恐山でのパフォーマンス

毎朝10分程の視感のひと時

トイレからの庭風景
 「何故襖や障子が変な風に開けてあるの?」。時折閉め忘れて妻に尋ねられる。実は家族が出払って僕が一人になった頃、襖や障子を全開してゆっくりトイレに入る。そうすると庭の一部が眺められる。槇の木やヤツデ、60年も前にアルペン(スポーツ企業)の伯父にもらった苔むした石灯篭が見える。今まさに新緑の季節で、水に濡れた若葉が午前の柔らかな光に輝いている。この時間が僕には最高だ。今日は何をするか、何を描くか、はたまた人生とは何ぞや?等、ボーと一人で考えられるトイレタイムである。

 そういえばこのような時間を僕の人生で前に1度だけ味わったことがある。32歳のころ東北の下北にある恐山の山頂に3日間滞在した折り、下界を見ながら用を足した時だ。7月に寺の例祭が始まり、寺の宿舎は爺さん婆さんで満載になる。車で来て車中で寝泊まりしていた僕にはトイレだけ借りる勇気が無い。若者には入れない雰囲気もある。やむなく車を山頂に向けて走らせ、そこから歩き見晴らしのいい場所へ出る。寺の朝餉の準備で上っている煙をのんびりと見ながらの行為は爽快だ。「死ねばおやまへ行くのだ」という山中他界観も天国や地獄も全く信じない僕は、ニーチェ的な悟りを感じながら下界を見降ろしていた。
       
恐山でのパフォーマンス
 ところでこの恐山へ僕は何をしに行ったのか。ゼウスの怒りで地獄へ落とされたシジフォスは罰として岩を山頂まで担ぎあげさせられる。だがその岩はその瞬間転がり落ちて、シジフォスはまた下から岩を担ぎあげなければならない。いわゆる『シジフォスの神話』だが、ここ恐山でもまさに同じような行為がなされている。信者は硫黄の吹き出る河原に石を積んで死者の供養をする。だが高く積みすぎたその石の山は当然崩れる。次に訪れた信者はまた石を積んでいく。
 このシジフォス的な空しい行為を逆転してやろうと僕はまず崩れない岩山を造った。本物の石を石膏で型どりし、それに車の塗装に使うペイントを塗りこみ軽くて丈夫な偽石を創る。そして中に鉄骨を通し、永遠に崩れない岩山を創る。「どうだ。あなたたちの行為はこんなに空しいものだ」と訴えようとした。写真上:僕が積んだ石の作品
 祭りの間、僕はこの文言を書き連ねた標識を立て参拝者に語りかけた。「山彊先生、それがアートなんですか」。勿論アートだよ。当時は前衛芸術がいろいろな形態に拡散し、あらゆる行為が芸術となりえた時代でもあり、こういった行為はパフォーマンスアートとも言われていた。以前ドイツのカッセルで、著名なアーティストのボイスはドクメンタ展の入口に机を出し、通りかける人に「人生とは?芸術とは?」の議論を吹っ掛けていた。これらの行為で彼は超有名な芸術家となっている。

 「名古屋人はこのような行為、認めないでしょう?」。名古屋人は旧態然とした伝統芸能を芸術と思っているからそうだろう。しかし芸術とは常に新しい表現行為を探し求めるものというのが僕の考えだ。だがいくら芸術とはかくあるべきものと自分自身では思っていても、周囲を納得させられない行為には空しさを禁じえないというのが正直な気持ちでもある。

 3日目の午後4時、早めに作品を畳んだ僕は(やったという充実感よりも、やはり空しかった)車で山を降り、そのまま名古屋へ直進した。途中福島あたりで霧が出て1、2時間休んだがそのまま進む。名古屋へ着いたのは翌日の夜の8時。28時間寝ずに運転をしたことになる。このことの方が僕にとってやったという充実感を伴う刺激的な行為であったかもしれない。

※これ以外にも2度外国の山頂で用を足したことがある。一つはチベットの標高5000mの山頂でのこと。その時も岩に版画を摺るというアートパフォーマンスをしていて、口が渇き水と乾パンを食べたら15分後腹痛が襲い超特急の下痢になったことがある。高山病になっており胃や腸が正常に機能しなかったのだ。この折は脈が常時130も打ち、小1時間も倒れていて死を覚悟していた。もう一回はアマゾン上流でのこと。長寿村研究で山奥にはいったが政府軍にゲリラのスパイと思われ、まず糞をして落ち着いてから逃げ切ってやるぞと思った。だが恐怖で全然排泄物は出なかった。ドロボーがその家に糞をしてくると捕まらないとう謂われがある。中世の画家、ピーター・ブリューゲルは絞首台の下に糞をしている男を描いている。絞首台の下に糞をすると、悪いことをしても、絞首刑にならないという言い伝えがあるそうだ。
      
     <我が家の書斎にあるチベット民族の帽子と偽石>チベットの帽子と偽石
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR