飛鳥の里で陰陽物発見

『飛鳥の里で陰陽物発見』
 

 ある雑誌から頼まれた原稿だが、女性読者が多いので内容がいやらしくそぐわないとしてボツになり、代わりにブログに載せてみました。僕はそんなにいやらしいとは思わないのですが、女性にはだめですかね。先日は教え子の同窓会へ行って、まだ「朝立ちをしている。君たちも70歳までは頑張れるぞ」と言ったら、男性には受けたけれど、女性はドン引きだったと幹事が先生の僕に言いにきた。ぬれ落ち葉の夫を持つおばさんたちだったからかな。


  10数年ぶりに飛鳥路に出かけた。石舞台古墳や岡寺など以前は入場料が要らなかった覚えなのに全て入場料を取られた。こんなことを気にするのは名古屋人の習性なのか。泊まった宿が元松下幸之助の政経塾で、今は町経営の宿泊所になっている。その宿に隣り合う民家の屋根をふと見ると、鬼瓦が、笑っているおばさんの(?)顔だった。庭には珍しい頭の長い利休灯籠があった。
写真左:屋根の鬼瓦                 写真右:利休灯籠
飛鳥の鬼瓦利休灯籠
 偶然外に出てきたおかみさんに「珍しいものがいっぱいですね。さぞや家の中はすごいでしょうね」と声をかけたら、なんと部屋の中まで見せてくれた。数百年前のものと思われる品が雑然と置かれ、天井に渡された梁の太さだけでも50cm近くあった。話の中で「息子さんにお嫁さんが来たがらないのじゃありませんか。近頃の女性は古い家には住み辛いと言って・・」と尋ねたら、「そうでもないですよ。もう決まりましたから」と言われた。なんとお見合いは互いの屋敷の航空写真を見せ合ってのものだったらしい。お嫁さんが「私の家の床柱と同じでうれしいわ」と言ったとか。旧家にはそれに会った旧家があることを知らされた。

 この家や隣の宿舎は石舞台から1km程の閑散とした所にある。朝、石舞台方面に散歩をしたら、大きなマラ石があった。
飛鳥 マラ石飛鳥マラ石説明碑
写真左:マラ石                          写真右:その説明碑
 観察心旺盛な僕はすぐ考えた。墓である石舞台とこの石は関係があるはず。古代の遺跡は常に陰陽(男女)和合で考えれば説明ができる。墓は死人を再生させる女性の腹である。とするとこの周りにマラと交わるボボもあるはず。そう思って周囲を見ると、なんとマラ石の位置は盛り上がった左右の丘(女性の恥丘と思われる)に囲まれているのだった。石舞台からこの両丘の中央に向かって飛鳥川が流れている。これはまさしく子宮道に違いない。とすると鬼瓦の女顔もそれに合わせたものか。ちなみにこの丘は前述のおかみさんの所有とか。さすが幸之助、選ぶ場所がすごい。



※私の母方の里が江戸時代から続く大商人の家系で住居は江戸時代の商家の建造物だった。近年は住み辛いとして誰も住まず(だから先程のおばさんへの発言となったのだが)、明治村へ寄付することを申し出るが、お勝手や便所が改造してあったから駄目と言われた。この建物はいま、北区にある料亭『しらたま』に移築し、生き残っている。行くと江戸の雰囲気が味わえるからどうぞ。もう私とは何の関係もありませんが。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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