有毒濃霧PM2.5と上用饅頭

有毒濃霧PM2.5上用饅頭

上海港に入る鑑真号
 中国、北京等での高濃度スモッグPM2.5が問題になっている。一昨年に僕は3度、北京や上海に展覧会や雪舟の調査で訪れた。飛行機が中国の手前に来た折、前方の空に真っ黒な雲の塊がかぶさっているのを見て、たまげたことがある。これだけはっきりした現象だから誰でも気付き、危険を訴えていると思った。ところが誰もその声をあげなかったとみえる。
写真右:2011年9月8日午前9時晴天 僕の乗った鑑真号が上海港に入る

写真下:2011年9月11日午前10時、晴天というのに薄暗く、ニンポーのホテル18階から町と川を見下ろすが、靄がかかってよく見えない
ホテル18Fから見降ろした街
 北京では通訳が「今日は曇っていて視界が悪く申し訳ありません」と、我々に先ず謝った。「曇っているんじゃなくて、これはスモッグだよ。高いビルの屋上は見えるのに前方が見えないのが証拠だよ」と幾度も訪れて状況を知っている僕が反論した。中国で仕事をしている日本人の社長にも確認したが、「いや、これは湿気が多い北京だから雲だと思う」という返事。きっとスモッグと言うと常に見張っている通報者がいて、大変なことになるのだろう。まともに汚染の数値を発表していたのは、米国の大使館だけだったと言う。その結果が今日の状況を生んだのではないか。僕は気にせず自身のブログで訴え続けていた。たまにパソコンの調子が悪いと「中国に監視されているのではないか」と思ってしまう。

スモッグで霞む北京駅
 僕は何回も中国に行っているが、10年以上前に北京に行っていった時もやはり今ほどではないけれどスモッグで視界が悪かった事を記憶している。晴れた夜でも月や星を一度も見ることができなかった。今は昼間の太陽まで見えなくなっている。大気汚染はかなり前から進行していたのだ。
写真右上:1997年 晴天なのに霞んで見える北京駅(後方のビル)
 
 その後2月17日の中日新聞には、またまた大気汚染のニュースが出ていた。中国北京、「休み明けも有害濃霧多量発生。高速道路が閉鎖され、旅客機も遅れる」と出ていた。9日~15日の春節大型連休中は企業の生産活動の中止で比較的汚染指数が低かったらしいが、もう元に戻ったようだ。これ等の新聞記事を読んで少し安心したのは、これ等の記事が中国の新聞等に取り上げられるようになったことだ。(それだけ汚染度合が高くなったと言えるが)これまでは学者も新聞記者も分かっていたが、言えば出世が止まったり、自分の子供らに災いが及んだだろうから何も言えなかったのだろう。

万里の長城にて
 もうこれで中国へ行って「PM2.5の汚染で街がもやっているのですね」と言っても平気かなと思えるようになった。ガイドと言い争わなくていい。だが気になることもある。中国には知り合いも多くメールのやり取りもあった。ところが尖閣諸島事件以降、向こうからの連絡はほとんどなくなってしまった。日本人とメールのやり取りをしていることが知れると都合が悪いのだろうか。
写真上:1997年 北京芸術大学の教授に案内された万里の長城(あまり観光客の行かない所)でカメラを構える僕。天気は晴れだったが青空は見られなかった。

 ところで一昨年に開催された僕等の美術展では嬉しいこともあった。僕がオープニング用のお菓子として日本から持っていった虎屋の饅頭や羊羹が、おいしいと評判がよく中国人の画家や記者達にすぐ食べ尽くされてしまったことだ。虎屋ブランドは日本人にしか分からないはずと思っていたが。
 調べてみると、虎屋の饅頭は1241年に中国から帰国した聖一国師が行きつけの茶屋(今の虎屋?)の主人、栗波吉右衛門に中国の饅頭の作り方を教えたことから始まったと言う。饅頭が中国に里帰りして、それを中国人がおいしいと言って食べたのだ。日本の空まで進出しているスモッグを日本の技術できれいにする方法を教えてやれると虎屋の饅頭になるのではなどと考えていたら、最近日本製の空気清浄機が中国で引っ張りだこというニュースが飛び込んできた。反日感情で日本製品の不買運動をしていた中国だが、あのすごい大気汚染にはかなわず、高性能の空気清浄機が必要になったようだ。しかし日本製品が中国で売れてよかったなんて言ってはいられない。大気汚染がひどくなれば、偏西風などによって日本も影響を受ける。そうなると日本でも空気清浄機が引っ張りだこになり、それが中国製なんてことになったら、まさしく虎屋の饅頭になる。いやー、大変だ。

 話を饅頭に戻そう。そもそも饅頭は、その起源の地、中国でどのようにして人々の間に広まって食べられるようになったのだろう。また日本では葬式と言えば、白い衣に包まれた「葬式饅頭」(別名上用饅頭)が必ず出されるものと決まっている。何故なのだろう。
 饅頭は伝承によれば、3世紀の三国志の時代から人々に食べられるようになったらしい。この時代、蜀の宰相である諸葛亮が孟獲との戦いの帰り、途中渡らねばならぬ大河が氾濫をしたため、この饅頭によって川の怒りを鎮めたと言う。これまでこの地ではこのような自然の猛威に出くわすと、生贄で怒りを鎮めることを常としていたらしい。この大河も人の首を川の神への生贄として捧げることで鎮めていたらしい。だがこの風習を改めさせ饅頭にしたのが蜀の宰相だと言う。その饅頭と言うのが小麦粉を練って伸ばした皮に、人間の脳みそや肉ではなく羊や豚の肉を詰め作ったものだ。それを人頭代わりに大河へ投げ込んだ。これで荒れる河が収まったと言う。蜀の宰相はこの食べ物がすごくおいしく、大河に住む化け物にとって人頭の代わりになることを知っていたのだろう。この故事から饅頭文化が中国全土に広まり、日本へも伝わったと言う。

上用饅頭
 この饅頭、高価だったので日頃食べることはなく、葬儀の折り、死者の財物を人々に還元する儀式として食べさせたようなのだ。「上用」という言葉は位の上の人しか食べられない、という意味があったらしい。上用饅頭は高価であったため、葬儀に参加するとこの饅頭がいただけると喜んでお参りした人も多かったようだ。
写真左:葬式饅頭(上用饅頭)
 饅頭の起源は人頭の代わりだった。それを葬儀で食べるなんてちょっと理解に苦しむが、死者が生前周囲に迷惑をかけただろうから、葬儀の参加者の気持ちを鎮めるために食べさせると思えば納得できる。


※この文は2013年2月発行の新聞報に載せた文に補足したものです。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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