餓鬼草子 太郎と花子シリーズ 山田彊一 20代後半(1960年代)の作品より

太郎と花子シリーズ   山田彊一 20代後半(1960年代)の作品

講談社現代の美術全集
 さて先回のブログでニューヨーク14人展の「婆羅門シリーズ」を紹介したが、そこで知り合った小田譲氏、小本章氏、糸園和三郎氏たちと付き合ううち、現代美術の動向についていろいろ気付かされた。例えば、公募展に入っているのはもはや時代遅れでること、絵画において色や構図だけににとらわれるのも同様に、過去の遺物であることなどだ。
 東京や世界の美術動向に大いに刺激を受けた僕は公募展の春陽会を辞め、自分の心の裏側へ入ることに邁進する。そしてできたのがこの「餓鬼草子 太郎と花子シリーズ」だ。和紙と墨を使った作品で、60年代、毎日新聞が主催していた現代美術展にこのシリーズで3度も入選したことで、自分の進むべき方向を確認した。

現代の美術第3巻
 また講談社が戦後初めて出した「世界の現代美術 art now 」全集(写真右上)に僕の太郎と花子シリーズが収録され、またまた有頂天になったことを思い出す。
 この全集の第3巻(写真右)に掲載された僕の作品の裏側のページには河原温氏の作品が掲載され、他の巻にはピカソやマチスも取り上げられていた。全世界で合わせて百数十人の作家が掲載されている。勿論名古屋からはただ一人で、僕が名古屋の保守的な美術界を変えていこうという気概に燃えたものだった。

MAN AND MAN 4 現代の美術第3巻より
写真上:現代の美術 第3巻に載った僕の餓鬼草子 太郎と花子シリーズの作品 MAN AND MAN 4

現代の美術第3巻より
写真上:その次のページにある河原温氏の作品と作品解説

 この後僕は、当時愛知県美術館に若い作家たちがゴミを出したゴミ事件を応援し、いわゆるゴミ裁判で針生一郎氏などとともに原告側の証人になったり、反体制的な美術活動を行っていく。だがこのことがこの地のほとんどすべての画家たちを敵に回すことになり、村八分等で僕は地獄を見ることになる。この太郎と花子シリーズ作品は30歳で描くのを止め、その後は政治運動に走ったり、またコンセプチュアルアートとしてガンジス川の水を持ってきたり、恐山の石の積み上げ、ヒマラヤの中腹にあるといわれる伝説の須弥山を護衛する青鬼にポルノ写真を印刷したりなど、世界を回ってパフォーマンスアートを展開した。そういったこともこれから語っていきたい。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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