妖怪屋敷第 第28弾 佐久島の妖怪 蒲団かぶせ

妖怪屋敷第 第28弾
佐久島の妖怪‘蒲団かぶせ’

 愛知トリエンナーレが開幕する1年前、絵描き仲間と佐久島に一泊の旅行に出かけた。佐久島は瀬戸内海の直島などに習って、島そのものを野外美術館のようにして町起こしをしようと愛知県が現代美術展を催した島である。仲間のお嬢さんがその現代美術展に出品していることもあり、その見物も兼ねての旅行だった。島の自然の風景の中に現代美術作品が溶け込んでいる。小さな島で、1日あれば島中が見学できてしまう。 

 散策の途中、蔵のある民家でふと足を止め、中を見ていたら、冷えたお茶やとれたての果物まで御馳走になってしまった。この蔵のある家に住んでいる御夫婦は数年前まで名古屋、伏見の御園会館の隣で美容院をしていたとか。60歳になったので店を譲り、この島へ移住したそうだ。大きな蔵付きの家が数百万円であったという。古い民家をなんとか住めるようにして今住んでいるわけだが、まだまだ直すところがいっぱいだという。そしてなんと蔵はもう100年ほど整理した形跡が無く、調べたら明治の頃のお宝がざくざく見つかったそうだ。それらの品をその蔵で展示し、商売も兼ねた小さな博物館を経営しているとのこと。のんびりした島の生活は老後にはいいと思ったそうだが、家の修繕だけで日が暮れてしまうという。
 
蒲団かぶせ
 島の各家庭への連絡は有線で、島中に流れる。島が1つの家族のようだ。勿論我々も同じ放送を聞かされる。この日の連絡はもう3日ほど行方知れずになっている80歳近いこの島に住むおじいさんの件。島の人に探してくれるように連絡をしている。「もう3日目だから、駄目かも?」と出会った島のおばあさんがいう。「蒲団被せ?」僕が言うと、にこりとして手を左右に振って、「ちがうちがう」というゼスチャー。背中が曲がっているから歳だろうと思って年齢を尋ねたら僕より2つ年上。まだ若いから妖怪なんて信じないわけだ。
 
 僕がおばあさんに尋ねた‘蒲団被せ’とはこの佐久島が発祥の地と言われる妖怪で、蒲団状のものがふーわりと飛んできて人の頭にかぶさり窒息死させるという。柳田国男の本にもその記述が見られる。
写真右:蒲団かぶせ
 
 同種の妖怪に‘一反木綿’というのがあってこれは『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメで有名になった。長さ一反(10mほど)幅20㎝の白い木綿に目と手が付いてヒラヒラ飛んでゆく。突然人に撒き付いて驚かせたり、窒息死させたりするが、誰でも一度見れば忘れない愉快で、いやみの無い妖怪だ。誰がこの妖怪を考えたか、なかなかの芸術家だ。
写真下:一反木綿
一反木綿3
 ある文献によると昔、人が亡くなると墓に木綿の布を掛けた。それが妖怪となったのだろうと言う。その木綿は妊婦が腹帯として巻いた布だそうだ。もう一度赤ん坊となって生まれて来なさいという願いが、この布にはあるようだ。僕の家でも本家から別れ、父の墓を造る折、僧に「墓石はまず近親者の腹帯でしばらく包んでおいてください」と言われた。こうして死者の再生(=新しい子孫の誕生)を願ったのであろう。再生は喜ばしいことだから、葬儀の折りにお酒を飲んで祝う風習も納得できる。

 『ゲゲゲの鬼太郎』では、‘一反木綿’は鬼太郎を助ける正義の妖怪で登場するが、伝承では人を襲う妖怪と言われる。‘一反木綿’の発祥の地である鹿児島では「早く帰らないと一反木綿が来るぞ!」と言って、親たちは子供達が夕方いつまでも遊んでいるのを叱るという。この妖怪は夕暮れになるとヒラヒラ飛んできて人の首に巻き付いたり、顔を覆って窒息死させたり、布に巻き込んでどこかへ連れ去ってしまうと言われている。

佐久島 阿弥陀寺 ‘蒲団かぶせ’と‘一反木綿’とどちらが先か分からない。だがこの佐久島は5,000年の歴史を持ち、縄文時代からの遺跡もあり、古墳も多く、いまの一色町が海だったころからもう海の部族として栄えていた。そこからもルーツはここのような気がする。ここは古いだけあって、あやしい妖怪がらみの話も多い。敗戦前まではたくさんの人がここの不思議さに惹かれ、弘法八十八ヶ所巡りも兼ねて泊りにやって来たという。その折りに巡礼者が泊った阿弥陀寺は、今でも残っている。ここに立つと三河湾に入る船は全て一望できる。  
写真右:佐久島の阿弥陀寺 
 「では山彊先生、何故水木しげるは‘蒲団被せ’でなく、‘一反木綿’の名を使ったのでしょう」。‘一反木綿’という名前の方が断然面白いし、絵にする場合も風に乗って飛んでいく白い長い布の方が愉快だからじゃないだろうか。妖怪名を真似る場合、前より面白くするのは誰でも考えつくこと、同じ名前ではつまらない。

 ところであの行方知れずとなったおじいさんはどうなったのだろう。小さな島だから海に落ちても、山道を間違えてもすぐ分かるはずだ。やはり‘蒲団被せ’の仕業だろうか。そう思った方がみなさん救われる。自殺でもされていたら、家族も周囲も悲劇だ。「山彊先生はどう思うんですか」。よくわからないが、僕がその老人ならもう少し話を面白くするね。夜中に渡し船の底にでも隠れていて、朝一色港に着いたらこっそり上陸して逃げる。そして後家さんになった昔の彼女の家にでもかくまってもらう。「そんな人がうまい具合にいるもんですか。あっ、山彊先生の場合ってことね。いるってことにしといてあげましょう」そして島の自分の家族がその後どう対処するか観察する。対処の仕方で自分に対する家族の愛情度が分かる。島の人々には‘蒲団被せ’が出たと思わせる。自分は‘蒲団被せ’に襲われたらしい男として、島の歴史になるかも知れぬ。こんな人生の終わり方があってもいいのではないか。『妖怪屋敷』の主人らしい最後になれる。

前世療法
 ※妖怪屋敷第23弾のブログで徳川義直と殉死した30歳の志水八郎衛門の話を書いた。この文を読んだ女性から「山彊先生は前世において、きっとこの八衛門だったのでは?」とメールが入った。彼女によれば、養子先に勧められいやいや腹を切った義理堅さが僕と似ているし、僕がこの男の話を書いたのは、脳の一部にこの思い出があるからだ、ということらしい。このインテリ女性、今ヒットしている『前世療法』(ブライアン・L・ワイス著PHP文庫)写真左にのめり込んでいる。この本は睡眠治療を行う医学博士が体験談を書いたものだ。人は死んだらそれで終わりではなく、また何回でもこの世に現れることができるという。催眠術をかけると(自分でかけてもいい)昔の何時かの自分に戻り、そこに遡れると言う。この説を信じることができたなら、死なんて全然怖くなくなる。妖怪以上の妖怪話に僕には思えるが、みなさんはどう思われるだろうか。もし読まれたらその感想が聞きたい。



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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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