妖怪屋敷 第19弾 「元禄畳奉行の日記」にも妖怪出現!

妖怪屋敷 第19弾
「元禄畳奉行の日記」にも妖怪出現!

 前回の妖怪屋敷第18弾で河童は龍が人間化されたものだと述べた。さらに様々な伝承を調べていくと龍は蛇が妖怪化、神聖化された生き物と考えられる。神社のお賽銭箱の上には太いしめ縄が編んでぶら下がっている。その下には2つの鈴がキン玉のようにぶら下がっている。そのしめ縄は何を意味するか。もちろん絡み合う蛇=龍のシンボルである。「山彊先生、では鈴を鳴らすのは何故ですか」。これをゆすって興奮させ、性行為を煽るもの。これは全て出産や豊穣につながる。フロイドも男根と蛇の関係をそのように記している。マヤ・アステカ文明では蛇の神であるチャクに扮した踊りが披露される。これは豊穣のための雨乞いの儀礼である。まあ男女間の前技のようなものだ。

アンドロメダ姫を救うペルセウス
 この様に考えていくと、豊穣、出産―雨乞い―龍神(河童)―蛇、等が全て循環して関係してくる。龍にまつわる種々の伝説も各地に残っている。ギリシア神話に登場するアンドロメダ姫は龍の餌食になりかかった。そこへメデューサを倒したペルセウスが通りかかり、龍を倒し姫の愛を得て妻にする。この場合の龍は神格化されておらず、姫を手籠めにしようとする悪者として登場する。写真右:ギリシア神話より「アンドロメダ姫を救うペルセウス」 しかし日本では一般的に龍となると神格化して人々に畏敬の念を抱かせる場合が多い。

 ところで名古屋には龍や蛇に関する伝説はないのだろうか。色々調べていくと、元録の頃、あの朝日文左衛門(御畳奉行)が記した『鸚鵡籠中記』の中に面白い話が見つかった。
文左衛門は江戸時代の庶民の出来事や噂話をたくさん書いている。筆まめな日記魔とも言える彼のことだから、しっかり聞いたり見たりして書きとめたと思われる。
 宝永元年、米野村(現米野町?)でのこと。その村内の1軒に憎み合う姑と嫁が住んでいた。嫁は姑に我慢が出来ず、近くの神社のご神木に姑の形をした人形を誰にも見られないよう真夜中に5寸釘で打ち込んだ。するとそのご神木に住んでいた蛇が驚いて祠から飛び出し嫁の女陰に潜り込んでしまった。翌朝村人は股を開いて転がる哀れな女を見つけるが、相手は神の使いの蛇、どうすることもできず、そのうち女は亡くなってしまった。
 この話は、蛇を人間と置き換えてみるとあり得ないことではない。真夜中の神社の木に5寸釘を打ちに来た艶っぽい女を見た神主は、たまらず強姦してしまった。気を失って倒れていた嫁を早朝村人の目にするところとなる。村人は五寸釘を打たれた人形や股を広げ気絶している女と不審な態度の神主を見つけるが、神に仕える神官が犯人とは言えず、結局女は恥じて自害してしまったという話ではないか。この時代、5寸釘を打って嫌いな相手を呪い殺す行為が流行ったという。だから神主も興味があり、かくれて見張っていたのではあるまいか。五寸釘を打つ女のあまりの美しさに目がくらみ、襲ったというのが案外真実だったのかもしれない。本当のことを話せばわが村の恥じになり神主もただでは済まなくなる。そこで前述のような蛇の話にすり替えたのではあるまいか。

富士山噴火 この朝日文左衛門は自宅に現れた妖怪もどき話にも触れている。宝永5年のこと彼の家にある庭の湿ったところに突然、ふにゃふにゃした老人の頭髪のような白っぽい毛が生え始めた。4~5寸程の長さで、中には馬の尻毛のように長いものもあったという。彼はパニックになる。この現象はこの前年(宝永4年)に起きた宝永の富士山の大噴火と関係があるのではあるまいか。写真左:富士山の噴火図
 この当時世間はこの大噴火に怯え、何か起こるに違いないと恐怖し、少し変わった出来事に出くわすと、なんでも富士の神のせいにしていたようだ。そんな中、白い色の長めの雑草を見た朝日文左衛門が、勝手に妖怪と思い込んでしまったとも考えられる。
現毛羽毛
 だがこの数十年後、烏山石燕が表わした『今昔百鬼拾遺』画集に、このことが妖怪となって紹介されている。それが妖怪『毛羽毛現』(けうけげん)だ。別名を『希見希見』と言う。たまにしか見られないのでついた名であるらしい。家の湿った場所に生える(棲みつく)という。これが棲みつくと家族の元気が無くなり、病人も出ると言われている。写真右:妖怪毛羽毛現(烏山石燕作)

 妖怪は人の心に棲みつくもの。何か気になることがあるとそれは妖怪の仕業ということになる。NHKの『平清盛』で、崇徳院が讃岐に配流になり、絶望のうちに崩御する。するとその後に起こった世の中の悪い出来事はすべて崇徳院の怨霊のせいになってしまう。清盛の子が亡くなったこと、厳島神社へ向かう船が台風に出会うことなど全て怨霊のたたりということになる。
 「山彊先生、では妖怪を信じる人は、何か悪いことがあった場合、全部妖怪のせいだと考えるわけですか」。妖怪は人間の作った道徳だと思う。人をいじめた、殺したという場合、それはそれでお終いで死んだ人が蘇ることはないが、そのことによって祟りがあるよ、因果応報だよと考えれば、人は人殺しを躊躇うことになる。NHKの『平清盛』の中で西行が清盛に「崇徳院の祟りかも?」と告げるのは、清盛におごり高ぶって勝手なことをすると祟りがあるぞ」と暗に告げたのであろう。ぼくが妖怪話を掘り起こそうとするのもそんなところに目的があるかも知れない。大津市の中学生によるいじめによる自殺事件も、いずれ殺された者の亡霊が自分に取りつくかもしれないと思えば、いじめはなくなるだろう。妖怪話は社会のルール作りに役立つと思えば僕もやりがいがある。聡明な東海学園の妖怪バスター先生もそのあたりを思っているのではないか。きっと水木しげるの里、境港市では中学生たちは落ち着いていじめ問題など起きていないと思いたい。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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