアからパプアニューギニアの首都ポートモレスビーへ向かった。そこへ向かう飛行機の中で僕の旅程を話したら、スチュワーデスが驚きあきれていた。「私たちは乗客の皆さんを下ろしたら、一歩も機外に出ることなくすぐオーストラリアに引き返しますよ。危険だからです。それをお客さんは一人でしかも取材で行かれるのですか。信じられない」と。一晩でギャングが40か所を襲ったことがあるともいう。

パプアニューギニアの美少女写真右:話の内容には関係ないが、町で出会った中で一番かわいい少女。僕がカメラを向けたら恥ずかしそうに下を向いた。
 僕の目的地はポートモレスビーからさらに東の、飛行機で2時間半くらいの所にあるラエという町だ。ポートモレスビーの空港に着いたら、ラエ行きの飛行機の発着予定が未定になっている。空港で聞いても要領を得ないし、どうしたらいいかと困っていたら、2時間ほど遅れて出ると表示された。それが午後の7時半ごろだ。ラエに着くころはもう真っ暗な夜になっている。ラエの飛行場は街の中心から離れた山の中にあるという。困った!まあ、でもラエの飛行場に着いたら朝まで空港内で寝ていれば襲われることはないだろうと高を括っていた。

 さて遅れてきた小さな双発機には僕と現地の酋長らしい数人が乗っていただけだった。しかも乗客数人を下ろしたらその機はプロペラを止めることなく飛んでいってしまった。周りは真っ暗闇の飛行場へ降りた途端、僕はもう一度飛行機に乗って帰りたいと思ったがもう遅い。この空港(空港と呼べるなら)はひどかった。発電機で動く裸電球が1個ついているだけで窓もなく空港関係者は誰もいないのだ。よくある秘境の無人駅よりひどい。勿論バスもタクシーもない。街はジャングルの先50キロにあるのだ。時刻は夜9時(飛行機が遅れなければ6時半着のはずだった)。あと数分も過ぎれば僕一人になり、当然発電機も消され暗闇になる。もう絶体絶命だ。この地は5時になると外出禁止令が出て誰も外へ出なくなる。ギャングがうようよいるのだ。

ラエのホテル
 「山彊先生、それでどうしたんですか」。そこは旅慣れて小心な僕(実を言うと体が震え出していた)。ポートモレスビーの空港で、ラエ行きの飛行機が2時間遅れで暗くなってからラエに着くとの情報を掴んだ後、すぐ打つ手をいろいろ考えた。飛行機に乗った後、小さなプロペラ機の中で一人だけパソコンをいじっている黒人(すべて黒人だが)に声を掛けて、名刺交換をしてお友達になったのだ。彼はなんと飛行場から50キロ先にある街の警察署の副長官だった。彼も僕の一人旅にはびっくりして、「俺がホテルまで送ってやる。この国は暗くなったら誰がギャングになるか分からないぞ」と言われた。
写真左上:警察署の副長官が僕を連れて行ってくれた町一番のホテル
 ラエの空港へ副所長や酋長らを迎えに来ていたボロ荷台車4台は僕らを乗せて離れることなく団子状態でジャングルを突切った。1台なら襲われるのだ。

 ここパプアニューギニアへは精霊や民族学に関することで面白いものがあるから調べようと思ってきたのだ。この後の滞在中もホテルへのギャング襲撃から、山の中の部落訪問まで様々な困難に遭遇したが、あれこれ知恵を絞って手を打ち、危険から逃れきった。今再びパプアニューギニアへあの時と同じように行くかと言われたら、もうだめだ。よくあのような危険な旅をしたものだとつくづく思う。水木しげるはここで妖怪に出会っただろうが、僕は妖怪に助けられた気がする。水木しげる戦争画展はそんなことを思い出しながら見るつもりだ。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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