妖怪屋敷 第29弾 なぜ幽霊から足が消えた?

妖怪屋敷 第29弾
幽霊から足が消えたのは何故?
僕の妖怪絵は手が無い


丸山応挙 お雪
 足の無い幽霊は丸山応挙の描いた幽霊から流行し始め、歌舞伎の『四谷怪談』や浮世絵の中に登場してくるが、1673年に描かれた本の挿絵に、すでに足の無い幽霊が登場していると言う。丸山応挙の描く幽霊は気品に満ちた女性の美人画と言ってもよいもので足が描かれていたら幽霊とは到底思えない。そこで足を無くすことによって幽霊であることを示したように思われる。足の無い幽霊は応挙後一般に広まっていったようだ。
写真右:丸山応挙の幽霊画

 一般の人物画の場合も足が描かれない場合も多いが、それは上半身の肖像画のような場合で問題にはならない。幽霊とは一体どんなものだろうと好奇心に駆られるとどうしても全体を見たくなるのが人情だ。画家は足が描きたくなくても描かねばならない。実は人物デッサンで一番難しいのが、足の表現だ。その次は腕や手だ。デッサンに自信のない画家は、まず足を描かないようにする。

 僕が研究している雪舟も、ほとんど足を描いていない。描いても服で全体を隠している。ピカソも同じで、やむなく描くときは一番描きやすい角度から、常に描いている。旭ヶ丘高校の美術科卒で世界的になった荒川修作は足を描いたことがほとんどなく、手もあまり描いていない。「どうして描かないか」と名古屋市美術館での個展の折り、ボランティア学芸員が訪ねたら、「余分なものを描くとイメージが崩れるから」と言ったとか。自分はデッサンが苦手だとは決して言わない。彼は高校時代から相当下手だったらしい。(同級生の岩田信市言)誤解を避けるために付けくわえるが、デッサンの善し悪しが美術作品の善し悪しを決めるのではないと僕は思っている。

鳥眼
 足の無い幽霊を描く美人日本画家として昨今、冨に有名なのは松井冬子だ。写真左:松井冬子『鳥眼』(芸術新潮より)
東京芸大出身に加えてまた美貌の持ち主。作品が売れに売れて、女性画家たちのあこがれの的になっている。この彼女を新聞取材したのが画家の佐々木豊だ。僕は彼の横浜の家で1泊させてもらったこともあり、僕の著書『名古屋力・アート編』で初めは大きく取り上げて書いた。だが帯やコメントを頼んだ針生一郎さんに、この本で僕が主張する芸術観と合わないと言われ削ってしまった画家だ。絵はうまく有名だが美術的な面においての思考が古く、彼を認めると現代美術も戦後のアメリカンアートも全て否定しなくてはならなくなる。名古屋人の持つ情に流されるなというのが針生さんから僕への忠告だったようだ。佐々木豊は古いタイプの作家だが物事をはっきりする画家で僕は彼の性格を嫌いではない。(彼がコンクールの審査をすると、僕と正反対の作品を善しとするから困るが)

松井冬子
 実は佐々木豊は松井冬子が女子美短大(洋画)の学生であった頃の先生だ。彼女はここを卒業してから、東京芸大に5度もトライし、洋画から日本画に変えて合格している。そんなわけで佐々木豊のインタビューは、今をときめく大芸術家の松井冬子にも遠慮はない。写真右:松井冬子
 例えば「松井さんは短大の時代、坊主頭だったよね」とか、「芸大の受験で途中から日本画にしたのは、やさしかったからでしょう」、「あなたが足の無い幽霊を描くのは、足のデッサンが難しいからかな?」等々、ずけずけ訊いていく。恩師でなかったら彼女は席を蹴って去ったであろう。彼女は幽霊についていいことを言っている。「生きている人間への、そして死者への罪悪感があるから人は幽霊を見るのではないでしょうか」と。そうなると彼女が幽霊を描くのは、これまでその美貌を武器にやる気満々の上昇志向の中で、相当周囲のものに危害を与えた?ということへの罪悪感が幽霊を描かせるのだろうか。

餓鬼草子
 実は僕が20代後半で描いていた妖怪餓鬼草子も手が描かれていない。これはまず和紙を切りぬいて何万枚もの餓鬼を作り、それらをキャンバスに貼り彩色した作品である。細かい手の表現は切り絵としは難しくてそぐわない。だから餓鬼の女は足とバギナが中心の妖怪人物画。手が無いことは不思議なイメージに導くらしい。そのためかこの作品のシリーズは展覧会で賞を取ったり、入選を繰り返した。手を無理して入れていたらそうはならなかったかもしれない。写真上:山田彊一作『餓鬼草子シリーズ』シェル美術展受賞作 東浦資料館所蔵

 ここで僕は当たり前のことに気付かされた。幽霊に足が無いのは描くのが難しいからであることが大きいのではと。ということはいつから足の無い幽霊が描かれるようになったかなんて、馬鹿らしい探求だと思えてきた。昔からデッサン力に自信の無い絵描きは足を描かないことも多かったのだろう。丸山応挙は眼鏡絵から西洋の遠近法などの影響を受けた写実派の画家。だから当然難しい足もぼかしたりすることなくリアルに描かなくてはならない。ある時女性を描いていてどうも足の部分がうまく描けない、エーィ切ってしまえとなって幽霊画が誕生したのではなかろうか。それが偶然大ブレイクしてしまった。僕の絵もそうであったように、案外こんなこともあるのでは。この後幽霊の定番は丸山応挙の影響で、女性が中心、足が無く、長い髪で、白い着物を着ているとなってしまった。

 幽霊に詳しいのはタレントの森公美子さんで、寝ていたら友人の女性が幽霊になって枕元に立っていたそうだ。咄嗟に「足があるじゃない」と言ったら「足が無いのは、気合いが足りないからよ」と言い返したとか。どちらも応挙以後の作られた幽霊神話に毒されていると言える。

 幽霊には牡丹燈籠のように足のあるものや逆さまになって歩くのもいる。こうなると幽霊を描く画家は下手でも足を描かなくてはならない。幸いなことに幽霊は足が無いというのが主流となっている。これが逆だったら、松井冬子は世に認められることはなかったのではあるまいか。
 
 異次元の世界を表現するには現実の人間にない形や、行為を絵にすることだ。歴代の幽霊画家や妖怪画家はこのことに苦心したであろう。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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