金シャチルパンコンクール


アイデアで勝負する人たち


・「雪は、解けて、何になる?」等の入社テストをする企業家
・「現代美術作品」を購入し豊田市美術館に寄贈する企業家
・アイデア美術展『金シャチルパンコンクール』(金シャチを盗もう)山田彊一


 つい先日、知立のロータリークラブへ講演に出かけた。今回のテーマは『今時のギャル』だ。講演後「いつもは眠ってしまう人が多いが、今日は誰も眠っていなかった」と幹事さんに言われた。講演もアートだと思って全力でやっているので、やはりそう言われると嬉しい。この地の人々は話に内容があれば、真剣に聞いてくれる。皆、好奇心旺盛なのだ。この精神がこの地方の産業を支えているのだろう。

 講演が終わってから二人の企業人に声を掛けられた。私からもっと何か聞き企業成績を上げたいのかなと思った。たとえば面白いところで以前、岡本コンドームの専務さんに「若者の好むコンドームのアイデアはありませんか」と尋ねられたことがある。僕がおもしろいアイデアを2、3答えたらお礼に種類の違うコンドームを1グロスもらったことがある。だがこの二人は少し違った。自分が試みているアイデアをまず私に語り、互いの話の中から次なる試みを見つけていくタイプで私も勉強になった。

 そのうちのお一人、武田昭俊さんが語る。「私の会社の入社テスト問題は『くまんばちとアヒル、さて一体どちらが飛べる?』『雪は、解けて、何になる?』『雀が10羽電線に止まって、空気銃で撃ったら、何羽残る?』等です」と。「雀の問題はよく聞く問題で、逃げて0羽でしょう」と私が答えると、「騒音の中、都会で育つ雀は少々の音では逃げないのもいる」となり、答えは0から10羽だという。雪は解けての問題は「つくしが顔を出す」か「土が見える」ですかの私の答えに「春が来る」が正解という。面白い。こういう柔軟な思考があるから、作今の厳しい経済状況の中でも業績を伸ばし続けているのだろうと感じられた。
 
 もうお一人の近藤一幸さんは現代美術についての知識が豊富。画集の缶詰の映像をちらりと見ただけでマンゾーニの「糞の缶詰」でしょうと答え、私の語る画家名は全てご存じで、絵描きでも美術の知識で彼に勝てる者はまずいないだろうと思われた。現代美術の作品を購入しては、豊田市美術館に寄贈しているともいう。県芸の教授達とも親交が厚いとか。私は彼らが東京芸大の権威主義とも繋がる人たちで、しかも50年も前に針生さんや中原さんという超ビッグな評論家が否定した公募展に入っていたということで絵描きとして評価をしていなかった。だが近藤さんの言うには、「奈良美智さんに会った折、あのスタイルをアートとして認め応援してくれたのは櫃田伸也さんだったと話してくれた」とのことで、作品だけで評価せず作家は生き方も見るべきだと反省もさせられた。近藤さんが現代美術にこだわるのは仕事上のアイデア、生きるためのアイデアを作品から得られるからだという。彼の会社の業績が順調なのはここにも理由があったのかと思わされた。

 僕もアートの生命は新しい創造、アイデアだと思っている。例えば、デュシャンがやったように便器を作品として今展示しても、それはもう芸術的価値がない。誰もしていないこと、皆があっと驚き、なるほどと絶賛するようなものが芸術には必要なのだ。それが僕の信条だから、新しいこと誰もやっていないこと、それでもって人を納得させるような作品を作り続けるべく努力している。作品だけでなくアートイベントでも無数に行った。「堀川でサケの遡上」「ガンジス川の水を各家庭に」「僕らのモナリザ展」等々。北海道から九州の新聞までにぎわせたことが度々ある。その中で1例としてアイデアを募集する「アイデア美術展」を挙げてみたい。

朝日新聞2004,8,12朝日新聞
 私は名古屋城の北1キロのところで生まれている。敗戦前女中さんに連れられては毎日、金シャチを見に出かけた。その都度彼女から「あの金の鯱を盗もうとした人がいたんだよ」とよく聞かされ、子供心にも興味をもったものだ。
 この気持ちがこのイベントをやらせたのかもしれない。2005年の秋に開催しようと、私は『金シャチルパンコンクール』(柿木金助に挑戦)を企画した。これはシミュレーションで世界に呼び掛けるコンクールとした。あの『セコム』に後援を頼もうとも考えたが、それでは芸術でなく企業宣伝になってしまうと諦め、自分の費用で賞金も出すことにした。東京で個展をすれば100万円はかかるから1回止めれば費用は出る。 
 発表の1か月前、偶然我が家を尋ねた朝日新聞の記者にこの件を漏らした。ものすごく面白いネタだったらしく翌日の新聞のトップニュースとなって世界中に流れた。写真上:コンクールを伝える朝日新聞2004,8,12
2004,11,5中日新聞写真右:中日新聞2004,11,5 新幹線車内の電照ニュースにもなったと友人が教えてくれた。新聞が配布されたその時間から自宅の電話が鳴りっぱなしになった。「面白い。出品の仕方を教えてほしい」「テレビに、ラジオに出てほしい」「賞金が出るのか」から「馬鹿野郎!貴様何を考えているんだ。ドロボーコンクールなんてやるバカがいるか」等々すごかった。手紙も多く激励から罵倒までさまざまだった。名古屋芸術大学では教授会で非難声明が出された。

 3か月後の締め切りで、出品総数419点になり、フランスやインドからの応募もあった。審査員は僕と名古屋出身の小説家清水義範氏であった。受賞の1位、2位、3位は清水さんの好きな小説仕立てで文字数が多すぎて載せられないのが残念。名古屋の市民ギャラリーで展示や受賞式、清水さんの講演を行った。
「名古屋人って面白い人達だったんですね」と全国から言われたのが嬉しかった。


結果発表と清水義範による授賞式と彼の講演のパンフ(下)金シャチルパン
コンクール
 
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No title

> 芸術大学では教授会で非難声明が出された。
静かな事務所で読んでいたので、吹いちゃって恥ずかしかったです(笑)

僕も今、自社製品に従来業界に無ったアィディアを盛り込んで居ます。
イギリスのオタク業界紙で取り上げられ認知度が上がっています。

この東北巨大地震で被災した方にお見舞い申し上げますが、
日本国内の景気全般に影響が出そうなところが本当に厳しいです。

しかしここから様々なことが学べます。
社を上げて節電を始めました。
社内、個人の災害対策を真剣に進めます。
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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