雪舟神話の欺瞞 その7 ニンポーの死姦青楼

雪舟神話の欺瞞 その7 
ニンポーの死姦青楼

 雪舟等の乗った船はどうにかニンポーへ着いた。この地は始皇帝の命を受けた徐福が、不老不死の薬を求め旅だった港でもある。またかつて、あの道元禅師が日本からここに着いた後、船内に3カ月も留め置かれた港でもあった。雪舟達より240年程も前のことで南宋(当時の中国は宋が華北の地を失い南宋となっていた)の役人も日本を信用していなかったのかもしれない。道元はその間、持ち込んだシイタケを訪れる南宋の禅僧に売ったりしている。今回の雪舟等の場合は直ぐ保護区内への上陸を許可された。この時代には遣明船が定期的に周航することになり、荒らし回る倭寇が激減したことが大きかったのだろうか。
 「さあ、行くぞ!」大声をかけ合って船乗りたちは船を離れた。どこの船乗りもそうだが、港に着き解き放たれると、皆真っ先に遊郭へ向かう。ニンポーは温暖、湿潤だが、日本でいうところの春秋といった季節は少なく、突然冬から夏になる感じがする。雪舟一行が到着した5月は気温が20度前後で、運がよく、まさしく春と言った時期だった。もうしばらくすると南洋蝉が鳴きはじめる夏が始まるであろう。
明代の遊郭事情
 明代は農業や商業の進歩で、また庶民の手工業の安定で国が大いに繁栄した。ここニンポー一帯は稲作発祥の地とも言われ、農、商、工業の発展とそれらの流通中枢となる貿易港として繁栄を極め、庶民まで遊郭へ行く習慣が定着していた。経済の高揚は遊里文化へも影響を与え、遊郭経営も多種多様化してきていた。今、日本のスポーツ紙を見てもその広告にフケセンとかデブセンと言った広告も出ているが、ここニンポーでは裏へ入るとそれどころか、遺体を抱かせる青楼(遊郭)もあった。他の青楼と変わらなくても店先に全ての香を混ぜ合わせ、焚きこめたような香りがするから分かると言う。美女の死体なんてめったに出るものでなく、常に開いているわけでなく、また遺体の腐敗を隠すべく、特殊な香も焚き込んでいるらしい。値段も新鮮度によって違い、また死斑を防ぐマッサージの方法も研究されていたなどと記録に残されている。『九春亭読書録』『明代の遊郭事情』写真右上:『明代の遊郭事情』表紙

 「美女は死んでもお金になるわけですね」良心がぼそりと言う。
「そうではないさ。美女は死んでからも体をこき使われるという言い方も可能だ」
「なるほど、静かに死なせてももらえないんですね」彦竜も哀れそうに返す。
 この頃のことわざに『紅顔薄命』というのがある。美女の命は儚く不運である。「花で最高に美しいのは桃の花。だが最も短命なのも桃の花」。美しい女は早く死んでくれれば死姦青楼に売り込める。そのため殺される者も多いと言う。
「等楊どん、帰ろうか」と、雪舟の説明に怖くなったのか、彦竜も良心も心細そうに言う。
ここで同調したのでは雪舟の威厳に係わる。こんなところもあると事前に青楼について調べてきていた雪舟は、表情を変えず平気な顔をする。「チョッとオレ、様子を見てくるわ」と雪舟は青楼のドアを押して入っていった。看板が上がっていないから、今日は休みであることを知っていての行為だ。道端で待つ二人はおろおろしている。完全に旅のペースは雪舟に握られているといっていい。 

 表通りへ戻り普通の遊郭街へ出て今度は、3人ともが驚かされた。遊郭の前に立つ女達の顔付きがそれぞれ全く違っている。千差万別だ。額が広くて目が細く、顎がはった女。これはモンゴル系だろうか。おなじく目は細めだがうりざね顔で、色が白く口元の小さい女。これは北方ツングース系だろうか。一番多そうなのはギョロ目で眉は太く、下駄顔のおばさんタイプの女。これは中国江南系でだまして連れて来やすいのだろうか。三人が目を疑ったのは金髪、碧眼で超色白の二重瞼の女達が見られることだ。中国も日本と同様に二重瞼は当時美人の条件になっていなかったが、この頃は美人の基準も変わってきて二重瞼の女性も結構男達に喜ばれた。そのような女は絵の中でも描かれるようになっていた。と言っても、楼閣の女達はどんなに魅力的でも絵に描かれることはなかったと言われる。日本と違って、妻やお妾さんしか描かれることはなかったと言う。

8世紀の馬の唐画 「紙と筆はありますよ。直ぐ描き取ってください」竜彦は持っている紙と筆を雪舟に渡そうとする。「女郎は描くものではないよ」と雪舟は断る。だが彼自身、この女等の人物画を日本に持ち込んだら、きっと評判になりお金にもなるだろうことは感じ取っていた。だが描かなかった。いや実は描けなかったのだ。まともに絵の勉強もしたことが無く、相國寺に居た頃、明画の模写絵をたまに画僧のゴミ箱に見つけて広げ、真似て描いてみたが、まともに描くことすらできないことを悟っていた。だからここで、いくら金になるとしても、人物画として女を写生するなんて雪舟にとってとんでもないことだった。彼は字もたいしたことはなかったが、絵も苦手だった。それでも描かねばならないことは知っていた。相國寺出身の自分に周囲が期待することは絵を描くことだった。竜彦、良心の二人も雪舟はうまいと思い込んで疑うことはなかった。下手な彼が絵を描かねばならない苦痛、どうすればうまく見せられるかが彼の課題でもあった。
写真上:8世紀の馬の唐画(動きのあるスケッチ。雪舟の代表作である象[写真下]はデッサン力で見る限り、この絵にはるかに及ばない)
象 雪舟画 
 そのような場合、それをカバーする手段の一つがまず人物を描かないことだった。ついでに、出来れば猫や犬も難しいからスケッチしないことだった。最悪でも馬や牛、象や駱駝までで止めることだった。これらは動物の中では大きくて体の動きがのろく、その点特に象は描きやすかった。動きの鈍い象は犬や猫のような自由に動く関節はなく、描いてもそれほど下手というぼろは出にくい。写真左:象 雪舟画(雪舟の動物写生で一番まともな作品。雪舟を画聖に祭り上げたい人は他の馬やロバ、ラクダを使わず象を使う。動物で一番描きやすく、下手が分かりにくい)
雪舟が描いてもいいと思った生き物は龍だけだった。これは全ての駈け出しの絵描きが思うのではないか。一番描きやすい。固定化された龍画のイメージが無く、蛇の頭を大きく描いておけば、どう描いても龍に見えることだった。

1500年頃描かれた伝雪舟画
 そのほかにもう一つ、これで日本に帰っても明へ渡った絵描きとして通せると思ったのは、小物屋の店先でたくさん並ぶ版画作品を見つけたことだった。人物画あり、動植物画あり、勿論宋、明画が版画にされたものまで並んでいた。日本へ帰った場合、これを写し取ればなんとかなると思っていた。写真右上:1500年頃に描かれた伝雪舟画(明で買った版画本を見て描いている?手や足は難しいから描こうとしていない)
 これは僕の独断かも知れないが、雪舟は購入した版画作品の上に紙を置いて、薄い墨、細い面相筆で薄く写し取ってから、のせた紙を自身の作品として黒く太く描いたのではあるまいか。これは購入した版画作品と雪舟の作品を重ねて見ればすぐ分かることだが、どちらも手元にないからハッキリと証明は出来ない。私も雪舟の時代と立場ならまず試みると思う。下手でもそこいらの一般庶民くらいは騙せる。障壁画など模様見本があり、それを見せると注文主はその中から気に入った絵柄を選び、絵師はそれを写し取って描くというのはごく普通のことだった。

12世紀の南宋画 
 ところで中国社会においては、絵の占める存在価値は高くなかった。支配階級はその専有物として書のほうをより重要視していた。美しく高雅な字を描くことは、神業と見られ、書聖とよばれ人々の尊敬を集めていた。だからますます書の存在が大きく、画は一段下の職人芸と見られた。
 ところが世の中が落ち着き、書をたしなむ者が増えると、多様化を求める世の中は、画にもスポットを当てるようになった。北宋の時代がその始まりと言ってもいい。この時代には書画一致が叫ばれ、絵がレベルアップしていった。写真右上:12世紀の南宋画(村医者が患者の背中にも草を乗せ火をつけている。雪舟よりはるかにうまい。下手だから雪舟はだめだという気はさらさらないが。)
そのこともあって当時版画の技術が急速に広まった。絵を版画にすれば誰でも安く手に入れることが可能になり、お金儲けもできることから版画の技術が急速に広がったのである。
それが店先に並び、雪舟の目にとまることになった。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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