妖怪屋敷 第40弾 亀仙人(鳥山明作ドラゴンボール)のモデルは棟方志功?

妖怪屋敷 第40弾
亀仙人(鳥山明作ドラゴンボール)のモデルは棟方志功?

 「先回、亀を祀っている神社について読みましたが、鶴の神社はないのですか」知らない人からのメールが入った。亀とくれば鶴だ。縁起がいいから鶴と亀の神社があったら初詣で、御参りに行きたいとでも思っているのかも。
 さて鶴を祀る神社だが、調べてみたけれどこの名古屋付近には見つけられなかった。鶴のつく字の寺は名古屋に中心部に2社寺ある。名古屋城すぐ西の城西2丁目にある「豊鶴院」と名古屋大学すぐ西、伊勝小学校南西脇の「鶴林山仙松院」である。「豊鶴院」は大戦で焼けたのか今ある建物はあまりぱっとせず、鶴という雰囲気がしない。まあ名前に鶴があるからといって勝手に鶴のような気高い雰囲気の寺を期待してはいけないが、自由に中に入れるのは好感が持てるし、気取っていないところがいい。混んだ長屋の間にあるという感じで少々見つけにくい寺だ。

鶴林山仙松院
 「鶴林山仙松院」は名古屋の中央にあった寺を、アメリカ軍の空爆でやられるからと、この八事山に連なる丘陵地に疎開させたもの。
写真右:昭和区 鶴林山仙松院
釘を使わない京風の平唐門がよく知られるという。この造りは平安時代からあり、前部が膨らみ両側がへこんでいる。ここなら鶴妖怪も居付きそうだと思う。「ここに参拝すると鶴の様に優雅で美しくスマートになれます」とでも言って宣伝すれば評判になり、女性がやってくるのでは。それをやらないのは檀家がたくさんあって金銭的に追い込まれていないからなのか。京都に鈴虫寺のようなチョッとしたいわれを利用した寺社が多いのは、寺が多い割に市民が少なく(従って檀家数も少ない)食べていかれないから自分の寺社を宣伝し、観光客を惹きつけ、拝観料などで収入を得ようとしているのだろう。京都に妖怪話が多いのもそんなところかもしれない。

 さて教えている大学で『百鬼夜行名古屋編』の妖怪画を描いていたら、美術系の学生に「先生、妖怪は今もどんどん生まれているのでしょう。昔の妖怪はうんざり、今風の妖怪を描いてね」と言われた。確かに今でも妖怪はどんどん生み出されている、やはり妖怪は創造のアートなのだ。
 「亀神社の亀が妖怪なら、私たちが見ていたテレビアニメ『ドラゴンボール』に登場する‘亀仙人’も妖怪じゃないの?」と学生の間で妖怪談義が始まった。その通りだ。『ドラゴンボール』の亀仙人は立派な妖怪だと僕が言う。「ただのマンガでしょう。妖怪と言っていいの?」別の学生が言う。
 我々の知るほとんどの妖怪は江戸時代の瓦版や浮世絵で描かれていたものだ。そして瓦版や浮世絵は今の週刊誌やグラビアに当たる。さらに言えば江戸時代にはなかったテレビやネットにも当たるといってもいい。ひげを生やしエロさ丸出しの亀仙人は、100年後も誰もが知る妖怪になっているかもしれない。
 
 作者の鳥山明は名古屋生まれで清須で育った人。マンガの亀仙人は作者が育った環境の中から生まれたに相違ないと思い、鳥山明の生誕地、清須の神社や仏閣を中心にルーツを探してみた。何かマンガの内容の亀仙人と接点でも見つかれば、その寺を勝手に妖怪亀仙人寺として若い子たちにはピーアールできるが。こういった新たな妖怪を生み出すのはとても楽しいことだ。
 清須にあるいろんな神社を調べていくうちに、ここが多分亀仙人のルーツではないかと思える神社が2つ見つかった。鳥山明はこれら2社のすぐ近くにある一宮市の起工業高校のデザイン科卒で、絵には若い頃からすごく興味を持っていたはずだ。

西方寺
 
 実はこのうちの一方の寺、西方寺にはサンパウロビエンナーレ等で賞をもらった棟方志功の描く10面におよぶ大きな襖絵がある。写真左:清須、西芳寺
敗戦後の翌年、住職と知り合いだった志功が滞在して描いている。描かれた絵は動物が中心でマンガ風な作品だ。鳥山明はここでこの絵を見ている、と僕は確信を持った。この地域には他に世界的に有名な美術作家や作品はない。棟方志功の作品があると思えば見に出かけているはずだ。そう考えていて眼鏡をはめた亀仙人の顔やスタイルが、棟方志功に似ていることに気が付いた。

写真左:棟方志功                    写真右:ドラゴンボール、亀仙人
棟方志功亀仙人

 もう一つの寺社はその棟方志功の襖絵のある寺から南数百メートルにある亀岳山宝國寺。
写真右下:清須、亀岳山宝國寺
ここは義直をはじめ歴代の尾張徳川家の殿様が鷹狩りに来て休憩するお寺だったという。ここには長いこと牛だけを書き続けた絵描きが、かつて滞在していたという。この画家にも鳥山明は興味を示したはずだ。この寺のほんのすぐ横を太くて大きな庄内川が流れている。マンガに登場する亀仙人の住む島の雰囲気を感じる。
亀岳山宝國寺
 鳥山明はここから2~3kmの所に住んでいた。魚獲りに来た帰りは、ここで水でも飲んで徳川のお殿様のように休んだのではあるまいか。

 30年以上前の話だか、僕の教え子でものすごくマンガがうまく、なおかつ鳥山明の大ファンがいた。彼は真剣な顔をして僕に相談に来たことを思い出した。マンガ狂の彼がいう。「どうしても鳥山明先生の弟子になりたいが、どこも取り合ってくれない。山彊先生、どうすればいいでしょうか」と。僕はドラゴンボールを見て、鳥山明の性格を情が厚いと読んでいた。そこで教え子に一つの解決方法を教えた。「彼は清須に住んでいる。じかに頼みに行きなさい。当然断られます。翌日も行きなさい。また当然断わられます。3日目、座布団を持っていってOKが出るまで帰らないと言いなさい。それでも断られるだろう。そこであなたは座禅を組んで、玄関横で粘りなさい。これを昼夜3日もやれば必ず彼は何かのアクションを起こすはず。最低でも漫画家になるためのノウハウを教えてくれる。君は僕が見る限り才能がある。頑張れ!」と助言した。どうなったかって? 彼がどこまで僕の助言に従ったかは知らないが、マンガ好きならまず彼の名を知っているくらい成功したようだ。
 みなさん、妖怪亀仙人寺に出かけてみよう。堤防の土手の下にあって、亀仙人がひょっこり現れてきそうだから。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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