カンディンスキー

『カンディンスキー展』と人気

カンディンスキー
 もうすぐ愛知県美術館に『カンディンスキー展』が来る。彼のアートを講演するためまとめようと我が家の書庫を探すが1冊もない。ピカソやゴッホ等は何冊でもある。ではレベルの低い画家かというとそうではない。彼は抽象絵画の父とも称せられるぐらい活躍している。その点ではピカソやセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン等と匹敵する。
 ではなぜ人々の印象が薄いのか。それは彼の人生に物語性が乏しいからだろう。例えばゴッホのように「耳を切った」「妊娠した売春婦と同棲した」「結婚しようとした年上の彼女が親の反対で自殺してしまった」「ゴッホ自身も精神病院でピストル自殺をした」等のスキャンダルにまみれていない。カンディンスキーは何もない。ハンサムで親分肌のインテリ。超美しい奥さんとの普通の生活。
 先日読んだ村上隆の『闘争論』の中で、絵描きは生き方全てがアートであるべきだと書いている。ゴッホらの生き方は後世により話題性を持って伝わったという点でもアート性があるのだ。だからカンディンスキーは影が薄い。
 「それで山彊先生もスキャンダルまみれの人生にしているのですね」。いや、仲間よりちょっと激しいぐらいだよ。かつて後輩たちが美術館に『ごみ作品』を出した時に、彼らの応援をしただけなのに県や市、美術館や新聞社に苛められた。仲間の作家たちが逃げ出す中、自分は裏切れないと闘わざるを得なくなった。それで少し目立ってしまった。これで失ったモノは計り知れない。きっとスキャンダルの多いピカソやゴッホ、ゴーギャンも人に言えない苦しみがあったに違いない。だからこそ人生が生き生きして人々を魅惑するのだろう。

 ところで「山彊先生は名タイ紙で10年程もHな文を書いていたましたね。あれも人生にプラスしているとの認識ですか」。僕は頼まれると断れない性格なので、名タイのデスクから100本位でいいから書けないだろうかと言われたのが、書きだしたら結構好評でなんと600本程も書き続けてしまった。もしカンディンスキーがこれだけのH文を書いていたら、間違いなく歴史の寵児になっていただろう。ここまでは新聞原稿用)


※さて名タイH文の話題が出たので、ここで話題をそちらに。今日、仲間の教授がH話を聞かせてくれた。彼は奥さんより背が相当低い。彼が言う。「僕の性生活は長い事“ちちはは”でした」。うんん?“父母”、何それ?「僕は背が低いから僕の口は妻の胸のあたりにしか届かなく“ちち(のあたりで)ハアハア”でした」。彼は教育学の教授で、父母と言えば何か道徳的な話になるのかと思いきや下ネタ話で、しかも真面目な顔をして話すのだ。いやー、まいった。
 名タイが廃刊になる以前は、レベルはもっと高かったけれど、週2本、Hな話題を書き続けていたのだ。名タイを読んでいる仲間は、感想を言いたくて、またH話を聞いてほしくて私に語りに来る。皆、誰かに話したいのだ。精神科医の友人に言わせると「山彊さんは精神科医に向いているわよ」だそうだ。というわけで美術界の裏話も僕のところへほとんど集まる。
 「山彊先生の実生活も下ネタ満載の実践ですか?」いや、僕は若いころは超まじめだった。18歳の折、初めてのガールフレンドと2度目のデートをした。初デートは映画鑑賞で、2度目はピクニックで犬山遊園行き。純情で、女の子とうまくデートを終えることに自信がなかった僕は、何と1日前の同時刻にデートのリハーサルをした。上飯田駅を9時に立ち、まず桃太郎神社へ。僕は民族学に興味があったので、ここで話を盛り上げ、教養のあるところを見せようと展示物の説明文をほぼ暗記する。その後河原の岩場へ出て画箱を広げ、山の上に当時あったホテルをスケッチして1時間を使う。絵の上手なところも見せて将来有望な芸術家になれそうだとアピールしなくては。さらに「あんな景色のいいところで結婚式でも挙げられるといいね」ぐらいの話題に触れられないかといった願望もあった。そして遊園地近くへ戻り、昼食のラーメンか木の葉丼、卵丼(親子丼は20円高いからダメ)を食べる。僕は胃が弱く、食事後すぐ下痢することが多い。だからここにトイレのあることを確認していく。
 さあ当日、予定通りに行っていたが、絵を描いている岩場でなんと彼女が作ってきた弁当を広げた。僕には彼女が弁当を作ってくるなんて想定外だった。すごくうれしかったが、さあ困った。近くにトイレがないのだ。下痢になったらどうしょう。まさか岩の上で野糞ともいかないだろう。とっさに「僕、昨夜からお腹の調子が悪く何も食べられません」と断った。今でもおいしそうな卵焼きの匂いが鼻に残っている。そして5時には上飯田から彼女をバスに乗せてお別れ。手をつなぐことすら、全くなし。時代とはいえ、いやー、純情だったでしょう。
 「山彊先生でさえ、若いころはそんなだったとすると、あの次から次へと女性を口説いたピカソでもそうなんですかね?」ピカソも若いころは女性にもてようと必死にいろいろ試みている。僕はピカソに関していろいろ研究したので、若いころのエピソードもいろいろ知っているが、彼が有名になってからの面白い話を1つ紹介する。ピカソは34,5歳のころバレリーナーのロシア貴族の娘、オルガと結婚した。その折、ベットのピカソ側の足を2本とも5㎝ほど切って短くした。そうすると寝た場合、オルガは嫌でもピカソのほうに転がることになる。大天才のピカソもいろいろ努力と工夫をしたのだ。このマンガのような話を、ピカソは喜んで友人に語っていたという。
100年後、誰かが山彊画伯はデートのリハーサルをしていたと、書いてくれることを夢見て作品を作っているが…


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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