妖怪屋敷 第17弾 東海中学・高校で「妖怪シンポジューム」開催

妖怪屋敷 第17弾
東海中学・高校で「妖怪シンポジューム」開催

妖怪絵師3人
 さる6月30日(土)、東海学園でサタデープログラム知的エンターテイメント講座が催された。色々な講座があり鳩山由紀夫元総理もそのうちの1つの講座の講師で招かれていた。

 その中のひとつに『妖怪ライブイベント~百怪涼乱』があった。これを企画、進行したのは我が妖怪バスターの一人、島田尚幸君(当校理科の先生)なのだ。彼は妖怪を科学的考察も加えながら、縦板に水を流すように説明していく。この講座は、講師が一人単調にしゃべっておしまいというようなよくあるパターンのつまらないものでなく、テレビのバラェティー番組のようでしかもレベルが高い。さすが県下唯一の優秀な進学校の教師だけある。
 ひと通りの説明の後、進行は観客とのコラボレーションに移る。観客に知りたい、興味のある妖怪の名を御品書きに書かれている100の妖怪の中から挙げてもらう。すると即座に島田先生がその妖怪の成り立ちと特徴を解説する。それと並行して前に陣取った3人の妖怪好きな絵師が、その指名された妖怪を描いてスクリーンに映し出す。リアル性がありすごくわかりやすい。
写真右上:会場で即興に妖怪を描く妖怪絵師3人

丸田町角道標 様々な妖怪名が飛び交うが僕の知らない名も多い。毛羽毛現(けうけげん)、以津真天(いつまで)、煙々羅(えんえんら)、目目連(ももくれん)、わいら、おとろし、等々。僕は先回のブログで書いたおからねこが気になって、隣にいた優しそうなおばさんに代わって質問してもらった。島田先生は間髪をいれず説明に入る。場所や成り立ちに加え江戸期から明治期にすごく有名になり、名古屋市民は誰もが知っていたという。
道標のプレート 丸田町交差点西南角には今でも石の道標があり、東へ行くと八事、北が大曽根、南が熱田、西がおからねこと矢場地蔵と彫ってある。それぐらい知られた場所だったのだ。
写真左:丸田町の交差点にある石の道標(上)。倒れないように補強してあり、石に彫られた文字が読み取りにくい。そのため今はその文字を記したプレートが道路に埋め込まれている(下)。おからねこの字が読み取れる
 大須出身の妻に言わせると、彼女の母親が友達と会う時、「おからねこの前で」ということが多かったと聞いた記憶があるという。今の「ナナちゃん人形の前で会いましょう」と同じようなものだったのかもしれない。ネコと言うフィーリングがいいのだろうか。

おからねこ
 島田先生の横では妖怪好きのプロ絵師がおからねこを描いていく。僕は絵の中に猫が登場するか、大須に関するものが描かれているか興味を持った。出来上がった絵師の作品は、可愛い猫の背中から根が生えて大樹になるものだった。唐の猫が祀られたそばに榎の大樹の根っ子だけが残ったという伝説から、絵師は禰子を根子と猫、と捉えて絵にしただろうと思われる。
写真右:妖怪絵師が描いたおからねこ
庶民もきっと同じとらえ方をするから一般人の見方で描いたのであろう。このようなことで可愛い猫というイメージが定着して広がり、飼っていて亡くなった猫の弔いに来る人も多かったという。本来の禰は仁徳天皇のことであったり、神社の禰宜さんの呼び名にも使われている。文字の意味は、庶民に使われるうちに勝手に変化していくものである。

 (自分の話で恐縮だが、僕の名前、彊一の彊の字は旁が、一 (道)、田、一、田、一となっており、地域一帯を表し、偏の弓は武器であり、武力でもって地域一帯を支配する強い者から「一番強い」という意味らしい。だが書きづらかったためか、強にとって代わられてしまった。強は旁が、ム+虫、偏が弓で人間に一番嫌われたお米の虫である「コクゾウムシ」の字であったらしい。コクゾウムシが彊を追い出し、強になったのだ)

妖怪絵師に描かれた妖怪達
 この東海学園の講座で僕が初めて知った妖怪話もあった。馬が妖怪になるのはこの地区だけのことだという。三英傑の出たこの地は戦いが多く、馬の役割も大きかった。そんなところからの馬妖怪の出現になったのか。
また名古屋で呼ぶ「無三殿さん(むさんどさん)」というのは東京ではカッパのことで、この名が全国制覇をしてしまって、この地でもカッパとなって定着したとか。さらにカッパは妖怪でただ一人(一匹)龍神さまとして神に上りつめた、などなどいろいろ知らなかったことが解説され、面白かった。
写真上:妖怪絵師たちが描いた様々な妖怪

 東海学園は建中寺のすぐ隣に位置し、妖怪街道の南の端にある。ここと僕の家を結ぶとその中央に光友の「胞衣塚」がある。島田先生がこの地の妖怪学者のトップなのは、やはり妖怪が彼を導いたのだろうか。ここは僕の父が腹を立ち割って光友を産んだお乾の方の亡きがらが埋めてあるといったところだ。(僕のブログ妖怪屋敷第11弾参照)いずれ彼が証明してくれるだろう。ここは今春になると桜の木で覆われる。ここで来年ぐらい妖怪愛好者による花見酒会をやってもいい。天岩戸のようにお乾の方が覗いてくれるかもしれない。


※文中にある妖怪の説明
○毛羽毛現=全身けむくじゃらで、人のいない時に出現する。人に出くわしても悪さはしないがこの妖怪が家に棲みつくと、家族の元気が無くなってしまう。
○以津真天=羽を持ち鬼の顔をしている。体は龍で5m程ある。戦争や飢饉で人が亡くなり、遺体が野晒しになっていると、「いつまで」、「いつまで」と人間の声で鳴く。夜行性で火を吐くこともある。遺体が変身したとも言われる。
○煙々羅=煙に宿る妖怪。風呂やかまどの煙の中に人間の顔絵をして現れ空中を飛び回る。
とくに人には危害を加えない。
○目目連=日本古来の目の妖怪。障子や天井、唐紙に無数の目となって現われる。碁打ち師の念が碁盤に行き、そこから周囲に飛ぶという説もある。
○わいら=狩野派の画家がしばしば描いている妖怪だが、正体がはっきりしない。腹ばいになった牛のようで緑色をしている。前脚には鎌のような鋭い爪がある。
○おとろし=神社の鳥居の上に住み、おかしなものが社に入ってこないか見張っている。仁王様や狛犬のような存在か。門かぶりの松にも似ている。伸びた頭髪とひしゃけた顔をして、首から上だけが発達したように見える。



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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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