妖怪屋敷 第26弾 妖怪屋敷の彼岸花

妖怪屋敷 第26弾
妖怪屋敷彼岸花

 我が妖怪屋敷の北東角の庭に、今年も彼岸花が咲き始めた。写真下:我が家の庭に咲き始めた彼岸花
ここは以前このブログの妖怪屋敷第3弾でも紹介した場所で、例の地中から伸びている不思議な管のあるところだ。以前ここで、敷地内で放し飼いにしていた我が家の犬も苦しんで死んでいった。この管は井戸神様のたたりを鎮めるものであろうと教え子の妖怪バスターに言われたが、犬が何故ここを死に場所に選んだかは分からない。色々調べていくとどうも彼岸花に関係しているように思われてきた。ここは我が家の北東角でいわゆる鬼門にあたり、何故か毎年彼岸花が咲き乱れる。

彼岸花 この彼岸花はその昔、稲とともに中国から渡ってきた花であるという。稲作の伝来時に土とともに鱗茎が混入して広まったのか、それとも誰かが持ちこんだのか分からないという。無理をすれば食糧にもなり、米がとれない折りの非常食になるとも。事実飢饉の折り、その球根を食べたらしい。彼岸花は毒性があるので直接は食べられないが、幾度も水にさらし毒性を抜けば食べられるという。この花の毒は中枢神経を麻痺させ、嘔吐や下痢も伴う強いものだという。だがそれは逆にアルツハイマーの治療薬にもなるそうだ。

 この彼岸花が咲くのは墓場の周りや田畑の土手が多い。僕が注目したのはこの限られた場所に何故多いかということだ。球根性だから誰かが最初、故意に植えなければ生えるはずはない。この彼岸花は毒性が強いため球根はほっておいてもネズミやモグラに食べられることはない。それに気付いた誰かが墓の周辺に植えることで、埋めた遺体から出る妖気をこの毒で抑えようとしたか、または遺体がネズミやモグラ、また他の昆虫に食べられないよう植えたのではないかと思える。

 この花は別名幽霊花とか死人花、地獄花等と呼ばれている。この花が枯れた後、幽霊のようなスタイルになることも名前に関係があるが、墓場のあたりに大量に咲くことから上記のような様々な別名がつけられたのではないか。彼岸花という名はもちろん秋のお彼岸のころに咲くことから付けられた名前だが、彼岸もあの世という意味だし、いくつかある別名も死を連想させるもので、日本ではこの花は不吉なイメージを持っている。
 「山彊先生、そうすると田畑の土手にたくさん植えられているのはどう解釈したらいいのですか」。これも墓場と同じで植えられた穀物等が、ネズミやモグラに食べられないためではないかと思える。動物や昆虫は本能的に毒であることを察知し、田畑への侵入を諦める。畑の周囲に植えられ、それがバリアの役目をするわけだ。花が咲けばきれいで、なおかつ柵代わりになれは一石二鳥になる。

 これで我が家の犬も何故ここを死に場所として選んだのか、分かった気がした。動けなくなった自分がこの彼岸花の上に居ることで、他の生き物に襲われないためでないか。彼岸花はさらに良く知られた別名、曼殊沙華(マンジュシャゲ)というものもある。僕自身はこちらの名前の方が好きだ。これはサンスクリット語のmanjusakaの音写とも言われ、法華経のなどの仏典に由来するとのこと、天上の花の意味もあるとか。我が家の犬はこの天上の花の上で今は暮していると思いたい。
 少し話がそれるが、中原中也の詩、‘盲目の秋’の中に
  私の青春はもはや固い血管となり、
  その中を曼殊沙華と夕陽とがゆきすぎる。
というのがあり、曼殊沙華と書いて ひがんばな と仮名がうたれている。

ピカソ自画像1972 さて我が家の犬が死を感知して死に場所を選んだように、実は人間にも同じように不思議なことがある。人は死が近付くと何故か赤紫系の色を好むと心理学の本に記してあった。ピカソの絶筆と言われる自画像には、彼がこれまで使ったことが無い赤紫系の色が使われている。しかも久しぶりに描いた自分の顔にである。写真左:ピカソの絶筆と言われる自画像1972年
名古屋の著名な画家、岡田徹も亡くなる1年程前から作品の中に、この色が見られるようになった。車いすで美術館に来ていたが、紫系の作品を描きだしたころは、もう生きる意欲を失っている表情であった。何故紫が死の直前に現れるのか。この色はどんな影響を与えるのか。生きる意欲と関係があるのか。関係があるとすると紫と正反対の黄色や黄緑を使って絵を描いたり、それらの色の服を着る人はまだ死とは無縁と思っていいのか。この赤紫は彼岸花を連想させるのか、それとも母親の子宮の中がこの色なのか、それとも地獄の閻魔や炎の色と関係があるのか僕にはよく分からない。まあ誰か気が付かれたら教えて頂きたい。

 ところで我が家の彼岸花はいつ誰が植えたのだろうか。僕の知る限り、誰も植えていないはずだ。10年程前、突然2本ほど生えてきてそれから年々多くなっていった。亡くなった父親がこっそりと植えたのかとも思える。名古屋人は花ドロボーで知られる。名古屋地区の開店祝いの花は数分で持っていかれてしまう。だから親父も散歩の途中、きれいな彼岸花を見つけた時に、名古屋人の血が騒ぎ、その1本を根ごと持ってきて植えたのだろうか。死に近付いたことを感じた本能がそうさせたのだろうか。みなさんの周りで赤紫系の服を着るおばあちゃんでもいたら、そろそろだなと思えばいいかも。僕はずっと黄色や黄緑の服を着ることにしよう。

ゴッホ種まく人の模写 また別の心理学の本によれば、絵の中に水平線や地平線を描き始めても、死が近いそうだ。雪舟の絶筆には初めて水平線が描かれている。ゴッホも死の1年ぐらい前には多くの作品に地平線が描かれるようになった。写真右:ゴッホの地平線のある風景 ミレーの種まく人の模写
これは黄泉の国への憧れがそうさせるのだという解説が入っていることが多い。
 
 人間や動物の死の間際には特異な行動が見られると言われているが、ぼく自身はそんなことにこだわらない生き方をしたい。「そうかなあ?転んでも、いや、死んでもただでは起きないと言ってた山彊先生のことだから、超派手で特異な行動をしてからじゃないと死なないのでは?」


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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