妖怪屋敷での妖怪展終わる

妖怪屋敷での"妖怪展"終わる

妖怪展展示風景1
 8日間に及んだ我が家での妖怪展がやっと終わった。皆さんからいろいろな感想をいただいた。
写真右:会場風景
 「自宅でやると言うのがおもしろいですね。作品を見るだけでなく、作家がどんなところで制作をしているか分かるし、画廊や美術館では味わえないくつろいだ雰囲気がいいですね」というものや、逆に「自分の家でよくやりますね。すごく大変だし、危険じゃないですか」という意見もあった。しかしだいたいの人が、庭に面した縁側のある部屋でおしゃべりやお茶を楽しみ、「自宅個展はいいですね、これから流行になるのではありませんか」とまで言って下さった方もいた。

 今回の個展は自宅で開催することにしたため、案内状を郵送で送ることはほとんどせず、会った人に直接手渡したり、ブログでお知らせしただけだった。でもこれが正解だったかもしれない。これ以上の方が見えたら狭い家なので、対処できなかったと思われる。

NHKの生放送風景
 しかしテレビやラジオで放送されたので近所の人々や2,30年会ってない教え子たち、全く知らない人もテレビで知ったと言って見に来てくれた。NHKは『名古屋力・妖怪篇』の出版に関する中日新聞の記事を読んだディレクターが、妖怪展をテレビで放映したいということで生中継となった。

写真上:NHK生放送の風景
夕方のニュース番組で放送され、これの宣伝効果が大きかったようだ。つボイノリオさんもラジオで宣伝してくれてうれしかった。その他NHKラジオや東海テレビでも放送された。
 そんなわけで結構多くの人に来ていただいたのだが、同時にたくさんの人がみえた時は混雑し、ゆっくりコーヒーを飲む時間もなかったであろうことなど、申し訳なく思っている。

 来年は名古屋市美術館や高浜市のかわら美術館でも妖怪展をやるとかで、その関係者も見えた。妖怪展は確かに今の流行のようだ。ただ僕が気になるのは、昔から伝わっている妖怪絵を並べて解説するだけではどこの妖怪展も同じになってしまい、つまらないものになってしまうのではということだ。何か新しい切り口がないと人々にそっぽを向かれるかもしれない。そのこともあり、この僕の妖怪展を見に来られたのだろうと思う。
 僕も妖怪についてブログで書き始めたころは、妖怪に関する本など誰が書いても同じものになるから、出版しても読まれないだろうと思っていた。僕が妖怪本を出版しようという気になりだしたのは、尾張徳川藩主の落ち延び街道とその中に妖怪話等怖い話がいっぱいあることに気付いたからだ。しかもそのど真ん中に僕が住んでいる。それに関して小さい頃から親父やおふくろから聞かされた話もある。こういったことを絡めて書いていけば面白い本が書けるのではと考えた。そして書いていくうちに自分でも楽しくなり出版しようという気になったわけだ。

妖怪展展示風景2
 さらに僕は絵描きだからついでに挿絵も描いてしまおうと思って100匹の妖怪絵を描き、おまけにもっと大きな絵も描こうと、描いた妖怪を集合させた300号の大作『妖怪の墓場』を描き、ここまで描いたなら妖怪展をやろうというわけで今回の個展に至ったのである。
写真右:展示室風景
 皆さんにも楽しんでもらえたら幸いである。

 さて話が戻るが、我が家でやった妖怪展で気になることもある。グループで10人ほどの人がみえた折、(そのグループは全員僕の知っている人々だが)、それに紛れて全然知らない人が一人入って来た。玄関のところで記名をお願いしているのだが、その人は名前も書かず(その時僕は他の人に説明をしていたので忙しかった)、その後家の中をあちこち見て、3,40分ほどいて出て行ってしまった。雰囲気的に気になったから声をかけようと思っていたのだが、知らないうちにいなくなってしまっていた。最近僕の家の近所はたくさんの家がドロボーに入られていると聞いているので、すごく心配だ。
 勿論こんなこともある程度計算していて、防犯カメラを設置してビデオにも撮っている。でも入られてから犯人の映像を見ても、ある意味手遅れかもしれない。そこでその後は戸締りには念を入れている。しかし台所の入り口だけは一重ロックしかできず、そのため開けると食器が大量に落ちて割れる工夫をした。妻が非常に嫌がったけれど、泥棒に入られるより茶碗が割れたほうがましだと嫌がる妻を説得。音で脅して泥棒を追っ払う作戦に出た。
 以前にも書いたが、この方法はパプアニューギニアへ僕が一人旅をした折、奥地のホテルでとった手でもある。客部屋が独立しているバンガロー形式のホテルで、現地の人がラスカル(ギャング)が出るので夜は外出しないよう(5時以後町として外出禁止令が出て、街には誰も出ていない)注意してくれた。勿論それに従って夜間外出は控えたが、なんとホテルのドアのところまでラスカルがやって来た。ノックをして警察の者だと言うのだが、様子がおかしいのでフロントへ電話して確かめたらラスカルだと言う。じゃ助けに来てくれるのかと思ったが、全然助けに来る気配がない。彼等も怖いのだろう。面倒なことに巻き込まれたくないのだ。ノックは相変わらず続いている。僕はドアの一つだけのカギでは不安なのでドアの前にテーブルや椅子を置き、その上の隅にありったけの茶わんや花瓶など部屋の中にあった音の出るものを置いた。強引にドアを開けるとそれらが床に落ち大きな音がするようセットしたのだ。大きな音が出ればギャングも驚いて逃げるのではと。僕自身はトイレに入って中からカギをかけ恐怖で震っていた。ラスカルたちは数10分(僕には数時間に思われた)ドアノブをガチャガチャやっていたがホテルのカギは頑丈で壊せなかったようだ。
 今回台所のドアで試みた防犯方法は僕に何年も前のパプアニューギニアの旅を思い出させた。そういえば水木しげるも戦争時にパプアニューギニアに出兵している。妖怪がらみの面白い偶然だろうか。不審な人物が僕の思い過ごしであることを願っている。
 いずれにせよたくさんの方々に来ていただき、ここでお礼を申し上げたい。有難うございました。


 毎度恒例の名古屋百鬼夜行図の妖怪から2点を紹介させていただく。今回はドロボーの話に関連して名古屋名物花ドロボーの妖怪とパプアニューギニアの妖怪を取り上げたい。

開店花鬼
⑯ 妖怪『開店花鬼』   
写真左

 店が開店するとお祝いに花輪を出す。名古屋では開店祝いの花は勝手に取ってもいい(?)ものとされ数分の内に盗なくなる。名古屋人はこれをエコな再利用と思っている。伊勢の遷宮で取り除いた建築材はもう一度桑名や周辺の鳥居等に利用される。同じように自分に都合よく思っての行為なのだろうか。けれどドロボーだよね。



パプちゃん





⑰ パプアニューギニアの『パプちゃん』   写真右

 我が家にあるパプアニューギニアのお面を参考にした妖怪。この地ではお面をかぶることで死者と生者の中間、すなわち妖怪になると思われている。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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