妖怪屋敷第24弾 八事興正寺の七不思議

妖怪屋敷第24弾 八事興正寺の七不思議
八事興正寺は尾張徳川の出城だった

 僕が高校3年生の時の同じクラスに女流新人賞をもらった作家の山下智恵子さんがいる。その夫も同級生で文化人、彼等からいろんな情報が入ってくる。今回も僕のブログを読んだ夫が山彊さんと同じような尾張徳川の落ちのび街道を研究している人がいると教えてくれた。
 彼等の友人に尾張藩で第7番目に位する家老の末裔で横井敏治なる地元史研究家がいる。横井氏は八事を中心に尾張徳川政権の成り立ちについて研究しているという。一度パソコンで調べてみたらと山下さんの主人に言われた。横井氏も僕と同じような徳川の落ちのび街道を調べているという。彼の主張によればそれが八事方面だというのだ。僕の考えではこのコースは落ちのび街道ではなく、軍全体の撤退街道だと思っている。ここで僕の定義する「落ちのび」と「撤退」違いを述べておくと、「落ちのび」は藩主の単独に近い逃亡で、少数の側近や隠密者を伴って密やかに逃げていくもの、それに対して「撤退」は家臣等共々軍全体で移動するものと考える。例えば豊臣方の残党が攻めてきた場合、八事の出城に撤退し、それでさらに情勢が建てなおせなければ、徳川の本拠地であった岡崎・駿河方面へと撤退する。
八事興正寺
 だがここで考慮に入れたいのは、義直と甥っ子の3代将軍家光との関係がぎくしゃくしていたことだ。もし豊臣方が攻めてきたのではなく、江戸の徳川本家と険悪な状態になった場合、逃げ道を岡崎方面に取るとは考えられない。その場合名古屋城から定光寺に至る僕の考えている落ちのび街道が利用されることになろう。家光との戦いとなれば、お上に対する逆賊となるわけだから、形勢不利となれば、ひそかに落ちのびる必要に迫られるわけだ。しかし、八事説も気になって僕なりに調べてみた。写真右:八事興正寺五重塔
 横井氏の文では「落ちのび街道」という言い方はされていない。彼が述べているのは大まかに言って撤退のためのコースで、名古屋城を逃げだした場合、八事が次の拠点になり出城も兼ねるということだ。八事は名古屋の南東の玄関であり、岡崎への最短コースでもある。これ等の説明、僕も納得する。八事から覚王山のあたりは丘陵地で水の便も悪く人が住みづらかったため未開発の状態が続き、寺ぐらいしか建てられなかったのだろう。そして寺は出城としての軍事的機能も兼ね備えるようにし、上級家老を赴任させた。農業にも商業にも適さない土地だから、維持するのに負担にならないよう上級家老に任せたことも納得できる。書かれていることは大体得心がいく。一応彼が調べ公にしている、八事に関する考察を分かりやすく箇条書きにして載せてみよう。
①名古屋城下から東南に斜め一直線に延びた街道の謎。
②なぜ駿河街道と呼ばず飯田街道と呼んだか。平針宿の集落の移転の意味は?
 この街道周辺のための池改修、拡充整備は何故。
③江戸時代末期に書かれた「尾張名所図会」にみる興正寺の謎。
④八事周辺に何故大規模寺院を配したか。この付近を何故上級家老団が管理したか。
⑤八事から北に伸びる不入林の謎。何故ここを他に類を見ない大要塞に尾張徳川家はした   
 のか。
まとめるとこんなところか。文には「何故」「~の謎」がいっぱい記してあり、これらに対する詳細は以後載せられるということだ。いずれ山下さんが彼に会せてくれそうだから、話を聞いた後に又僕も続きを書きたい。

 八事興正寺が出城であったとすると、きっと何か面白い言い伝えが庶民たちの間に残っているに違いない。注目を浴びている場所だから、怖い妖怪話でも出てきそうだ。興正寺には「興正寺の七不思議」伝説があるそうだ。それらを妖怪とからませて、宣伝すれば、きっと子供たちにも人気になり、大人から子供まで楽しめるお寺になるだろう。というわけでちょっと調べ妖怪名も考えてみた。この名前から妖怪に親しみを持ち、しいては八事の歴史に興味を持ってくれたらうれしい。夏休みには「妖怪スポットきもだめし」なんてイベントでもやったらさらに興味を持つのではないか。閑話休題。

阿伽井戸
 まず一つは境内、五重塔の西前にある『姿見の阿伽井戸』だ。写真左:姿見の阿伽井戸
この井戸に自分の姿を映すと自分の将来が分かるという。姿がぼけて映ると良いことが無く、いずれ病気になるか死んでしまう。はっきり映ると健康で仕事も順調ということだ。今は竹の蓋がしてあり覗けないが、戦前は興正寺に来たらおみくじを引くように、人々は自分の顔を写してみたのではないか。これはなかなか面白いから妖怪『未来のぞき』との名でもつけたらどうだろうか。覗きにお金でも取ったら相当稼げる。「お金を取るなんて寺のくせにせこいんじゃない?」我々庶民の立場からいえばそうだが、神社のおみくじなどお金を払って引くのが当たり前になっているし、また只だと有難味が無くて当たらないように思えるのが人の心というものだろう。病弱の人や借金取りに追われているような人は弱々しく覗き台の上に乗るだろう。そうしたら煙でも出る仕組みにしておけば映像もボケ、当たるとして評判になる。(ここまでやるとせこいかも) 細工をしなくても「僕の体は弱ってる」と思っている者が覗けば弱々しく見えるものなのだ。

大日如来
 次に興正寺北東の裏にある大日如来堂の像に乳首が無いことだ。写真右:乳首の無い大日如来
格子戸の隙間から覗ける像には確かに乳首が付いていない。信者の誰かが吸いついて取った(!?)とも考えられるが初めからないとすると、河童妖怪の作った仏像かもしれない。乳首の無いのは河童だ。名古屋は河童王国(妖怪屋敷第18弾のブログでも書いたように、龍を人間化させたのが河童らしい。)だけあって、如来様までが河童の変身で出来上がっているかも。一般的に言って仏像にはペニスはないが乳首はあるものが多い。この如来様の妖怪名は、そのまま『如来河童』とすればいい。井戸と河童はお友達。この姿見の井戸で育ったとすればまたまた面白くなる。  
九品仏
 3番目に、この堂の前には石で出来ているのに、叩くと金属音のする九品仏がある。写真左:叩くと金属音がする九品仏。皆に叩かれ顔やひざがへこんでしまっている
この仏様、参拝者に石で常に叩かれているから。顔が陥没している。顔が無くなっているから妖怪『叩きのっぺら』とでもしたらどうか。夜中にここでこの仏様をたたくと、のっぺらぼうが現れるかも。
 さらなる七不思議は蜘蛛の巣が無いとか雷が落ちないと言われていることだ。しかしこれはどうも腑に落ちない。というのは駐車場を出たらすぐ蜘蛛の巣だらけだったし、雷も最近分かっているだけでも3回落ちている。発展した市街地の中にあっても木が生い茂る八事はやはり蜘蛛も出るし、木が数百年も経て大きくなったから雷も落ちるのだろうが。まあ、かつては蜘蛛もおらず、雷もほとんど落ちなかったのかもしれない。
 一説によると名古屋城から八事へぬける地下トンネルがあると言うが、これはちょっと信じがたい。徳川尾張藩がこの情報を流していたとすると、尼ケ坂を通る妖怪街道から目をそらさせるための偽トンネルではあるまいか。名古屋城の本丸から土居下の隠密同心屋敷へぬけるトンネルならあると聞いているが。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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