フェルメール展 ― 豊田市美術館

フェルメール展 ― 豊田市美術館
「フェルメールが人気の理由は?」 
 
 「フェルメールはホントにすごいよ。写真機の無かった時代によくあれだけの描写力で描いたわね」「ほぼ同じ場所を置物や人物を変えることで多様に描いている。きっとあの絵の中には何か凄いメッセージが隠されているのよ」。この2つがいつも聞かされる僕の周辺のフェルメールに対するほめ言葉。フェルメールを文学的にあるいは知的に評価することで、自分の知性レベルを上げようと図ってのことか。勿論僕もフェルメールが嫌いでないし、彼の絵を認めている。だが上記の内容からではない。

ダリ 記憶の残像
  「写真のようで凄い技術」と言うのは、この時期のオランダ絵画全般に言えることで、カメラオブスキュラの技術を用いてほとんどの画家は、もう写真機並みの絵画表現ができるのが当たり前だった。その中で画家たちは少しでも他の画家から抜き出ようと、ある者は港を専門に書いたり、田舎の情景を写したりした。勿論花とか家畜、美女という専門分野もあった。海外発展により植民地を獲得し最盛期を迎えていた17世紀のオランダにおいて、貿易でしこたま稼いだ商人たちは競って絵画を買い求めた。絵画市場が発展してくると花の絵ならだれ誰に頼めばいいと直ぐ分って都合がよかった。

マグリット白紙委任状
 それに加え驚かされるのは、ダリやマグリット等の現代美術でも使われる「だまし絵」がもう登場していたことだ。例えばキャンバスの表面に、キャンバスそのものの裏側を実物そっくりに描いたり、果物を並べて人の顔を描いたりしていたことだ。写実絵画でやれる実験はすでにこの当時において全てやりつくされていた。オランダの写実絵画は17世紀においてすでにここまで来ていた。

写真右上:ダリ作「記憶の残像」1931  
写真右下:マグリット作「白紙委任状」1965

    
 フェルメールの作品に同じ情景が多いのは、カメラの原理に近いカメラオブスキュラで描くため、太陽光線を最適な条件で利用できるのがあの場所だったからだ。彼はある意味で、日曜画家と称してもよかった。注文を受けてお金のために描いた作品は一、二点程であった。絵画好きの彼は、時間が出来たらいつでも描ける自分の居間を背景とし寓話をかませ、制作していたのだった。作品中、モデルが変わっても着ている服は同じ(黄色で襟が白)絵が5点もあった。彼の売る気のなさや、台所を背景にした作品などに見られる、この構えない庶民性が観る人の、特に日本人の心をとらえたのではないか。

フェルメール 婦人と召使 フェルメール真珠の首飾りの女
左 フェルメール作「婦人と召使」1667   右 フェルメール作「真珠の首飾りの婦人」1664
 
 まあそれに美術鑑賞が趣味と言う人は、連れションファンも多い。僕の友人がマドリードでピカソの「ゲルニカ」を観てきて感想を述べた。「すごいね。前に立っただけで震えがきた。筆のタッチひとつ一つが輝いていたよ」と。とんでもない。あの作品は恋人のドラマールにアイデアをもらい彼女も手伝って描いたもの。ゲルニカは世界最初の反戦アートとしての価値がすごいのに、日本の美術鑑賞趣味人はよく知られ、皆が褒めるのは絵画技巧が優れているからだと思っている。フェルメールファンの多くもこれに似ているのではないか。今回の豊田展ではフェルメールの作品中「地理学者」の1点のみの展示であったのが少々残念だが、この時期のオランダは商人が大活躍した貿易大国であり、その豊かな財力を芸術に注ぎ込んでいた。そういった歴史的背景をも考慮して豊田展を見ると、フェルメールの作品が1点しかなくても見ごたえがあるのではないだろうか。
 
 上記の文中に出てきた黄色の同じ服を着る女性を描いたフェルメール作品2点と、当時オランダで描かれた「だまし絵」2点(キャンバスの裏をその通りに描いたのと、果物で人の顔を作ったもの)、それにダリとマグリットのだまし絵を参考に載せてみた。
アンチンボルト 四季「夏」 ヘイスブレヒツ
左 アルチンボルト作「夏」1563  右 ヘイスブレヒト作「キャンバスの裏面を描く」1660  

和歌山ビエンナーレ大賞作品

 実は僕もこの様な「だまし絵」作品で世界的な賞をたくさんもらっている。アルミ板のキャンバスにボルトや椅子を描き、その根元を釘で打ってへこみをつけ、2次元を3次元に見せるトリックを使ったものだ。オランダの絵を見ながら思考は似ていると驚いている。

写真右: 山田彊一作「ボルトB」1985和歌山版画ビエンナーレ展大賞作(国際的なコンクールで世界中から出品があり賞金額も最高のコンクールだった。審査員にはあのサム・フランシスもいた)

IBM絵画コンクール大賞作品IBMポスター
写真左:山田彊一作「椅子」1986 IBM絵画イラストコンクール大賞作品   写真右:翌年のポスタ―になった私の大賞作品
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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