妖怪屋敷 番外編 国府宮裸祭り その2 

妖怪屋敷 番外編 国府宮裸祭り その2 
石による妖怪封じ?

 僕の親爺の目が、一つ潰れてしまった。直射日光の下で新聞を読んでいて、眼底出血を起こしてしまったのだ。医者に行ったが、治らないと言う。さあ大変だ。親父はまだ50代だった。おふくろは真っ青になって寺社巡りや、町神様に高い御祈祷料を払い見てもらいに行った。町の祈祷師の言うことには「家に拾ってきた石があるのではないか。それをすぐもとの所に戻しなさい。石のたたりがあったのです」と、答えたと言う。当時は石ブームでまずどこの家にも、一つや二つの拾ってきた石があったのではないか。そう言えば必ず当たると祈祷師は分かっていたのだ。心当たりが無いと言ったらきっと祈祷師は「奥さま、宝石類はございませんか」とでもくるのではないか。ダイヤもルビーも石だからそれで逃げ切れる。
 ところが悪いことに僕のアトリエにはヒマラヤ山中5000mの所で拾ってきた泥岩、サハラの砂漠のバラ石、サルバドール・ダリの生誕地に転がる穴のあいた石等旅行先で拾った石がわんさとあった。さらに決定的なのは庭には無数に積まれた直径20から30㎝程の玉石がごろごろしていたことだ。この石はその1年程前長良川や庄内川から拾って来たものだった。

東京都美術館、デパートショーウィンドー 当時僕はパフォーマンスアートとして、石膏シートと車用パテで吸盤の付いた軽い偽石を無数に作り、東京都美術館とか国会議事堂、デパートのショーウィンドー等に付けて回っていた。写真上:東京都美術館、デパートのショーウィンドーに付けられた偽石
針生一郎さん宅の玄関にも付けてきたことがある。青森の恐山にも崩れない偽石を積みに行った。その総仕上げに犬山の尾張富士の石上げ祭りに巨大な偽石を幾つも背負って頂上まで運ぶイベントをやった。写真右下:石を担ぐ僕
その為に型を取るいろんな大きさの石を必要としていたのだ。
石を担ぐ僕

 このまま石を家においておけば親父のもう一方の眼もつぶれるかもしれないとお袋に怒鳴られて返しに入ったが、相当数は残った。チベットやアフリカにたやすく返しに行けるものではないからだ。親父の眼は片方義眼となったが、一応元気で92歳まで生きた。1つ目になって以後、大腸がんや前立腺がんを始め、入院期間2年という大きな交通事故にも遭ったがまあ長く生きた。病気でも無いのに健康維持のためと称して町医者にビタミン注射を打たれ、直後に脳の血管が破裂して亡くなってしまった。それがなかったらもっと長く生きたと思われる。
 このことから考えると石のたたり?で目が潰れたとしても、1つ目になったことで神(妖怪)に近付き長寿であったと考えられないであろうか。「一つ目小僧になったのですね」。そうだ。一つ目爺になったのだ。神様の名でいうと「天目一箇神」である。この神は天照大神の孫になるとか。
 親父は尼ケ坂の妖怪エリアに住み、子供である僕に名古屋の妖怪のいろいろを教えてくれた。そしてそれが今回妖怪本となった。

尾張富士石上げ祭り
 ところで前述した尾張富士の石上げ祭りとはどういうものか。この祭りは犬山市の主張によれば、尾張の三大奇祭に入り、毎年8月の第1日曜日に村人が集まって山に石をあげる祭りだ。写真左:尾張富士の石上げ祭り
この始まりは1833年から6年間続いた天保の大飢饉からであったと言う。飢饉中のある日、村長の夢に山の神の娘である「木花開耶姫命」(このはなさくやひめ)が現れ、「村にある尾張富士が隣の本宮山より少し背が低い。ここに石を積んで高くしてくれれば、願い事を叶えてやる」と言ったとか。それを聞いた村人は石に願い事を書いて、こぞって尾張富士の頂まで石を上げたと言う。そのかいがあってか飢饉も収まり、以後この行為がお祭りとして定着し、現代に至っているわけだ。この山の神の娘はその後、天照大神の孫といい仲になり、その妻となっている。実は前出した一つ目小僧の「天目一箇神」も孫の一人。

 「この石、前章で書かれていたギリシャやチベットで新年に罪人に投げつける石と関連があるのでしょうか」。同じようなのもだと思う。前述した文から考えると、石は神や妖怪の仲間のようだ。罪人を殺すなら刀や槍を使えばいい。石をぶつけて殺すのは神とも繋がる石によって穢れを取り去る意味もあるのではないか。
 「山彊先生、先回国府宮の裸祭りとギリシャやチベットにある新年の災い追放行事と同じだと書いていましたが、国府宮では石が登場しないし、神男に触りに行くことになっていますが?」。日本の祭りはほとんど儀式化しているから、生贄と言ったスタイルはとらなくなった。この国府宮では確かに石は投げないが以前は石が御神体であったようだ。

磐境 本殿の近くに磐境(いわくら)と呼ばれる5個の大きな自然石が円形に並んで立っている。写真左:磐境(いわくら)
この石のサークルは社が建てられる前の御神体であったと言う。以前なら悪者にこの石を砕いてぶつければ、より効果があったと思われるが。それが儀式化して無くなったと思われる。

大鏡餅
 先日国府宮の裸祭りで神男をやったことのある男の母親から、小さく砕いた鏡餅をもらった。写真右:国府宮祭りで配られた鏡餅の1つ
これが石代わりのつもりかもしれない。その母親から聞いたのだが、神男は本当に丸裸で祭りが終わるとチンチンがはれ上がり、おしっこも大変であると言う。どうも祭りへの参加者は神男のペニスに触れば一番ご利益があると思ってそれに突進するようなのだ。ギリシャやチベットのように石は投げつけられなくても、神男はそれに近い攻撃を受けるわけだ。
写真下:国府宮、死に物狂いの神男の腿が見える
神男に群がる人々

 ところでまた偶然の事実が判明した。前記の尾張富士の山の神の娘「木花開耶姫命」を祀る神社が名古屋に2社だけあるが、その1つが御器所天満宮で、何とここの息子は僕が担任したクラスのよく可愛がった教え子だった。しかもこの本を出すきっかけを作った妖怪バスターの教え子とも、近くに住む先輩後輩の仲であった。また驚くなかれ「木花開耶姫命」の姉妹が石の神様である「石長比賣神」(いわながひめのかみ)といって長寿の神様で、この天満宮のもう一つの守り神なのだ。ここには重軽石といって神様にお願い事をして石を抱きあげ軽いと願いがかない、重いとさらに努力せよという石がある。もう1つが大須にある富士浅間神社だ。ここは敗戦前まで妻の祖父が全氏子総代をしていた。

 なんだか僕の周辺で石が入り乱れている。世の中は不思議な見えない糸でつながっているようだ。僕等はそんな糸の中で絡みあったり、あるいは助けあったりして生きているのかもしれない。この文を書いていたらそんな思いに駆られ、玄侑宗久の「中陰の花」が思い浮かんだ。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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