「コメダ珈琲」1号店閉じる。コメダの娘と僕は2度も師弟関係

「コメダ珈琲」1号店閉じる。
コメダの娘と僕は2度も師弟関係 

 コメダ珈琲創業者の長女は僕の中学教師としての最後の教え子だ。彼女は中学3年の時僕が顧問をしている美術部の部長もやってくれていた。その後僕が名古屋芸術大学へ移ったら、偶然彼女もこの大学に入って来た。僕の受け持つ洋画学科ではなく日本画学科ではあったが。僕の受け持つ洋画科の学生に「先生の教え子のコメダの娘が日本画に入学したよ。」と話したら、男子学生たちが飛んで見に行った。当時からコメダは誰もが知っている人気の珈琲店であったのだ。
 「山彊先生、その子、加藤さんと言うんでしょう。超かわいいけど真面目でナンパできない。先生紹介して。」とたくさんの学生に頼まれた。僕が学食で彼女と話していると、洋画科の学生たちも僕の周りにやって来て食事をした。紹介してほしいのだ。男子学生の狙いは、可愛い女の子と付き合いたいと言うのはもちろんだが、有名でお金持ちのコメダ珈琲の娘と結婚して逆玉の輿の乗りたいという願望もなくはなかったようだ。
 ある時、彼女が僕に「山彊先生、コメダのフランチャイズ店で閉じてしまったところがあるんですけれど、アトリエやギャラリーとして使えませんか?」と尋ねたことがある。僕は「面白い考えだね、どうやったら感じのいい、作品が引き立つギャラリーになるか考えよう。」と言って別れたが、後ほど日本画科の彼女の友人と称する女の子が洋画棟にいる僕に会いにきて「私と加藤さんとはコメダの空き店舗の使い方について話が進んでいます。横から入り込まないでください。」と叱られてしまった。わざわざ他学科まで抗議に来るのには驚かされた。僕の周辺にもお金持ちがたくさんいるが、お金持ちにはもう大学の1年からこのような取り巻きが同性にもいるのか、これは大変だと思ったものだ。

中日新聞2014年4月1日朝刊
 こんな事を思い出したのは、先日(2014年4月1日)の中日新聞の朝刊(写真右)に載った「コメダ1号店最後の1杯」≪ビル解体、46年で幕≫というタイトルの記事を見たからだ。新聞によるとこの店の面倒を最後に見ていたのは、僕の教え子であった長女だという。(コメダはもう数年前に100億?とか言われる金額で会社を売ったと聞いている)懐かしい一部だけを自身で営業していたのだ。そんなお金持ちの娘がまだ店に出ていたという事は、それだけこの店には思い出があるのだろう。

 彼女のもともとの家は父(太郎さん)の経営する米屋だった。(米屋の太郎さんからコメダの名前がつけられたという) かつて僕が大曽根中の生徒であった時、学校へ行く途中、飯田小学校の玄関わきにあった店の前を必ず通ったものだ。3年間毎日の事だから本当によく覚えている。もちろん僕の中学時代だから、彼女は生まれていない。大曽根中の教師になってからは、この前を車で通り懐かしく思ったものだ。
 中学校の美術クラブの活動中、彼女に、「君のところのようにお金持ちだと心配なことは何もないだろう?」と話し掛けたら「いや、あるの。隣のおばあさんが毎日のように『やかましい』『車が邪魔だ』『屋根の一部がこちらに出ている』など、怒鳴りに来てうち中がノイローゼになっているの。お母さんは病気になりそう。」と話してくれた。仲間は常に同じであることを望む名古屋人は隣近所の人が成功すると我慢できないようだ。僕も大学生の時、賞を取って新聞に乗ったり、マスコミの取材を受けたりしたので、学内で目立ち、やっかみからいじめられたのでよく分かる。

コメダ珈琲カップ ところで左の写真はコメダの店で使われているコーヒーカップだが、これはコメダの長女とは関係がない。大学で学生を教える傍ら、僕は名古屋芸術大学の後援会の人たちにも絵を教えるように頼まれた。頼みにみえた3人の女性がまた超美人だったため引き受けた?のだが、なんとその中の一人がコメダ珈琲の社長秘書であり、彼女からこのコーヒーカップをまずは1セット頂いたのだ。
写真上:僕の机にあるコメダのコーヒーカップ

 「ところで先生、コメダの珈琲は何故流行っているのですか?」これについては僕も考察して以前このブログに詳しく書いたことがあるのでよかったら読んで頂きたい。(2012.1.4コメダのコーヒー、2012.1.10名古屋の老舗コーヒー店、2012.7.27コメダのコーヒー第2弾) したがってちょっと繰り返しになるが、簡単に要約すると、コメダ珈琲の良い点は、「量が多い」「味が一定」「店の雰囲気がいい」「カップがぶ厚く冷めない」等と言われている。それらはもちろん当たっている。
厚手の飲み口
 しかし僕の観察では以前にも記したけれどカップの飲み口の厚みがおふくろのおっぱいの感覚に似ているからだと思う。この説日本中で唱えている者は僕一人だが。「もちろんそんなことを言うのは先生だけでしょ!」客は知らず知らずのうちに、おふくろのおっぱいの思い出に浸っていると僕は思っている。
写真右:カップ飲み口のアップ 口に触れるとおふくろ(ひょっとすると彼女)のおっぱいの感触が味わえる

 我が家を訪れた人にもそのカップでコーヒーを味わってほしいから美人秘書にもう1カップいただいて使わせてもらっている。

壁の華展覧会パンフ
 この美人3人が所属するグループ『壁の華』が開く展覧会が4月29日〜5月4日まで中区役所7階で催される。ちなみに3人の名は近松妙子、倉掛京子、中田世津子さんで作品も顔と同様素晴らしいので是非見に行っていただきたいと思う。もちろん他の人たちの作品もなかなかの力作であることは言うまでもない。このメンバーの中の数人も僕と一緒にニューヨーク展に参加して当地へ出掛ける。皆さん大いにやる気なのだ。

写真左:「壁の華」の展覧会パンフ







例によって僕の描いた平成名古屋百鬼夜行の妖怪画から美人関係のものを2点紹介する。

妖怪冬子メデューサ
㉞ 妖怪冬子メデューサ

 今日本で作品が売れに売れている美人日本画家松井冬子さん。彼女は幽霊ばかり描いている。彼女に見つめられるとおじさんたちはへなへなとしてしまうのだろう。だからメデューサで表現してみた。日本画を描いているコメダの娘とは正反対のタイプだ。コメダの娘はポッチャリして色白で穏やか。男にだまされるのではないかと僕には気になったくらいだ。






㉟ 胞衣姫幽霊

胞衣姫幽霊

 大森近辺の百姓の娘であった御乾の方は、鷹狩の途中の初代尾張藩主義直に見初められて側室となり、2代藩主光友を腹をたち割られ生んだという。そのためかじきに亡くなっている。身分の低い百姓娘が殿様となる子を出産するのだから普通分娩ではまずいと考えられたのか?憶測が飛び交っている。その墓は江戸屋敷にあると言うが僕の亡くなった親父に言わせると、徳川園前の胞衣塚(お産の折に出た胎盤や汚物を埋めた所)に一緒に葬られているという。だからこの胞衣塚に御乾の方の幽霊が出るのだそうだ。カットは母の腹から出ようかと様子をうかがう光友。
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本当に・・・?

コメダ珈琲のカップに秘密が隠されていたとは・・・知りませんでした!!長時間居っても追い出されないトコが私は好きです。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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