名古屋の芸術の活性化のために

名古屋の芸術の活性化のために

 新学期が始まった。また若くてかわいい学生たちに会える。この年になると若ければすべてがかわいらしく思える。だが青春のど真ん中にいる女子大生を教えることは、教える側もそれに対処しなくてはならない。先生が腰を曲げて教えていては彼女らのやる気をそぐ。何歳であろうとも、矍鑠としてやる気満々という態度で教えようと常に思っている。

第2回Dアートビエンナーレ
 今回のクラス(大学3年)には2年前に堀財団の第2回Dアートビエンナーレに1年生で入選した学生がいる。
写真右:第2回Dアートビエンナーレの会場風景
30歳前後の入選者が多かったから、なかなか才能があると言える。本来なら同級生や上級生から、すごいねと尊敬され、憧れの的となって、本人も大いにやる気になっていると思っていたら、意に反して元気が無く、友達の前で出しゃばることも無く、おとなしくふるまっている。「どうしたの。失恋でもしたの?」と、冗談っぽく聞いてみたがはっきりした答はなかった。

 そんなこともあり、授業の最初には学生たちにやる気を起こさせる話をあえてしてみた。「来年は卒展があるだろう。頑張らなくては」と。みんなと同じように先生も昔、美術関係の大学へ入ったが、大学へ入ったことを無駄にしないよう、すぐ目標を作った。1カ月に一度は泊りがけのスケッチ旅行をしょう。そして1年の終わりには同学年で一番絵がうまくなろう。2年生になった折りには先輩の3、4年生よりうまくなろう。卒業する時には少なくとも周辺の名古屋の絵描きには負けないようにしよう。そうすれば彼女はきっといくらでもできるし(ここに至って不純な動機が露呈されるが)、就職にも困らないだろうと思ったからだ。でも実際にがんばったおかげで彼女には一度も困らなかったし、大学生活での充実感もあった、云々。
 すると学生から「山彊先生、森岡完介先生は後輩なんでしょう。今でもかっこいいから当時はもっとすごかったのじゃないですか」。と言われた。彼はいつも若者好みのブランド品を着こなし、学生たちの評判もすごい。「中古品だと自分でいってたよ」と僕。「中古品でも十数万円はする品ですよ」。

 ところで授業後、感想文を兼ねた出席カードを集めたら、その2枚に「先生、周りを気にせず思い切り大きな作品を描いていいのですね」というものと「外の展覧会に自分だけ出していいんですか」と書かれたものがあった。後者はDアートに入選した学生以外の出席カードで暗に入選した学生を指していることは明らかだ。そうだったのか。大きなコンクールに1年から入選し、これからが楽しみと僕は彼女に期待したけれど、彼女に対する周りのプレッシャーは大きかったようだ。周りとうまくやっていこうと考えたら、一人だけ抜きんでて目立ってはいけないのだ。
 和は確かに大切だ。でもこの思考では、進歩が無い。特に名古屋人には出る杭を打ちたがる風潮が強い。先回おこなわれた堀財団による大賞100万円の三美術大学の選抜展にも、いい作品が集まらなかったのはここにも原因の一つがあると思われる。これでは名古屋が沈没だ。
 芸術家は走らねばならない。登山家がより高い山を目指すように、一番を目指して進むべきだ。周囲のプレッシャーに負けてあるいは遠慮してぬるま湯にずっと浸かっていたのでは創造的、革新的な芸術は生まれない。時には自己を鼓舞するために大言を吐くことも必要かもしれない。

 ダビンチ最後の晩餐
 あのレオナル・ド・ダビンチなどホラどころか嘘をつきまくっている。彼はグラーツィエ修道院に「最後の晩餐」の壁画を描く依頼をミラノ公から受けた。
写真左:ダ・ビンチ作「最後の晩餐」
描いている最中2年間も給与が滞っているのに、彼は周りに「ミラノ公が毎日のようにやって来て、給金以外に高価なプレゼントを置いていく」と言いまくっていたという。彼の母親は貧乏農家の娘で、貴族のボンボンのお手つきとなったが、嫁入り資金としての持参金も払えず子供も産んだのに振られている。それなのに、母親は高貴な貴族の血筋とダ・ビンチは言いふらしていた。他に数え上げればきりがない。そうすれば仕事も来るし作品も売れる。そしてその作品が彼を史上もっとも有名な美術家にした。

マリーテレーズ
 ダ・ビンチ以外にミケランジェロも、あのピカソもホラと嘘を言いまくっていた。写真右:ピカソの愛人、マリー・テレーズ(彼女は17歳の折り、地下鉄の入り口で当時47歳のピカソに「僕のモデルになっていただけませんか。そして世界のアートを変えましょう」と言い寄られ、その後ピカソが死ぬまで愛人のままで、子供まで産み、ピカソが亡くなった後、納屋で首つり自殺をしてしまった。ピカソの嘘に翻弄された人生だったのではないか)
 ホラとは大言を吐くことであり、歴史に残った人々はホラを実現させるべく大いなる努力をした人々なのだ。
 我々も名古屋の発展のためにもっと大言を吐き、自己ピーアールをしよう。そしてヤル気の出るすごい街にしよう。これはアート界はもちろんのこと名古屋の全てに言えることではないか。

Dアートビエンナーレ募集
 ※前述の学生が選ばれた「Dアートビエンナーレ」だが、今年の第3回展は大賞賞金が500万円となって7月が締め切りだ。写真左:美術手帳にも全ページを使い掲載されている「第3回Dアートビエンナーレ」募集のポスター
 この地の芸術家のみなさん(35歳以下)は、是非チャレンジしてほしい。目立つことを嫌う名古屋の財団がついに世界的なコンクールを始めた。このように名古屋は今後、変わっていくのではないか。それに財団は先年、栄の真ん中にある明治屋ビルと丸善ビルの土地等、全てを購入している。この土地を財団がどうするかによって名古屋も栄もすばらしく変貌するのではないか。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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