YOKAI(妖怪)in New York  第3話 ダコタハウスの猫女ヨーコ

YOKAI(妖怪) in New York
第3話 ダコタハウスの猫女ヨーコ

 オノ・ヨーコの書いた文のなかに猫に関するものがある。「ジョンが亡くなった後、ダコタハウスの7階の部屋に猫が入ってきて私に話しかけた。私と驚くほど話が通じ合い、一晩中おしゃべりをしたことがある」と。この文を読んだ時、ひょっとしてオノ・ヨーコは猫の化身ではないかと疑ったことがある。レノンより7歳年上でバツ2、色気とか、かわいさとも無縁。それでいてあのジョン・レノンを惚れさせ子供(ショーン)を生んでいる。どんな美女でもなかなかできないことだ。人を引き付ける猫特有の能力でもあるのかもしれない。

ダコタハウス
 今回ニューヨークへ行った折、ハーレムからの帰りに、セントラルパークの西側にあるというダコタハウスへ寄ってみた。
写真右:ダコタハウスの全景
このアパートの前でジョンは射殺されている。先回20年程前にニューヨークに来た時はジョンが射殺された少し後であったが、あまり関心がなく訪れなかった。だが妖怪に関わり出すと誰かの殺害現場だとか、何かの事件が起こった場所だとか、そんな場所がとても気になり寄ってみる気になったのだ。

騎士とドラゴンの彫刻
  セントラルパークの西側といってもかなりの距離があり、そこに林立するたくさんのビル群のどれがダコタハウスか分からない。でもその前に来れば看板とかサインなどがあるか、なかったとしても不思議な気配なり、殺気を感じるかもしれないと思って歩いていたが、何の看板もなく、何も感じず、なんだ、もうヨーコもいなくてビルも霊気を失ったのかと思い始めていたら、目の前に金属製の中世の騎士らしい顔とドラゴンの飾り彫刻が付いたフェンスが現れた。埃にまみれ汚れているが僕の目がそこに止まった。ということは、きっとこれだと思った。「ドラゴンに守られた館に猫女が住む」。
写真左上:ダコタハウスの柵についている騎士とドラゴンの飾り彫刻

 このドラゴンとジョン・レノン、ヨーコ夫妻の取り合わせは一見違和感があるが、僕にはすっきり理解できた。猫は虎に通じ、ドラゴンは龍、日本でも分かるように龍虎は最強の守り神だ。だから猫の化身であるヨーコはここを選んだのだろう。けれどその後ジョンが射殺されたのはこの建物のバリアから外れた玄関前であったからではないか。

 オノ・ヨーコの本によるとダコタハウスに入居する前、すぐ近くに新しい素敵な感じのアパートがあってジョンは一目で気に入ってしまったとか。だが猫女ヨーコは玄関に入るなり意味不明の違和感を感じ、断ったという。暫くしてそのマンションは大火事になり、住んでいれば二人はどうなったことか、と書いている。

 猫は家に、犬は人間に懐くと言われる。エジプト人は猫を聖なる生き物として可愛がる。エジプトで火事が発生すると人々はまず猫を見張るという。家を愛する猫が火事であっても家の中に飛び込んでいき、亡くなってしまうのを防ぐためだという。
 
 このダコタハウスは1880年着工、1976年にはアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された堂々たる建物で、有名人が多く住んでいる。北ドイツルネッサンス様式の外観は映画『ローズマリーの赤ちゃん』の撮影にも使われただけあって悪魔の子を宿すという映画の内容とマッチしている。ちなみにこの映画の完成後、監督をしたロマン・ポランスキーの妻、シャロン・テートが、妊娠8ケ月の身重でカルト集団に惨殺されたのも、何か奇怪なつながりを感じさせる。
 
Imagineバッジ
 このダコタハウスを借りるのは大変で、住人による入居審査基準が高く、有名人や金持ちでもまずは入れないという。これまでマドンナやビリー・ジョエルも断わられている。ヨーコの隣室には歌手のロバータ・フラック(「優しく歌って」「愛は面影の中に」等がヒット。映画『恐怖のメロデーィ』にも使われグラミー賞をとっている)が住んでいる。
写真上:ダコタハウス前で売られているバッチ

 ジョンが亡くなった時、近くの者より遠くの人からの激励の手紙や電報が嬉しかったとヨーコは言っている。「それまで私たちと仲良く、ジョンが亡くなった後慰めてくれると思っていた人たちが、慰めてくれるどころか背後から襲ってきた」という。悲嘆にくれるヨーコをダコタハウスのドラゴンは守っていてくれたのかもしれない。

オノヨーコ作品60年代
 ヨーコはジョンと結婚する以前、東京で前衛の画家たちと組んで作品発表をしている。写真右:60年代のオノヨーコの写真(作品として出品)、当時の美術手帳誌より
 新橋の内科画廊がその中心拠点であった。この前衛画家メンバーには名古屋出身の女性画家、岸本清子もいた。彼女はジョンが亡くなった折、ヨーコに「遺産が入ったでしょう。私に少し融通してくれない?」と手紙を出してやったと、僕に語ったことがある。それくらいヨーコと親しかった?ということかもしれない。

空飛ぶ猫
 彼女はよくビーム光線を出す化け猫を描いていて僕も1点買って持っていた。あの猫はヨーコだったのか。写真左:岸本清子の作品「ビーム光線を出す猫」(僕が買った作品がどこかへ行ってしまったのでネット上から)
 ここの内科画廊では僕もおなじ頃個展をしている。名古屋人でここで展覧会をしたのは岸本と僕の二人だけだ。
写真右下:内科画廊で個展をした時の僕の作品(26歳)(1964年)
内科画廊での僕の展示作品

 この少しあとヨーコはお尻の映画を作り、商業主義になったとして仲間から見捨てられている。その後ジョンに出会ったわけだ。

 ダコタハウス7階に現れた猫は本物の猫なのか、それともヨーコの想像(イマジン)のたまものなのか。もし彼女が猫の化身とするならば、同じ猫仲間として慰めに来たのにちがいない。







<ニューヨークの妖怪シリーズ>
 さて今回も本文の内容に合わせて僕のオリジナル、ニューヨークの妖怪を描いてみた。

⑤妖怪 『ダコタハウスの猫女ヨーコ』

ダコタハウスの猫女ヨーコ


 尾が二本あるのは化け猫の証である猫又のこと。上のメガネはジョンで英国と米国の二股、下のメガネはいつも鼻からずれ落ちそうにかけているヨーコのもの







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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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