名古屋妖怪街道マップ作りました

「名古屋・妖怪街道マップ」を作りました

ジュンク堂芸術新刊話題書
 僕が先日出版した『名古屋力・妖怪篇』が本屋に並んでいる。東京の紀伊国屋書店にも並んでいるとか。名古屋のナディアパークのジュンク堂7Fには2か所に並んでいる。写真右:ナディアパーク、ジュンク堂7F、芸術新刊話題書コーナー
 嬉しいことにいろんな人から感想が入っている。東海ラジオの「聞いてみゃ~ち」の宮地佑紀生さんもすぐに生放送で紹介してくれて、美人の神野アナと並んで写っているはがきも送って頂いた。愛知トリエンナーレの準備に忙しい神田元愛知県知事や日本民族芸術学会の木村会長、妖怪研究の第一人者である横浜国立大学の一柳教授等々から、お褒めの手紙をいただいた。

 今までの妖怪本は江戸の妖怪図鑑の説明が中心であった。また過去に語られた妖怪を整理分類したり、どの土地にどんな妖怪がいるのか、その謂われは何かなどの検証が中心であった。僕の考えでは、前にブログでも書いたように、妖怪は人間の想像力が生み出したものでありそれ故、今後も生まれてくるだろうし、また個人の考え方によっても妖怪のとらえ方は千差万別だろうというものだ。だから芸術と同様、妖怪話も創造のアートと考えている。

ジュンク堂郷土の本
写真左:ナディアパーク、ジュンク堂7F、郷土の本コーナー
 それ故「山田家の伝承、山田さんの自伝(?)とセットで語られることで…山田さんの推論がとてもユニークです」とも言われたのはうれしかった。「表紙がいい。絵も描けるからすごいし、読むほうも倍楽しめる」とコメントしてくださった方もいた。

 要望もあった。「妖怪街道に出てくる場所がいまいちはっきりしない。マップでも作って分かりやすくしてくれないか」「妖怪街道を歩きたいがどう歩けばいいか」というものだ。僕自身は名古屋で生まれ育っているから地名を聞けばピンとくるが、そうでない方には分かりづらいだろうと反省した。そのためさっそくマップを作らせていただいた。

 ここで一言。マップに沿って妖怪街道を歩いたからと言って妖怪は出ませんから、危険ではありませんよ。けれどひょっとするとそうではないかも。妖怪はそれぞれの人の心に住み着くもの。これまでに人を貶めたり、動物虐待の覚えがある人は気を付けてください。

 妖怪街道の途中にある我が家「妖怪屋敷」に寄っていただいてもいい。本のサインもしますし、僕の描いた名古屋百鬼夜行図が気に入られたら、そのカラーコピーも差し上げます。僕は夏休みで家にいることが多く、畳2枚ほどの大きさの絵「百鬼夜行の墓場」も2点、描き始めているから見ていただける。(徳川園正門前から北に下る坂道を、自転車をこがずに転がし止まったところがおんぼろ我が家、妖怪屋敷です。途中信号が一つあるので赤だと交通違反になり、亡くなって本当の妖怪の世界に行ってしまうこともあります。ご注意)


名古屋妖怪街道マップ

①土居下‥江戸時代に「御土居下御用組同心」という隠密屋敷があった。殿様が城から定光寺、木曽山中まで逃げのびる案内をする役。
②久国寺‥岡本太郎作の角が生えた釣鐘がある。名古屋城の魔除け寺。三河宝蔵寺から家康公御用達の「開運菩薩」を譲り受け建てられた。
③尼ケ坂〈幽霊坂〉‥町娘が武士と恋をして妊娠し、捨てられ尼さんになるが杉の木で首つり自殺をした坂道。子供も母を追って途中で亡くなりそこを坊ケ坂(尼ケ坂の東50m)という。この辺りは昼でも暗く、人々から怖がられた。処刑場もあり晒し首もあったそうだ。戦後、アメリカ軍用の遊郭が北側にでき、鬱蒼とした森を南北に縦断する道路を市が造る。
④延命閣地蔵院‥久国寺から六地蔵の1体をもらい受け、怨念を鎮める為に建てられた。
⑤片山神社‥尼ケ坂の中央にある寺。伊丹十三宮本信子がここで式を挙げる。都心なのに非常に暗い雰囲気がある。
⑥片山八幡神社‥別名大曽根八幡神社といい江戸時代に尾張藩2代藩主光友が改修。僕の祖父が戦争まで全氏子総代をしていた。
⑦胞衣塚‥光友の母が光友の出産時の胎盤等を埋めた所。僕のおやじに言わせると遺体もこの中に葬ってあるのではとのこと。大曽根屋敷の正門のすぐ前にあるのがその証拠だと。記念に寒椿が植えられていたが、米軍のB29に爆撃をくらい消失する。
⑧徳川園‥光友の隠居屋敷。徳川美術館には尾張徳川家の宝物が展示され、その中の『源氏物語絵巻』には世界から見学者がやってくる。
⑨六所神社‥光友が改修した神社。片山八幡神社が管理している。二月の『かっちん玉祭り』には竹に蛇が巻き付いたような飴が売られる。人々はこれをへその緒とか松明の変形だという。境内に『竜王神社』があり、開幕の折ドラゴンズの選手がお祈りにくる。
⑩長母寺‥全国に100程の末寺があったが秀吉に巻き上げられ、その後、落ち延び街道を意識してか光友が再興させている。ここにいた『無住国師』は亡くなる前「自分があの世へ行っていいところなら庭の木に別の種類の木を生やそう」と言って亡くなる。寺の本堂前に生えていた木の1本から、別の木が芽を出したという。あの世はいいところということになった。三河万歳のルーツはここにあり、お経を歌うように唱えたのだという。
⑪守山城跡‥家康の祖父松平清康は馬が啼いたため家来に殺された。これを『守山崩れ』という。徳川軍はこれで撤退する。この丘の上にある宝勝寺に織田信秀の位牌がある。
⑫大森寺‥光友が母、お乾の方のために建てた寺。義直がこの辺りで雨宿りして、見初めた農家の娘。将軍の子を産むのに自然分娩ではなく、腹をたち割ったと庶民はささやいている。
⑬龍泉寺‥家康との戦いで秀吉は火をつけて撤退。山門だけ焼け残る。ここには怒った形相の馬頭観音が祀られている。
⑭円福寺‥春日井の中央にある丘の上にある。ここにも『八百比丘尼』の墓がある。妖怪好きの奥田瑛二はここの育ち。近くに義賊の曽呂利惣八の墓もある。
⑮定光寺‥徳川義直の菩提寺。彼の死んだ折、殉職者が9人も出ている。家康は0人、秀忠は1人。家光が禁止してしまった。
⑯建中寺‥尾張徳川家の菩提寺。光友が建てる。
当時の尾張の税は四公・六民であったとか。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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