会田誠展 森美術館

森美術館で「会田誠展」を見てきた(続編)

会田誠展図録
 先回のブログでは「会田誠展」の内容そのものには触れなかったので、今回は作品の感想等を述べてみたい。会田誠は現在、草間弥生や奈良美智、村上隆と言ったヒーローの次を担う作家と言っていい。このグループには山口晃や森村泰昌も入ると思う。
写真右:会田誠展の画集

 さて、まずこの美術展で言えることは、これまでに見たことのない興味ある展示方法であるということだ。すごくおもしろかったが、一つ間違えると高校の文化祭の延長線にある展示方法に見えてしまう危険性もある。まあ「会田誠高校」の展示会と思われるのも、いいかとも思ってしまうが。というのはもし従来からある展示方法にすると、会田の持つ作品の良さが無くなってしまうからだ。1800年代中頃から始まった印象派、それに続く立体派、抽象派、等等を経てその後に現れた前衛絵画から現代美術に至るまで続いていた創造性を重要視する見方がもはや通用しないアートの領域に入っているのが、現在の美術だと理解して見る必要がある。
 つまり何でもありの美術展で、会田誠の脳内で生まれた全てが混沌としてそこに展示されているのだ。一人の作家で、これだけ技法や思考が違う展示作品を見ていると、作品のそれぞれを見せると言うより会田誠の哲学を観る思いがした。会田に言わせると、それほど構えたものでなく、ひょうひょうとした自分を出しただけと言うだろうが。

 ところで会田誠の作品だが、今の僕ならまず絶対制作できない作品が数点ある。あの9.11事件の首謀者オサマ・ビン・ラディンのインタビュー映像の真似をした、コミック風の映像だ。作者は焼酎を飲みながらこたつに入ってメッセージを述べている。こんなことをしたら日本に潜伏しているアルカイダに襲われるのではないか、ひょっとしたら彼等が乗っ取った飛行機でニューヨークのように、森美術館に突っ込んで自爆テロをされるのではないのか等、僕なら考え込んでしまう。それをやってしまうのにまず驚かされる。又「美少女」という文字に向かってする自慰行為も恥ずかしくて僕にはできない。しかしオサマ・ビン・ラディンに似せた映像は、恥ずかしさ以上に自分の生存、あるいは日本全体にかかわる問題を含み、まずできないと思った。
 さらに単純な鳥居を描いた作品に「天皇陛下万歳」の文字も今の僕には書けない。法律を恐れない右翼が怖い。何時街宣車が家の前に来て大声で怒鳴るかもしれない。平山郁夫のサイン付きの戦争画の模写も、多いに理解はできるが発表するのは怖い。会田誠が東京芸大の学生の頃、平山郁夫が学長だったので「あんなお上べったりの、下手くそな画家が何故?」とでも思っていたのが作品となったのだろう。

 僕も若い時には、ゴミ事件をはじめとして様々な反体制的美術行動を起こし、作品としても発表した。反骨精神と闘争心が創作意欲の源泉だった。できないと感じるのは年を取ったからなのか。「いえいえ、以前と比べてどうかはわかりませんが、山彊先生は今でも闘争心のかたまりですよ」

電信柱カラスその他
 僕が会場を回って感じた第一印象は、60年代のなんでもありの読売アンデパンダン展に似ているということだった。しかしよく見てみると内容はそれだけではないことに気付いた。
 例えば、電線に止まったカラスがちぎれた人間の指をくわえている。その電線に少女のセーラー服が引っかかっており、カラスが突っついている。そこが血に染まって赤くなっている。この作品を見ていると作者の内部に巣くう思考(タナトスとエロス)のすごさを感じる。
写真右:電信柱、カラス、その他

 サラリーマンの亡骸をピラミッド状に積んだ作品には、共感を覚える。僕も20代後半には平安時代に描かれた餓鬼草子内の餓鬼を現代風にアレンジし、無数に描いている。モデルはどちらも社会に利用され最後は忘れられた者たちだ。同じ思考上にある絵だと思う。
写真左:「灰色の山」無数のサラリーマンの屍骸 写真右:40年前に描いた僕の作品「太郎と花子」より
灰色の山太郎と花子
 また金箔の張られた大きなキャンバスにゴキブリが1匹だけとまっている作品は見学者の目を引く。高価な金箔の上に嫌悪をもよおさせるゴキブリ。これもシンプルな割に狙いは大きなものになっている。私は数年前から大きなキャンバスに蠅を一匹、二匹だけ描いた作品を創っている。これも似ているように思える。
写真左:金屏風に描かれたゴキブリ 写真右:白いキャンバス上に描かれた蠅(現代の僕の作品)
火炎縁ゴキブリ図白いキャンバスに描かれた蠅
 会場の中に広告紙をキャンバスに無数に貼りこんで、その上にごちゃごちゃに絵具を塗った作品がある。60年代のアンデパンダン展によくあり、ただのアクションペインティングの真似かと見過ごすところであった。会田作品はそんな単純ではない。この作品は第2次世界大戦中南方戦線でまるっきり虫けらのように殺されまくった日本兵のつもりなのだ。ごちゃごちゃに描かれた形の分からない絵は兵士の残骸だろう。それが描かれている広告の紙は、かつて日本兵が玉砕したグアムやサイパンの旅行パンフなのだ。ただの抽象的な作品ではなく、見る人に訴えかけている作品だ。

 60年代のポップアートから70年代のコンセプチュアルアートを過ぎ、アートは終わったといわれる中での展覧会として、僕には納得のいくものであった。拡散した芸術概念は、もうその人間の生きざまがアートになっていると言っていいのではないか。それを会田誠展は再確認させてくれた。
また性的にせよ反戦、反天皇画にせよきわどいところまで踏み込む展示を許す、森美術館の許容範囲の広さには敬意を表する。他の美術館だったら館長らがビビってやれないのではないか。これを企画した森美術館には頭が下がる気がする。

 最後に付け加えると、図録画集に文を載せている評論家は、今や日本の美術界を背負っているような歴史美術学者の山下裕二だ。実は僕は30年ほど前から水墨画家の雪舟について研究をしてきているが、あまたの雪舟研究者の意見に賛成できないところが多々あった。しかし権威ある学者達に反論を唱えるには、自身の歴史的究明がまだ十分じゃないからなのか、などといったことを気にして本にする勇気が出なかった。
 ところが10年程前に山下裕二の雪舟評論を読んで気が楽になった。なにしろ彼は雪舟についても的をえた、痛烈な文を書き連ねている。たくさんいる雪舟研究者に対して、「そろそろ雪舟アートについて、本音で語ろうではないか」と言うようなことを平気で述べている。岡倉天心やフェノロサに付いても遠慮が無い。彼は雪舟の価値の本当を知っていると思う。僕が雪舟について恐る恐る書いていたことを彼は普通に書いている。彼のおかげで気軽に雪舟論を書けるようになったのはいいが、僕の内容が彼の二番煎じ文になってしまうのではと思い、書こうという意欲がそがれているのが現状だ。
 これまで日本の美術界を引っ張った滝口修三や針生一郎、中原佑介が亡くなり誰が次に出て来るかなと思っていたら、彼であった。歴史学者でもあり、現代美術の学者としてもすごい洞察力を持っている。権力に擦り寄っていないところがまず立派だ。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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