エノラ・ゲイの地に広島爆心地の土を返す

広島の爆心地の土をエノラ・ゲイのあるスミソニアンに返す 
 
 あと数日でまた8月6日がやってくる。原爆が投下された時、僕は疎開先の田舎で米軍の艦載機に怯えていた。敵機来襲のサイレンが鳴ると僕はなぜかトイレに行きたくなって、トイレから防空壕に駆け込む瞬間、機銃砲で狙われた。バリバリとものすごい音がした。この時の情景は未だに鮮明に思い出す。トイレから防空壕まで20数mだが、この距離の長かったこと。僕はもう殺られたと思ったが、弾は大きくそれていった。きっと幼い子供であることに気付いて、とっさに銃口を上げたのかもしれない。

エノラゲイ 8月6日が近づくと、いつもこのことを思い出す。ところで4年前の8月6日、僕はワシントンのスミソニアン航空博物館(原爆を投下したエノラ・ゲイが展示してある)にいた。写真右:広島に原爆を投下したエノラ・ゲイ(博物館の中央に展示されている) 
何もせずじっと日本にいることが耐えられなかった。というのはこの年の5月16日、4,5年前から恐れられていた北朝鮮の新型ミサイル「ムスダン」が姿を現したからだ。新聞紙上では、「もしこのミサイルが日本の原発に打ちこまれたら、日本はチェルノブイリと同じようにゴーストタウンになる」と連日のように報道し、読者に恐怖を与えていた。僕も影響を受け、原爆や核兵器などをまずなくさねばとより強く感じていた。当時一部では、それより日本の原発の方が地震災害に弱く危険だという学者もいたが、政府や多くの学者が(今にして思えばお上御用達の学者達だが)ありえないと言いまくっているからそれはないだろうと信じていた。もし地震等で原発が破壊されたら歴代の総理は切腹ものだという確信もあった。地震と原発の関係に注意を促した学者の声はほとんど無視され、一般大衆には届かなかった。

 当時政府やマスコミは北朝鮮のミサイルと原爆をかませて民衆の目を北朝鮮に向けさせていた。僕の結論はやはり反原爆しかないということだった。「ノーモア、広島だ」。そこで芸術家として自分にできることは何かと考えた。これが上記したワシントン、スミソニアン航空博物館でのアートパフォーマンスとなる。

 まず僕は広島へ行って爆心地の土を持ってきた。それをできるだけ固くしてその上に原爆ドームを刷りこむ。これを単に日本でやっているだけでは意味がないので、広島に原爆を投下した爆撃機エノラ・ゲイの前でやりたい。米国が日本に持ち込んだ放射能を元へ返すわけだ。エノラ・ゲイはワシントン、スミソニアン航空博物館に展示されているから、そこへ行くことに決めた。「山彊先生、マスコミが知ったら騒ぎになりますね。だけど一つ間違ったら大変なことになるのでは…」。それをあえてやるのが真の芸術家ではないだろうか。

スミソニアン前庭で作品を作る
 だが2001年の9月11日の同時多発テロ以降、アメリカの公的機関では警戒が超厳重になっていて、入館の前に入り口でカバンの中から靴の裏側まで徹底的にチェックされる。そこで僕が広島の土やそれを固めるためのボンベや溶液を持っていれば爆弾と思われても不思議はない。さらに僕はアラブ人に多い髭を蓄えている風貌だから、イスラムの自爆犯と思われ射殺されかねない。そしてやはりこの8月6日は日本から反原爆の者たちがやってくるとかで博物館は緊張していた。心配して同行してくれた妻が反原爆の人たちは昼過ぎに来るという情報を聞き出してくれた。もともと僕らは原爆が投下された午前8時15分(もちろんアメリカでは時差があるが)にパフォーマンスを行う予定だったのでそれは問題ではなかったが、広島の土などを館内に持ち込むことは不可能とわかったので、博物館の前庭で行うことにした。妻は誰かが僕を不審者と間違えて狙撃するかもしれないので見張り兼、盾となって作業をする僕の傍らに立っていた。彼女は英語の通訳もしているから何か面倒なことが起きたら、夫はアーティストで問題がないと弁護してもらうつもりでもあった。「芸術家の妻も命がけですね」
写真左上:スミソニアンの前庭で、広島の爆心地の土とケイ砂にガラス溶液を混ぜ炭酸ボンベで固め、原爆ドームのシルク版画を刷る僕
作品を土に戻す
 今でもスミソニアンの庭には広島の土が存在している。これは気分として少し快感だ。行かれたら見てきてほしい。
 
 ちなみにエノラ・ゲイは機長のお母さんの名前ということだ。(ふざけてると思う) またエノラ・ゲイは半年ほど前に原爆投下の練習で名古屋と神戸に通常爆弾を落としている。その時僕は疎開先に逃げて行く途中で、自宅から3km離れた矢田川の堤防の上で僕の家が燃えているのを見ていた。もし本当の原爆だったら、僕も今生きてはいないだろう。

写真上:完成作品をそのまま放置すると爆発物として騒がれる恐れがあり、足で潰すことにした。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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