妖怪屋敷 第32弾 ピカソの内なる妖怪が芸術の流れを変えた

妖怪屋敷 第32弾
ピカソの内なる妖怪が芸術の流れを変えた

アビニヨンの娘達
 20世紀を代表する最大のアート作品は、様々な観点から総合的に見ればピカソの『アビニヨンの娘達』と僕は常々思っている。写真:20世紀最大の作品と言われるピカソの『アビニヨンの娘達』右側の二人の女性の顔がアフリカ彫刻風に描き直された。
それに関することで僕と仲のいい日展の審査員から聞いた話だが、以前あの人間国宝の朝倉摂が日展の審査員の前で講演をしたという。
 その中で彼女が「20世紀を代表する芸術家か芸術作品を挙げてください」と尋ねたそうだ。そしたらほとんどの者が自分に賞をくれたり、審査員にしてくれた自分の先生を選んだという。
「全世界の中から選ぶんでしょう?20世紀を代表する芸術家に、日本人でさえ知らない日展の日本人画家を挙げたの?」日展の体質がそこに現れているよね。だが中にはクールベやアングルと言った写実画家や、人口に膾炙しているゴッホやゴーギャン、またはピカソと言った前衛画家を選んだ者もいたという。その中でピカソを選んだ審査員は、あの『ゲルニカ』を代表作に挙げたという。『ゲルニカ』を代表作に選んだのは大きな誤りとは言えないが、朝倉摂はピカソの『アビニヨンの娘達』であると断言したとか。『ゲルニカ』は世界で初めて描かれた反戦画として有名だが、絵画的にはアートの歴史を変えた『アビニヨンの娘達』の作品に負ける。

アビニヨンの娘達のカップ 日展関係者なんて過去の遺物にしがみついて、自分の周りの小さな世界しか知らず、美術の歴史的な流れや、現代美術の世界的な動向など知らない不勉強画家ばかりだと思っていたが、アートが分かっている作家もいたのだとこの話を聞いて感心した。それを僕に語ってくれた日展の審査員も美術の本質は分かっていると思ったものだ。
写真左:コーヒーカップに刷られた『アビニヨンの娘達』。ある喫茶店で出されたコーヒーカップ。一緒にコーヒーを飲んだ画家が日展の審査員氏

アフリカ彫刻
 この『アビニヨンの娘達』はピカソが26歳の頃、マチスのプリミティブな人体表現に刺激を受け、さらにトロカデロの民族学博物館で見たアフリカの仮面彫刻に衝撃を受けて描いたものらしい。写真右:僕がケニヤへ旅行した時購入したアフリカ彫刻。こういった原始的な造形にピカソは影響を受けたと思われる。

 ほとんど描き終えていたアビニヨンの5人の裸婦のうち、右の二人だけを仮面をつけたような顔に描き直している。これはキュービズムの原点になった作品だ。これによって20世紀の美術史はその流れを大きく変えることになる。 新しい美術の動きに触発された画家達は、今までのようにただ写真機のように物を写すだけでなく、自分の内なる精神に宿る心理(これを個性と僕は呼ぶが)を噛ませながら作品を描くようになった。

写真下:ネクタイに刷られた『アビニヨンの娘達』。ニューヨークのMOMA美術館で購入。ピカソの作品がネクタイになっているのはこれだけだと思う。
アビニヨンの娘達のネクタイ
 ここで考えてみるに、ピカソが裸婦に仮面をつけたのは彼の中にある妖怪の仕業かもしれない。妖怪とはその始まりにおいては人間の深層心理が創造(creat)した生き物であり、今までになかったもの、普通では目にすることができないものなのだ。ある意味でピカソは絵描きで一番妖怪に近い作家と思っていい。一般的な見方をすれば訳が分からないと思われる彼の絵も、妖怪を描いたと思えばすんなり理解できる。彼は様々な女性と付き合い、彼女らの肖像画を描いているが、それらは妖怪のようでもある。彼は女性の中に妖怪を見ていたのだろうか。

「山彊先生、この尾張の妖怪話を研究しているんでしょう。何故ピカソがいつも登場するのですか」。僕は長くピカソを研究している。彼の生い立ちなどを調べていくうちに気付いたのが、ピカソの生まれたスペイン、マラガは名古屋とかなり似ているということだ。
 先ずマラガはスペインで3番目に大きい都市、名古屋も日本で3番目、また結婚式が派手で、金(きん)が大好き、ドレスを買ってもボタンが金でないと金ボタンに付け替えてしまう。そしてなんと喫茶店(パブ)でコーヒーを飲むとおつまみが付いてくるのだ。この風習は世界中で名古屋地区とマラガ地区だけのようなのだ。ケチな根性は何かおまけを期待する。ケチだけど見栄を張る。そしてなんといっても両方とも保守的な街なのだ。
 妖怪研究で分かったのだが、妖怪は保守的な街を嫌う。保守派は決められたこと、前に人がやったことの繰り返しを好む。アートはそうではなく、創造だ。だから妖怪を内に持つピカソはマラガをさらにはスペインを出てしまった。
 ちなみにピカソがインスピレーションを受けたというアフリカ彫刻だが、その顔や姿は神や精霊や妖怪、動物などが仮面のモチーフになっていることが多い。人が仮面に憧れるのは、それをかぶると日常の自分から神や精霊、妖怪に変身することが出来るからではないだろうか。ピカソがアビニヨンの娘の顔に仮面を付けたのも、彼の内なる精神が変身、変化を望んだからかもしれない。そしてその仮面の絵でピカソは世界のアートを変革していったわけだ。

ライフマスク
 「山彊先生もお面を描いたり、作っているのですか」。勿論いろいろ作っている。僕が作ったたくさんの仮面の内、気に入りの仮面は、女子大生の教え子のライフマスク(死んだ時によく作るデスマスクと同じ技法。直接顔に石膏シートを貼り付けて取った白いマスク)に写真で撮った僕の目を付けた作品だ。これが玄関につるしてある。訪れた客を見張ると同時に、歓迎もしているつもりだ。僕は自分の目は垂れ目でいやだと長年思っていたが、女性の顔につけるとなかなか可愛らしい。妖怪が我が家に入ってきてもこの可愛い顔にまず対面すると、意地悪をしなくなるのではないだろうかと思っている。というわけでこのお面は我が妖怪屋敷の守り神でもある。

写真右:僕の教え子の顔の仮面に僕の目を付けたもの。これで我が家へ入る妖怪を迎える。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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