妖怪屋敷 第18弾 河童、龍、無三殿さんは同じルーツ?

妖怪屋敷 第18弾
河童、龍、無三殿さんは同じルーツ?
 

塩竈神社
 前回の妖怪屋敷第17弾で、東海中学・高校のシンポジュームで河童の話が出てきたことを述べた。「妖怪で唯ひとり(一匹?)神にまで出世したのが河童だ」「河童には日本全国でそれぞれの地方独特の呼び名があった。名古屋地方では以前は河童を無三殿(むさんど)さんと呼んでいたが、河童という呼び方に負けてしまった」等々。
 この無三殿さんの呼び名は名古屋市中川区西日置の塩竈神社にその名の社が残る。写真右上:西日置の塩竈神社
ここは神社のデパートのようで、それぞれの地域にあった社が町民で支えられなくなりここにまとめたようだ。いわゆるシネ・コン(シネマ・コンプレックス)ならぬ神社・コンだ。津島社、神明社、秋葉社等7つの社がある。写真下:7つの社の名が入った看板 その中の一つが無三殿社なのだ。塩竈神社の裏に遠慮して立っている。

7つの神社合体
 いずれ日本の我々の墓も核家族化で支え切れなくなり、この様な運命になるのではないか。けれど7つの神社が1か所に集まって、神様同士の争いなどないのかな。まあ神様だから人間のような醜い争いはないのだろう。妖怪だって全てが仲良く集まって行う「百鬼夜行」という行列もある。この行列は奢った人間たちを震え上がらせ、妖怪に対してもっと畏敬の念を抱けと訴えるのが目的ではないかと思われるが、それならば、前回のブログで取り上げた徳川園正門前のマンション建設計画に、妖怪たちも反対してくれるはずだ。夜な夜なマンション建設反対百鬼夜行デモが、胞衣塚と徳川園を巡ってくりひろげられたら、大ニュースになって建設業者も計画を断念するかもしれない

河童の無三殿さん
 話を戻すと、ではなぜ河童が名古屋では無三殿さんと呼ばれたのか。1610(慶長15)年、徳川家康から諸大名20名に名古屋城築城が命じられた際、岩田藤成という武士が工事の無事遂行を祈って仙台の塩竈大明神をここに勧請したのがこの塩竈神社の始まりとのこと。
 その後、その家康に命令を受けた一人で、堀川を掘削したことで知られる福島正則が御手洗盤を寄進し、さらに延宝年間(1673-81)に尾張藩の武将松平康久入道無三が社殿を改修した。この入道無三の屋敷が、山王橋の西北角の江川・笈瀬川の合流地点にあり、無三殿(むさんどの)と呼ばれていた。
 この付近はイグサが茂る湿地帯で、そのいり(圦-水門)に河童(霊鼈)が棲んでいて、川神さまとして崇められ「無三殿大神」(庶民には「むさんどさん」と親しみを込めて呼ばれている)として祀られるようになったという言い伝えがある。写真上:無三殿さんの河童彫刻の像
 河童の好物はキュウリとのことでこの無三殿大神にはいつもキュウリが供えられている。キュウリはその95%が水分で、水と関係の深い河童の好物にされたと思われる。キュウリを巻いた寿司をかっぱ巻きというのもそこから来ている。
写真下:きゅうりの供えられた社
供えられたキュウリ
 この無三殿大神=河童、実は龍(ドラゴン)が人間化したものとも言われている。僕は中日ドラゴンズファンでもあるので、ドラゴンズにちなんでこの龍と河童の話を大学の芸術文化の講義で時々やる。中日ファンが学生に多いと(ドラゴンズのチアガールが学生の中にいたこともある)調子に乗って次回もやったことがある。ギリシャ、メソポタミア時代にも龍は存在していたから、講義は内容の濃いものになり、古代文明にも内容は触れる。「ギリシャやメソポタミアにも河童の妖怪がいたのですか」。西洋では河童の容姿ではないけれども、水があれば水の神や悪魔としてまず登場してくる。
 「山彊先生、河童と龍が同じ妖怪である証拠はあるのですか」。ありますね。双方とも頭にお皿(博山)を持っている。そしてこのお皿の水が神通力で、この皿は肉が盛り上がって丸い池を作ることで成立している。彼等は金属が嫌いでキュウリが大好きだ。背には鱗があり、指は釣爪で雨を呼ぶ妖怪でもある。よく漫画では女に言い寄る河童が出てきたが、河童は何故か女好きに描かれる。龍の女好きは、あの形からして男根そのものだから女が好きなのは当たり前だ。(ここでその説明をしたいが、民族学的な分野に入りここでは枚数が足りないから止める。これも僕の得意とする分野で、授業を聞く学生がすごく喜ぶ内容でもある)

 別の言い伝えでは、河童は中国の黄河に住む龍神である「河伯」(かはく)から変化した妖怪とも言われる。中国の民は日照りになったり、逆に洪水になった場合、河に牛や馬をささげ河伯に助けを求めたという。この話が明船によって日本に伝わり、江戸時代に各地に広がり、雨乞いの時には龍神さまに祈るという風習が出来たらしい。
 ちなみに中日ドラゴンズが野球シーズンの始まる直前、その名にちなんでドームの1キロ西にある六所社の龍神さまを全員で拝み始めたのも同じ理由だろう。
 いずれにしろ、河童、無三殿さん、河伯、龍は同じ起源から来ており、特に農民にとって大切な雨をもたらしてくれるありがたい存在ということから、神格化し、龍神さまとして崇められるようになったということだろう。

 もう一つおもしろい話は、西日置の無三殿大神は商売、子供、根抜きの神様で、根抜きとは痔を治すのに御利益があるということだそうだ。しかし痔を治すためには、拝むだけでなく河童にお尻を見せなければならない。河童は一般的に尻を見せられるのを嫌い怒るらしいが、この名古屋地区の河童は尻を見せると喜んで、痔を治してくれるという。この地の河童はよりHなのかもしれない。

 まあそこで提案だが中日ドラゴンズを中日カッパーズとでもしたらどうだろうか。ドラゴンなんて世界中いたるところにいて、ユニークさに欠ける。野球のファン層が減少している現在、面白くて楽しいネーミングにして、子供たちをもっと取りこんだらいかがなものだろう。少なくとも日本中の話題になる。楽しみが多極化した現代は、これくらいの改革を打たなくてはファンを呼び戻せないのではないか。「そんなことしたら、ドラファンが嫌がって、逃げていくんじゃない?ドアラもカパラなんてものになったら、可愛くないもんね」





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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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