Push Art(イス) 山田彊一 1980年代の作品より

Push Art
山田彊一 1980年代の作品

和歌山ビエンナーレ大賞作品
 前回のブログで紹介したボルト作品は多くの美術評論家から絶賛され、その後僕はこのコンセプト(Push Art)で数多くの作品を作り、賞をとった。
エンバ美術賞展('82)、宇部絵画トリエンナーレ展('83)、大阪現代版画コンクール展('84)などである。中でも僕が特にうれしかったのが、和歌山版画ビエンナーレ展('85)での大賞受賞である。
写真右:第1回和歌山版画ビエンナーレ大賞受賞作品 Push ボルト<B>
 これ以前日本では国際的なコンクールといえば、東京国際版画展があった。あの池田満寿夫はここで賞をとり世界に進出している。この東京国際版画展が第10回をもって終了した。当時の日本には美術部門では国際的なコンクールはこれだけだったので、それを引き継ごうと和歌山県が県を挙げて立ち上げたのがこの和歌山版画ビエンナーレである。国際的なコンクールにふさわしく審査員にはアの現代美術家のサムフランシスも加わっていた。海外からの出品者も含め1178点の作品の中から僕の作品が第一回(1985年)の大賞に選ばれたのだ。
 作品タイトルは、Push ボルト<B>。前回のボルト<A>とともにボルトは僕のモチーフになる。

IBM絵画コンクール大賞作品
 翌1986年にはIBM絵画コンクールで大賞(写真右:Push Art イス)、さらに1989年にはエンバ美術賞展で優秀賞=準大賞(写真下:Push Art イス)を取った。IBMは大阪、エンバは神戸なので、僕はよくよく関西方面に縁があるなと思ったものだ。
 
 和歌山ビエンナーレの成功でこの頃から美術コンクールは国際化の傾向が目立ち、大阪トリエンナーレ展にも海外から多くの美術作家が出品するようになった。80年代はバブル景気に沸いた時期で賞金額もどんどん増えていった。このことも海外の作家たちを引き付けた要因だろう。1997年、僕はこの大阪トリエンナーレ展で特別賞を受賞した。これはケニアに出かけて行ったパフォーマンスアートである。


Push Art(イス)
写真上「エンバ美術賞展」'89 準大賞受賞 <Push Art(イス)> 120×161cm
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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