妖怪屋敷 第33弾 奥田瑛二と妖怪

妖怪屋敷 第33弾
奥田瑛二と妖怪

 「奥田瑛二さんも妖怪にはまってますよ。先日テレビで“すごく落ち込んだ時、妖怪と寝たら治ってしまった”と話していたから」と書いたメールが入った。この妖怪シリーズを始めて以来、いろんな人から妖怪話や話の拾い方のアイデアがもらえて喜んでいる。
 奥田瑛二は名古屋の隣の街、春日井市育ちの有名な俳優だ。名古屋の東邦高校をでている。上記の話を面白そうだと感じて、奥田瑛二の過去を調べてみることにした。春日井は僕の調べている尾張徳川家の落ちのび街道の途中にあり、この市の外れに義直の菩提寺である定光寺もある。このエリアもそのためか大きなお寺が多く、妖怪や幽霊話が多い。
 彼はそこの市会議員の息子。妖怪にはまるのも当然かもしれない。大学中退後、親に勘当され代々木公園で3カ月間ホームレスをしていたこともあるとか。その後、俳優になる。最初は同じく名古屋出身の二枚目俳優、天知茂の付き人をしていたらしい。この天知茂の兄である二科会写真部門の審査員である臼井さんと僕は仲が良く、色々内輪の話を聞いている。この天知兄弟は尼ケ坂(幽霊坂)を下ってすぐ北数百mにある城東園(遊郭街)で戦後を過ごしている。妖怪好きはどこかで皆つながっている。奥田瑛二が妖怪好きだとしたらこれらのつながりが関係しているのかもしれない。
円福寺
 ここ春日井にはたくさんの神社、仏閣があり、市の中央の丘にある円福寺は創建723年と伝えられ、市の指定有形文化財を数多く有する大きな寺である。写真右:円福寺(春日井市白山町)
 境内には数え切れないほどの石仏が並び、由緒ありげなお堂もある。そのお堂の一つに八百比丘尼のものもある。人魚を食べたため800歳まで生きたというこの少女の話は、全国津々浦々にあって、もう619年には「日本書紀」に登場している。大やけどを負って死にそうになった少女が人魚の肉を食べたらやけどが治り、さらに不老不死になった。若く美しいままの少女は、老いて死に逝く人との悲しい別れを繰り返し、尼僧となって諸国を行脚し、最後は自らの死を願い、洞窟に入って出てこなくなったというストーリーだ。この800年の間日本中を歩き、いろんな男と結婚したという。
写真下:八百比丘尼のお堂(円福寺境内)
八百比丘尼堂
 不老不死というのは人間が作り出した願望だ。特に女性にとっては永久に若く美しく年を取らないなんてうらやましい話だ。たくさんの男と結婚でき、800歳という長寿を全うしたというのはめでたいことだし、男性にとってはいつまでも若く美しい妻にかしずかれ、死を見守られて亡くなりたいという願望がこの話には秘められているのかも。「そういうふうに考えるのは単純なスケベ男だけよ!」げっ!僕のこと?
 確かに充分生きてきて、いい加減死にたいと思っても生が永遠に続くというのは恐怖だ。だから八百比丘尼も最後は自らの命を断とうと洞窟に籠ったわけだ。不老不死は決してよいものではない。人間の生命は限りあるものだ。だからこそ決められた人生の時間を大切に生きなさいとこの民話は語りかけているのだろう。この八百比丘尼が籠ったといわれる小さな洞窟がお堂の下にある。奥田瑛二も幼い頃、ここに潜って遊んだのではないかという想像を掻き立てる洞窟だ。

尻冷し地蔵
 この寺の西約2kmの所には「尻冷やし地蔵」という変わった名の地蔵さんがある。写真右:尻冷やし地蔵(春日井市 潮見坂上)
 なんでも大きな戦いの折り、水を求めて敗残兵がやって来た。やっと泉を見つけしゃがんで水を飲もうとしたら、追ってきた敵に背後から槍で刺され死んでしまった。そのことを哀れに思った村人が、この泉のそばに大きな石仏を建てたという。そのこともあってかこの石仏は常に水を含んで冷や冷やしているという。
 この話はきっと「この水場を大切に守り、飢饉にそなえなさいよ」という教訓ではあるまいか。このような民話を残せば村人はここの泉を大切にするに違いないと思ったのではないか。この水は万病に効くと言われていたとか。最近では近くの山が切り開かれたため、水が湧き出ず、やむなく村人は水を確保するため、水道管をひいたと言われる。僕が訪れた時も高さ1m以上ある石仏の背面は湿っていて触るとひんやりした。どうも近所の人がかかさずここへきて、この石地蔵さんに水道水をかけているようだ。お地蔵さんの下には水をためた石桶がありそこに柄杓がおいてある。僕もお地蔵さんの背に水をかけてきた。今でもたくさんの人によってこの石仏は守られ、愛されているようだ。

曽呂利惣八の墓
 もう一つこの春日井地方に伝わるのが大泥棒の曾呂利惣八の話。曾呂利は義賊でもあって盗んだ金を貧乏な家に投げ入れていたらしい。だから人々に好かれ役人に捕まることも無かったという。ところがある日、疫病で亡くなってしまった。村人が葬式をとり行い棺桶を墓場に運んでいたその時、突然空に雷光雷鳴が渦巻き、妖怪が彼の亡きがらを奪いに来た。名僧と言われた盛禅和尚が棺桶の上に座り、必死でお経を唱えると間もなく妖怪はかき消えていったという。
 だが曽呂利は人をも殺す泥棒なのは間違いなく、この地ではこの曾呂利が一番恐れられ、親は子供に「悪いことをすると曾呂利が来るぞ」と言うらしい。この街のお年寄りに今でも曾呂利が来ると言って子供を脅すのかと聞いて回ったところ、「もっと昔はそういうことがあったかもしれないけど、今では全く聞かないねぇ」とのことだった。写真左上:曾呂利惣八塚(春日井市 出川)

 しかしこの義賊話に、奥田瑛二は影響を受けたのではないか。彼の映画「お化け屋敷」には金品を盗み貧し人に与えるストーリーもある。「幽霊たち」の舞台にも出演しているが彼はどこかで妖怪と係わっていたいと思っているのだろう。また娘の安藤モモは「妖怪人間ベム」の映画を撮っているという。この街にはこのような民話を研究している先生グループもある。どこの街にも、いろいろな歴史が秘められていることを感じさせられた。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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