妖怪屋敷第20弾 真夏の夜の化け猫談議

妖怪屋敷第20弾 真夏の夜の化け猫談議
妖怪の始まりは?

 そもそも妖怪はどうして現れたのか、誰が作りだしたのか?
先回、「妖怪話は道徳教育の一環でもあった」と書いた。ではその道徳教育を、始めたのは誰か。きっとそれぞれの家庭の祖父母たちが、まず身の回りの身近な妖怪(話)を使って子や孫に、こんなことをしたら、怖い目にあうよと教えさとしたのが始まりであろう。
 日本福祉大学で僕の同僚だった岩倉に住む伊藤さんは、僕が妖怪話を探していると聞き、祖父から聞かされた話をメールしてくれた。それによれば「祖父は小牧山のふもとから奥さんをもらった。その小牧山付近では一年に一度、頂上へうさぎを追い立て捕まえるお祭りがある。近所の村が合同でやるから盛り上がる。そこへ祖父は招待され、帰りにはお土産のあげ寿司をもらった。途中水嵩の減った五条川にかかると、浅瀬に鯉が迷い込んで捕まえられそうなのに気付いた。今晩は鯉濃が出来る。大御馳走だと喜んだ。そこで祖父はあげ寿司の入った風呂敷を土手において川に入っていった。頑張ったが鯉は深みに逃げてしまった。土手に戻ると包みの中からあげ寿司だけが無くなっていた。周りに人がやって来た気配はなかったから、これはきっと狐の仕業に違いない」と孫に話したというわけだ。この話は他のものに目がくらんで自分のものを手放してしまうのを戒める内容ではないか。「持物を手から離してはいけないよ」とウンチクをたれるより、この様な動物を絡ませた方が話としては遥かにインパクトがある。あげ寿司だけ盗まれたのは当時は食べ物が無く、まず人々が狙うのは食い物だったためだろう。

蛇池
 僕の楠中学時代の教え子からは、信長が大蛇探しのため池の水を抜いてしまったという西区の蛇池神社の話が入った。写真右:信長が水を抜いた蛇池
ここは幼くして母を亡くした子供を、蛇が養育するという伝説のあるところ。ある母親が腕白どもに虐められていた蛇を、竹の捕獲道具から外して逃してやった。その蛇が母親の亡くなった後、彼女に代わって子供を育ててくれた話だ。これは蛇の恩返しということになる。この蛇が龍となって乳母代りをしたと伝わっている。龍と蛇が同挌に扱われている。(蛇や龍が子育てをしたというとちょっとリアル性にかける。これを河童にするともっと面白くなる。河童に胸や乳首があったかどうか分からないが、母さん河童が人間の子におっぱいをやっている図なんてなかなか楽しい。こんな話にしてほしかった。残念)また江戸時代にこの龍の存在を知った庄屋の惣右衛門は、これに報いるため蛇池付近の川に赤飯を流したという。これは今でも4月の第二日曜日に感謝のための櫃流神事として取り行われているとか。これは人や動物にいい行いをすればその見返りがあるよ、という道徳話であろう。
  
 こういう話は権力者が流すこともある。僕が調べている土居下から尼ケ坂、徳川園から旭ヶ丘高校、六所神社へ抜ける妖怪街道は明らかに尾張徳川藩が作った殿さまの信州への落ちのび街道だが、まさか落ちのびるために鬱蒼とした森を残しているとは言えない。尼さんが首をくくって死んだから尼ケ坂、その坊やが母を追い掛け亡くなったから坊ケ坂なんていう噂を流し、問題ある場所だから人間の手を加えて開発すると祟りがあるとして開発しないようにしたのだろう。
 水木しげるのいたパプアニューギニアでは女性と性交渉すると早死にすると言われている。これも酋長が性の開放で部落が不倫合戦になることを恐れ、流した性道徳代わりのものだと僕は考えている。女性の体は男を惹きつけるが、それはきっと妖怪のなせる技でそれに誘惑されると、妖怪女の放つ毒で殺されてしまう等といったうわさを流し性行為を戒めたのだろう。

化け猫を演じる入江たか子
 妖怪話は様々な国で人間の生活と深くかかわっているが、では日本の妖怪で最もよく話題に上り、誰もが知っている化け猫は誰が何のために出現させたのだろうか。戦後夏になると決まって化け猫映画が上映された。化け猫女優と言われた入江たか子や鈴木澄子などいまでも思い出せるし、絵にも描ける。常に行燈が出てきて、女が顔を近付けると、目が大きくつり上がり口が裂けて恐怖の妖怪顔になる。そして手頸を丸め前にさし出す。障子に映った女の影が化け猫に変身している。写真左:入江たか子の怪談佐賀屋敷、1953年モノクロ映画



大将の首をくわえた犬
 
 ここでいつも不思議に思うことがある。同じように家で飼われている犬は何故化けないのか。化け犬もなくはない。けれど登場は極端に少なく、里見八犬伝ぐらいしか私には思いつかない。しかも化け猫のような恐ろしいイメージはなく、あくまでも道徳的だ。これは落城を前にした殿さまが飼い犬の八房に「相手の大将の首を取ってきたら娘の伏姫をやる」と約束をする。犬は本当に大将の首をくわえて帰ってくる、というものだ。写真上:相手の大将の首を加えた犬(浮世絵版画から)
だが結局殿さまは娘を与えることはしなかった。だが伏姫は約束を守り八房と行動を共にする。約束を裏切ることは犬でもしてはいけないというお話だ。江戸のこの時代は忠臣、親孝行、貞婦への儒教的道徳話へ持ち込んでいる。

 話を猫に戻そう。犬に比べて猫が化ける話は非常に多い。何故だろうか。身近な妖怪話は祖父母からのものが多いけれど、大きく社会道徳的なものは男たち、とくに権力者が作ったのであろう。猫がほぼ女に化ける設定も男ならではの発想ではあるまいか。自分の気のいい時にはなれなれしく近付いて、後は知らんぷりなのが猫だ。これは世の女たちに似ている。「失礼ね、それは山彊先生の独断と偏見よ。もう恨んで化けて出てやる!」

 化け猫と女郎は前述した行燈の印象から想像されたものではないか。行燈の脂には安い魚油を用いる。猫はその行燈に手をかけ顔を突っ込んで油をなめる。油を盗み飲みするわけだ。女は食べ物に目が無く盗み食いをするという通念があったようだ。また猫のその姿は燈明の光でゆらゆらし、女のなまめかしい姿にも見える。女郎買いに行ってお金をいつも巻き上げられている男が作る話だからこそ猫は女になってしまうのだ。以前何かの本で猫を飼っている女とは結婚するなと聞いたことがある。身勝手で夫を尻にひくと言われている。男にとって猫は危険な生き物なのだ。

 「山彊先生、では以前のブログにあったパプアニューギニアの妖怪たちも誰かが創っているのですか」勿論、あそこは先祖霊が多い。何故多いのか。年寄りとか長老は死ぬまで若者の尊敬を得たい。死後も大事に扱ってほしい。そうなると死後の世界から、もう一度帰ってこられるようなシステムを作っておけば、若者はそれが怖いから年寄りや死人を大切にする。動物のお面が多いのも、化けて出ることができるからむやみに殺してはいけないという暗黙の教えがあるからだろう。
 「家族には妖怪を信じさせた方がいいわけですね」。そうです。古い先祖の写真でもあったら「これを以前捨てようとしたら体が麻痺し、眼前に御先祖様の亡霊が現れた」とでも言い伝えておくといい。きっと大事にしてくれる。

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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