妖怪屋敷 第25弾 「人玉」は実在するか?

妖怪屋敷 第25弾 「人玉」は実在するか?
僕は人玉が大隈病院の裏から出るのを見た

 僕が小学校の5年生だった時(終戦後5年)、家の近くの大隈病院の焼却炉から人玉が出るのを見た。この頃は夏になるとほとんどの家庭が玄関先に縁台を出して夕涼みをしていた。どの家も扇風機を買うゆとりはまだなく、うちわを扇ぎながら将棋などするのが常であった。その日も夜の10時頃まで外で将棋を指していた。すると突然50m程先の、病院の敷地から30㎝程の大きさで青白い火の塊が北へ飛んでいくのを見た。その場に居あわせた数人の者が見たと思う。その後その話題が仲間達の会話に出たことが無く、今になってみると仲間としっかり検証すべきだったと悔やまれる。当時は人玉を見たと言う人が多く、人玉の存在は当たり前で、やっと僕等も見ることができたという感じだった。

人魂 確かに見たのだが文献によると「かつては遺体から抜けだしたリンが、燃えるとか雨の日など水と反応して光る現象とか言われたが、現在では骨中のリンは化学反応をしないことが分かっている」と書かれている。でもおかしい。間違いなく僕達は見た。見た日は雨が降っていなかった。翌日人玉が出たあたりへ行ったらそこには病院の焼却炉があり、恐る恐る覗いてみると切り取られた人の足が中に転がっていた。それでやはり古来からの言い伝えは本当だったのだなと子供心に納得したものだ。戦後の4,5年は一般的に体の切り取った部分など、病院側は勝手に焼却炉で燃やしていたようだ。中学二年の折りのソフトボール大会で僕は骨折し、入院したのがこの病院で、夜になると人玉が飛んでくるのではないかと恐れたものだ。
写真右:鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』(江戸時代)より「人魂」
 この妖怪屋敷の文を書くにあたって色々調べていくと、この大隈病院も我が家と同じで妖怪街道下の埋め立てた沼地に建っている。だから人玉が出やすかったか?と変に納得する。けれどまあ幽霊とか妖怪は見ている者が話を作りだして行くものだというから、僕等がそろってみたのは幻覚だったのかと思ったりもするが気にはなっている。
 ちょうど小学5年頃から、僕は死について考えだし、死後の世界はあるかないか自問していた。毎日が恐怖で床に付くとそのことばかり考えていた。僕が死を恐怖と思うのは、死んだ後自分の存在が完全に消滅するという点においてである。死後の世界が本当にあるなら、自己の完全消滅は免れる。人玉を見たことで死後の世界があるかもと僕は少し安堵したような記憶がある。逆にその願望が何かの火を人玉に見せてしまったのではと思ったりもするが、見たのが僕だけではないから幻影ではないと思う。

天火
 沖縄でも勿論人玉は存在すると考えられていて、これは赤ちゃんが生まれる前に出るとか、逆に出ると人が死に追いやられるとか言われ、出るのが当たり前となっていたらしい。またこれを人玉と言わず怪火とも呼んでいるそうだ。
 日本本土では人玉が『天火』(てんか)と呼ばれることもある。江戸時代の奇談集『絵本百物語』に妖怪として登場している。写真右:竹原春泉の『絵本百物語』(江戸時代)「天火」
夜道を歩いていると突然火の玉状の妖怪が出現し、周りが明るくなるという妖怪だ。天火が家に棲みつくと病人が出ると言われている。これも怨霊の一つであるらしい。死にきれない何かがあると現れると言う。そう考えると僕の見た人玉も何か死にきれない恨みがあったのかなあ。

メコン川 火の玉
 この人玉は海外にも出没する。タイの北東部イサーン地方のメコン川流域では毎年陰暦11月の最初の満月の夜、川の底から白くて丸い物体が、ボーと水面上に出て天に向かって飛んでいくという。写真左:タイ メコン川 龍神の火の玉
これも科学では証明されていなくて、タイの各地や世界からこれを見るためにたくさんの人がやって来てホテルの予約も取れないという。この地は龍神信仰が盛んで、信心深いタイ人たちは、これを川底に住む龍神が仏陀に対する信仰心と感謝の気持ちを表すために火の玉を噴き出していると考えているそうだ。タイの科学庁も科学調査し、その結果を発表しているが、完全に解明されていないようだ。

鬼火
 『天火』以外、日本の各地にも人玉伝説は存在する。奈良の白毫寺と大安寺から出る人玉は鬼火またはジャンジャン火とも言われ、心ならず死んだ人々の霊魂が、この鬼火となるそうだ。写真右:寺島良安の『和漢三才図会』(江戸時代)より「鬼火」
夜、ある時間になると二つの寺から同時に飛び立った人玉は、夫婦川で出あいもつれ合って飛行し、しばらくしてからそれぞれの寺に帰るそうなのだ。心中によって亡くなった男女のそれぞれの家が別々に埋葬したため、死後も人玉となって出会い、愛を確かめ合っているという言い伝えがある。タイの火の玉は出現する日や時間も決まっているが、こちらは分からないらしい。この人玉がジャンジャン火とも言われるのは、火の玉が出る時にジャンジャンと音を出すからこの名が付いたという。これは何か興ざめがする。もう少しロマンチックに「スキスキ」とか「アイシテル」とでも言って飛んでくれると、鬼火見物ファンが増えるのではないか。お寺へ鬼火見物に行き夕涼みを兼ねてビールにおつまみとかいうのもいいねえ。ついでに人玉にビールでも飲ませてみたらどうだろうか。人玉の酔っぱらいなんてどうなるのだろうか。寺はお布施や駐車場で儲けなくても、これで稼げるようになる。公園の池で鯉の餌が売られているところがあるように、人玉に与えるまんじゅうがあってもいい。
 僕がこんな鬼火妖怪になったら、ラブシーンは名古屋城の上でやりたい。帰りには金の鯱の鱗でも失敬してくるけれど。「死んでも強欲な人ねッ!」。転んでも、いや死んでもただでは起きないのだ!!


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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