名古屋の門松と中国の門松

名古屋の門松と中国の門松

 我が家のすぐ近くにある徳川美術館で企画展「新年を祝う」が行われており、江戸時代を中心に大名家や庶民などがどのように新年を祝ったかが展示されている。先日は講演もあり出かけてみた。門松等、名古屋に関する話があると聞いたためだ。門松は中国から伝わった風習と言われている。いま僕は中国の妖怪について調べているので、どこかに名古屋とのつながりがないか聞きたかった。

志ら玉の門松 行って驚いたのは配られたレジメに僕の曾祖父の建てた家(現在は上飯田にある高級料亭「志ら玉」に買い取られ移築されているが、20年くらい前まで、大曽根の鈴蘭通りと19号線の角に建っていた)の写真がA 4紙全体で刷られていたことだ。写真は現在の「志ら玉」の料亭が江戸時代と全く同じやり方で店の前に門松を飾っている様子を写したものだ。写真右上:高級料亭「志ら玉」の門松
 徳川美術館で現在展示されているものの中に、内藤東甫著『張州雑志』があり、その中の1ページに尾張の商家の門松という絵があり、その絵と全く同じように「志ら玉」は門松を飾っている。配られた写真には「名古屋で現代でも行われている江戸時代の商家の門松」と説明があった。
 現在は「志ら玉」に移築された僕の曾祖父の家も江戸時代から続く庄屋兼商家だったからきっと同じ様に門松を飾っていたと思う。一族は第2次大戦後ほとんど落ちぶれて、こんな門松はやらなくなった。僕が小1の折、終戦になったから、このような門松が飾られているのを見た記憶はない。

 門松は平安時代に中国から伝わったもので、門前に小さな松を結えて年神様の降りてくるのを願ったものらしい。松は繁栄と不老長寿の象徴でありそれを願う行事であったのであろう。唐の時代にはもう定着していたという。現在の日本は関東、関西で作る方法が違い、関東で一般的なものは3本の竹を組み周囲に若松を配し下部を藁で巻いたもので、関西は3本組の竹の前に紅白の葉牡丹を、後ろに長めの若竹を添え、下部を竹で巻いたものという。名古屋ではどちらのスタイルも見ることができる。もっとも最近のスーパーなどは「謹賀新年」という張り紙だけでお終いのところも多いが。

中国人宅の正月飾り
 2014年は1月31日から中国の春節である正月が始まるが、先回も登場してもらった中国人によると、自分の家は福の字を書いた赤いお札を逆さに玄関に張るのだという。逆さにするのは福を呼び込むという意味があるらしい。写真左:中国人宅の門松もどき。
 町中では黄色のみかんや金柑等をピラミッド状に積んであることもあるという。まずくて捨ててやるみかんを使っているらしいが。黄色は黄金に繋がるからだろう。お金儲けに狙いが変わった文革の後に起こった行為らしい。

今年の我が家の門松
 「ところで山彊先生宅はどんな門松をやられたんですか。」 昨年はたくさんの妖怪を招いた展覧会を我が家で催したから、今年はもう出て行ってもらうため「妖怪招来」のお札をさかさまに玄関に張っておいた。さあ妖怪どもは逃げて行ってくれるかどうか?
写真右:今年の我が家の門松(妖怪招来のお札を逆さに貼る)


 ところで、妖怪を調べる面白さは妖怪の発生の原因を調べ、発生のメカニズムを知ることだが、同様に曾祖父たち町人が何故、このように2本の竹を途中で切らず長く垂直に立て、1本は水平にして門のようにし、さらに別の2本を斜めにして交差させたのかを解明したくなった。

輪くぐり神事
 そこで思い出したのが、僕の幼い頃、夏になると近くの神社で「輪くぐり」の祭りが行われたことだ。各家々に御幣のついた葦が配られる。それをもって神社へ行き、神社にある葦で作られた直径2メートル程の輪を3回くぐって最後にその配られた葦を輪にさしてくるのだ。写真左:大和神社の「輪くぐり」
 この行為は幼い僕にはその意味するところが分からなかった。それを僕なりに解釈をして、僕の最初に出版した本『そして地獄、そして芸術』で取り上げ、検証しているから図書館へでも行かれたら読んでほしい。(この本で針生一郎先生に「あなたは文がすごくうまい」と褒められ、文も絵と並行して書き始めるようになった。もう40年程も前の話でこの本は絶版になっているが)写真右下:僕の40年前の最初の本『そして地獄、そして芸術』

そして地獄、そして芸術
 「輪くぐり」の結論を述べると、要はこの行為、性交渉と同じであるということだ。1本の葦は男根であり輪は女陰だ。3回まわるのは、すぐに子づくりにかかってはいけません。よく準備(愛撫)をしてから行ってくださいということだ。昔の祭りや冠婚葬祭の話はこのことを原点におけばかなり解明できると思っている。
 「志ら玉」の門松もこれと同じではないか。たくさん使われた竹は円形に近づいている。門松は長寿、家内安全、商売繁盛を願うものと言われているが、子孫繁栄と五穀豊穣も同じ次元と考えていいだろう。来年の僕の家の門松はこのスタイルでいこうかななんて思っている。もし飾ったら、見に来てほしい。「先生、もう元気がないから神頼みですか?」



 さて例によって平成百鬼夜行から、また妖怪画を2点紹介させていただく。今回の内容に因んで松に関するものと生(性)に関するもの。

㉖ 『妖怪 門かぶりの松』  写真左下
妖怪門かぶりの松
 江戸時代は身分や家の格式によって、屋根付きの門を作ることは、限られていた。金持ちで門を豪華にしたいが、屋根付きにできない人が、松の枝を伸ばして門の屋根代わりにしたのが、門かぶりの松の始まりで江戸時代の終わりから明治にかけて流行したという。門松ではないが、古い松になると樹齢数百年というのもある。ということはもう妖怪になっているということだ。僕の家もこの妖怪松が玄関で来客の出入りのチエックをしている。







㉗ 『妖怪 チンたれ』  写真右下
妖怪チンたれ 
 100点の妖怪画で一番生々しい男根なのでちょっと出すのをためらったが、どれもみな似たり寄ったりの性的な絵でしょう、と言われ出すことにした。もうすぐ行われる国府宮のはだか祭のために描いた妖怪だ。はだか祭に関しては僕のブログ妖怪屋敷番外編、国府宮はだか祭1、2に詳しく書かれているのでよかったら見てください。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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