名古屋人の正体

名古屋人の正体
山田彊一著


この文は2009年に出版の予定でしたが、文の全てがこれまで私の書いた各新聞や雑誌への100本程(千数百本の内)のエッセーであるため、それぞれに許可を得るのが大変として保留している本の原稿です。
その間ブログでの提示ならすぐ読んで頂けるとして、載せてみました。
全文を載せると長いので、目次とプロローグと第1章をまず載せたいと思います。目次にもありますように、第1章 生活編、第2章 アート編、第3章 教育編、第4章 一人旅編、第5章 あぶな編と続き、それぞれ面白い話題が満載です。面白そうなタイトルから読んでいただくのもいいかなと思います。







<目次>
プロローグ

第一章  生活編
1 名古屋人がきしめんを食べたがるわけ(燃料費がうどんの三分の一で済むからでないの?)
2 名古屋の料理は何故まずいと言われるか(住・衣のため値段の高い鮮魚を食べない街「腹に入れば皆同じ」)
3 母の立ちションと、こそ泥の容認(有名な花ドロボーもこの延長か?)
4 当地名物花ドロボー(開店の数分で盗まれる祝花)
5 名古屋のホームレスとピカソの関係(ホームレスもピカソも詐欺で弁当を手に入れる)
6 ピカソは名古屋人?(マラガ<ピカソの生誕地>でコーヒーを飲んだらおつまみが出た)
7 校内暴力が多いこの地の中学(学校は内部の出来事をいっさい外に出さない)
8 名古屋美人論(「中央公論」は名古屋女を美人と決めつけている)
9 新橋の鳥料理屋はほとんどが名古屋出身だ(名古屋芸者が持ち込んだ)
10 東京の味噌煮込み屋・・目茶目茶だ(味噌汁<赤味噌>に白玉うどんを入れただけ)
11 名古屋人好みのエビフリャー(金のシャチ=エビフリャーになった訳)
12 大将軍<大阪>VS天ムス<名古屋>(大阪もセコイが名古屋の勝ちか)
13 金シャチルパンコンクール(名古屋城の天守閣に輝く純金のシャチを盗む方法)
14 「田分け」の言葉を多発する名古屋(東京はバカ、大阪はアホ、名古屋はタワケ)
15 名古屋人は犬が好き?(犬は女性が好き。妻が実権を握っているということか)
16 ブランドは農耕民族が好む(ブランド漬けの名古屋人)
17 香港はブランドを利用、名古屋は犠牲者?(8888のナンバープレイトが香港では1億円) 
18 お米の名古屋ブランドは駄目(工業の物造りに決まっているギャー)
19 熟年婦人に嫌われる東山公園(40~60年前のデートの定番)
20 名古屋で一番人気、ナナちゃん人形(この地のマスコミ露出度No1、他府県ではゼロ)
21 純名古屋人は一宮から岐阜方面に(一宮の喫茶店に豪華なモーニング)
22 猫に小判、1億円の今池彫刻(税金の1億を投入し、誰も知らない彫刻を立てる
23 フェミニストのおばさんが、「ミス名古屋」を作る(主催者側は、こんな女性が怖いのだ)
24 この地の芥川賞受賞者<平成19年度>(「文学界をぶち壊す!」と彼)
25 消える墓と性道徳(名古屋にはお坊さんが多い)
26 デザイン都市名古屋の求愛方法学(体にアイラブユーの文字を日光で焼く)
27 ここがヘンだよ名古屋(淀君は太閤の2号さんだから名古屋祭りにそぐわない)
28 名古屋人の正体(ブランド品を持つのはソープ嬢)
29 伊勢の男は何故でかい(伊勢うどんと同じで、太いだけ)
30 落書きの真髄?(思わぬところで思わぬ図柄に出合うもの)
31 名古屋の文化度は何故低い(茶華道と芸術の区別が出来ない)
32 名古屋に真っ赤なネクタイは売られていない(目立つ格好はしないから売れない)
33 名古屋人の好きな巨大迷路(設備にお金が掛らず、客も少しの入場料で長時間遊べる)

第二章  アート編
1  ダリと母親殺しの少年の共通項(マザコンだった?)
2  「地獄へ行く者、夢を持つべからず」<ダンテの神曲より>(夢を語るからピカソはもてた)
3  ドラクロアの「民衆を導く自由の女神」(「セクハラ絵画だ!」告発した名古屋のおばさん)
4  ホームレス風貌の池田満寿夫(ショウガ焼き豚肉とふりかけ)
5  「私のヌードモデルになって」パリジェンヌ(断る名古屋の画学生)
6  商店街に世界規模のアートが・・(おしっこで味付けしたパフォーマンスアート)
7  名古屋・大須出身の荒川修作(ニューヨークで活躍する世界的芸術家)
8  トヨタの里・三河出身の河原温(一日一点、その日付を描くだけ)
9  芥川賞の画家、赤瀬川原平(偽札偽造の罪で裁判に)

第三章  教育編

1  中学が爆発する<1>(授業中、教室の後ろで抱き合う男女生徒がいる)
2  中学が爆発する<2>(本当はさみしがり屋なんだ)
3  生徒と向き合えぬ教師の現状(愛知県西尾市の中学生いじめ自殺事件)
4  ゼミ生に同棲相談を受けた(男は寝たい、女は一緒にいたい)
5  若者考「ウサギと亀」のお話(「ナンパしなくなった男子学生」)
6  僕等にできる教育革命(5千万円恐喝事件は愛知だから起こった)
7  ブランドの贈りっこ(名古屋女性も理屈が通れば・・)
8  何故数人の妻を持てるの?(ゼミの女子大生の質問)

第四章  独り旅編
1  マダガスカルで出会った日本の70歳(髪の毛は黒ぐろとして50歳と思った) 
2  ビルカバンバ<旧世界三大長寿郷>間一髪、紙風船で救われた(ペルーとの紛争地域に入り、銃を突き付けられ)
3  挑発するキューバの女(ヘミングウェイが自殺した同じ年齢になりキューバへ)
4  襲われカモになる日本人(またタクシーで脅迫された)
5  パプアニューギニア彷徨と性(女性の体は汚れたもの。こうして性を抑えたのか)
6  吉本ばななのエジプトと僕(エイズ青年と「死の谷」、なぜ死を描かない?)
7  竹夫人(ダッチワイフのこと)
8  一妻多夫制の地・チベット(待ちの夫が獣姦?雪男誕生はこれか)
9  桃源郷を求めての旅(スリナガル・ダル湖の女)
10  南米エクアドルの吉永小百合症候群(相手の20代を思い出し、90歳でカチカチ燃える恋)
11  アフリカ・マリ共和国(60年に1回、ドゴンの性の祭り)
12  北京西安・名古屋現代版画展(我々をダンスに引き出す中国の女性画家)
13  南京講演とゴキブリ(一匹の蚊もいなかった)
14  ケニアでのパフォーマンス(スーパーのレジ女性からもお声が)
15  今でも内戦の続くグルジア(高級ホテルを難民が占領、住居に)
16  ヘビースモーカーの多いトルコ(新聞いっぱいのカラーヌードとたばこと自慰の関係)
17  ロシアの女性は男をたてる(天下り役人の援助交際ロシア版)

第五章  あぶな編
1  「一妻多夫」と雪男<イエティ>(アレキサンダーが雪男をつくった?)
2  不倫はしても離婚しない名古屋(ある不倫物語)
3  結婚している限り愛のコールを(女は言葉で確認がほしいようだ)
4  守り思考の今時の男性(「彼女に性病をうつされました。けれど別れたくありません」。昔は女のセリフだった)
5  女性の描く恋と愛(「マジソングンの橋」が女の性意識を変えた)
6  自殺と不倫と「失楽園」(勃起する男は自殺しない)
7  日本「性具見本市」(名古屋の会社がすごい)
8  エロビデオの草分け(役人辞めベンツ2台)
9  今時の若者のH事情(青春ってすばらしい、もう負ける―)
10  前立腺がんの手術後(奥さん頑張れと同一行動)
11  「ダビンチコード」(ピラミッドも僕の息子も黄金分割)

エピローグ  [石橋を渡った名古屋人]
        
プロローグ 

あの名古屋弁のきつい、テレビでおなじみの河村たかし国会議員が名古屋市長となった。しかも歴代で最高の票を得てのことだ。僕の周囲のインテリ層はほとんどが、対抗馬の自民党に押されたダンディーな候補の圧勝を信じていた。彼らは「河村候補のはしたない名古屋弁はこの地の恥」と言い、格好をつけての派手な結婚式、派手な葬儀をする層だ。ブランドを持ちたがる階層でもある。ところが僕の周辺のおばさん達は圧倒的に河村派だった。彼女らは地元の中日新聞しかとらず、それも朝刊だけ。「何故って?」スーパーの安売りチラシは中日新聞の朝刊しかたくさん入ってこないから。四百年近く名古屋の北の玄関口・大曽根に住む庄屋の子孫である僕には、このおばさんの気持がよく分かる。
この地の美術大学の教授連はダンディー候補支持だった。僕も美大で教えているが、後者のおばさんの気持も分かる。「高い月謝を取って金にならない絵を何故描かせるの。手に職を付けて食えるようにしてちょーだい」と言われる。だから僕はもらったサラリーの半分は学生らに還元していた。自宅での無料コンパ、自分のお金で仕事を取って来てゼミの美大生に与え、僕の秘伝の技法まで教え、高い材料費も僕もちで教えていた。高い学費を取られている彼らは貧しい。先生たちはそれで食べ、作品まで売っているのだから、「税金を取ってる者は天国、払っている者は地獄」の河村市長の言葉そっくり。美大生らは他の学部の学生と違って勤め口が少なく、その点でも美大の先生はケアをしなければならない。こういった僕の考えを主張すると他の先生からものすごく嫌われる。(大学の先生の仕事は美術を教えることでそれ以外はする必要が無いというのが彼らの主張だ。)山田が勝手に言っているうちはいいが、賛同すれば、いずれそれが自分らにも及んでくることが分かるからだ。だがこの僕の発言も、河村さんと同じではないか。市長の年収を8百万円にするとか税金を十㌫カットするといった公約をみて、僕のやってきたこととそっくりだと思った。    

そんなこともあり河村新市長のハッタリか冗談かと思われる言動は、この本のページをめくれば、少しは分かっていただけるのではと思っている。一つ違うのは僕にあるエッチにおじけない部分(この本でもそれで味付けしていることが多い)は河村さんにない気がするが?

ここに取り上げた文は、この20年ほどの間に書いた新聞原稿等千点を超す中から選んだ
100点程のエッセイだ。名古屋の出来事を中心に固いものは排除し、またあまりの下話しは撤去したので、読みやすくなっていると思う。これまでの名古屋本はほとんどが建前論であったが、この僕の本は完全な本音、しかも名古屋のド真ん中にいての本音だ。普通は名古屋の事をここまで書くなんて、とんでもないと潰されかねない内容だが、名古屋原人の先祖を持った人が書き手では何も言えなくなる。これが身内に弱い名古屋だ。名古屋原人の新市長もそれ故だから圧倒的な支持を受けたのではないか。
以前テレビの「トゥナイト」に司会者として出演し、山本晋也監督と名古屋を紹介した折、「山田さんは名古屋をケチだケチだとけなしながら、結局名古屋を愛しているのですね」と言われたことがある。こう思って読み進んでいただけたら嬉しい。
ところで名古屋人は真面目なの、助平なの?この本を読めば答えがみつかるはず。







第一章  生活編

1 名古屋人がきしめんを食べたがるわけ
(燃料費がうどんの三分の一で済むからでないの?)

 「そば」か「きしめん」か、どちらが好き?清洲越えの血を引く名古屋原人の私に、そんな質問は無意味。きしめんに決まっている。それは水がおいしい名古屋だから。きしめんは平ぺったくて水に触れる面積が多い。だから水が命。その点、名古屋は木曽川という名水をかかえ、きしめんを食べるのに好都合な土地柄。水分が薄ぺらな麺を包み、食べやすくしているから、まろやかな味になる。
 「否、うすっぺらな麺は早くゆだるから燃料の節約をして食べている」と、揶揄するアンチ名古屋人もいる。質素、倹約はこの地の美徳。それが平気でなければ不況に強い名古屋は生まれない。
 私は東京へ出かける場合、少し早めに出かけ、新幹線ホームできしめんの立ち喰いをやる。こうすれば東京でのまずい料理をすぐ食べる必要はないからだ。と記すと「名古屋の料理はおいしくて、東京はまずいのか。それは風評とは違うではないか」とおっしゃる人もみえるだろう。これには反論したい。料理の命は水なのだ。その水のおいしい名古屋は、料理もおいしいに決まっている。私は東京へ行くと、まず水は飲まない。飲んで慢性化している当地の人には分からないらしいが、初めて上京した子供たちは、飲んだ水を吐き出してしまう者も多い。
 私の東京での定番の食事は何かというと、実は天ぷらそば。きしめんはないし、うどんはまずいから。カレーや他の料理でもいいが、あとで飲むお茶や水が臭くてまずいから。その点、そばはいい。麺が汁をあまりすわないし、味が濃いから匂いが分からない。それに天ぷらまで加えれば、油が匂いを消してくれる。
 先日、東京の友人と浅草へ向かって歩いている時、彼が「名古屋にはサッポロラーメン屋は多いけれど、東京は豚骨ラーメンが中心」と話し出した。彼に言わせると「東京人は働きがハード。だから薄味のサッポロラーメンより濃い豚骨ラーメンを好む」になる。だったら道産子は働きが悪く、九州っ子は働きがいいという訳か。この解釈は違うと思う。東京で私がそばを食べるのと同じように、ラーメンも濃い味がいいのだ。
 もっとも先ごろの東京の水は少しおいしくなった。工業試験所の友人に言わせると、日本の水道水はこれまで塩素消毒であったが、今はオゾンに切り替えているからだそうだ。ヨーロッパはオゾンで、アメリカは塩素方式、日本は戦後このかた塩素であったが、発がんの疑いや匂いがきついので切り替えているという。私の東京での食事も、天ぷらそばから他の料理へ切り替える日がくるかもしれぬ。
 名古屋はハイテク都市と言われる。江戸時代に、ひらうどんという名できしめんが登場したことが、西鶴の「好色一代男」に出てくる。燃料節約のためだけでなら、そばや冷麦だってそうだが、うどんのうまみを残して煮込めると言えば、きしめんしかない。そして、このきしめんは名古屋以外にはない。なかなかのアイデアものだ。アイデアの必要なハイテクも、このあたりに基があったかもしれぬ。
(読売新聞 95、6、5)
付 「何故あんなにまずいきしめんを名古屋人はおいしいと言ってるの?」。それは食べ方が悪いから。うどんとは似て非なるもの。チンパンジーとボノボ(ピグミーチンパンジー)との違いと一緒。チンパンジーは他の動物のように背後位。ボノボはメスが主導権を取っていて、内部での争いもあまりない。だから正常位を好むの。これ、僕も驚き。「突然何を言いだすの。ボノボはきしめんだと言いたいの」。おいしく食べるなら、そばのように一度水にさらしてから。「そばは人間の比喩?」。まあまあ。それか茹ったら1分以内に湯付きで食べること。


2 名古屋の料理は何故まずいと言われるか
(住・衣のため値段の高い鮮魚を食べない街「腹に入れば皆同じ」)

 夫の晩酌の肴ともなる鮮魚の購入量が、名古屋は全国でほぼ最下位に近い。下には豚の消費の多い那覇や海のない岐阜、甲府等数市があるのみ。また名古屋の中央卸売市場へ入荷する生鮮水産物のうち、トップがあの脂肪が気になるピンクで安価なキハダマグロ。東京の一位はトロいっぱいの高価なメバチ。名古屋のメバチの入荷は10位にも入っていない。入れても売れないのだ。どうも名古屋の主婦は、夫においしい品を食べさせようという気がないらしい。夫に喜ばれるより預貯金を増やす方がうれしいのだろう。
 実はこのデータ、NHKから頂いた。先日これ等の集計を挙げ、「名古屋食文化のコメントを・・」と、東京新聞から依頼を受けまとめた折のもの。
 昔から名古屋が重要視するのは住・衣・食の順だと言われる。大きな屋敷に住み、ブランド品に身を包む。これで「あなたはお金持ちですね」と思われる。要は見栄っ張りなのだ。家の中で食べ物なんか誰にも分からない。そこで食にはお金をかけない。
 NHKの調査では人口10万人に対する魚屋の数も挙げ、東京は20軒、大阪18軒余、名古屋は13軒少であるという。食へのこだわりのなさが分かる。目の前でさばいてくれる新鮮でおいしい魚より、スーパーのトレイに入った品を食卓に並べる。三河湾や伊勢湾の魚は水の関係でもおいしいのに、名古屋へはあまり入荷しない。
 話はとぶが、このことはアフリカのキリマンジャロコーヒーを、その里の部族が飲んでいないのに似ている。僕はケニアにひとり旅した折、ここで薫り高いキリマンジャロコーヒーが頂けると思ったら、どの部族を訪ねてもコーヒーのもてなしを受けなかった。コーヒー豆はすべて、金を稼ぐための輸出品となってしまうようだ。名古屋地方で取れる魚介類と同じだ。
 名古屋は水がおいしく、三河、伊勢湾で新鮮な魚がよく獲れるのに、何故か料理はまずいと他府県人に言われる。どうも根源は食を軽視する風潮にあるようだ。亡くなったおふくろは大家の娘だったのに「腹に入れば、皆同じ」と、事あるごとに言っていた。
 そして貯めたお金を結婚式や葬儀に使う。目に見えない味より、目に見える祝事で自己を派手にピーアールするのが名古屋なのだ。
(毎日新聞 00、4、26)
付 「河村さんの自転車戦略はどうなの、見てかっこよくないけれど?」。これまではベンツやクラウン(今はレクサス)に乗る名古屋人が尊敬されていた。僕の仲間たちは60歳近くなると、無理をしてでも前記の車に乗りたがる。これが人生の出世見本のように男たちは思っていた。それを軽蔑していた女たちが自転車の河村候補を応援したのではないか。名古屋の男たちは今でも恥ずかしくてスーパーに行けない者が多い。そんな男に対しての女たちが反逆したのだ。女たちは見栄の生活を捨て、今を大切に生きるようになったのではないか。そろそろ名古屋人も三河湾のおいしい魚を食べるようになる。クラウンから自転車に乗り換えればお金が浮いて、ゆとりが出るはずだ。河村市長で名古屋は食べ物のおいしい街になりそうだ。


3 母の立ちションと、こそ泥の容認
(有名な花ドロボーもこの延長か?)

 幼いころから気になっていたことがある。わが家は戦争で家が焼失したけれど、それでもタンス類が5本残っていた。それは疎開と称して家具等を親類へ預けるシステムによって、助かったことによる。これはお互いに荷物を預け合い、家がアメリカのB29で焼かれてもどこかの親戚が焼けず残れば、預けた荷が戻るという当時の人の(親戚間の冠婚葬祭を大事にする、この地方だけの思考か?)知恵が生み出したもの。
 戦後はそれらの荷が返って、いもや野菜との交換に使われた。僕は打ち出の小槌の家具を見ながら、すべての引き出しに鍵穴のあるのを知って不思議に思っていた。なぜならおふくろがそのタンスに鍵をかけるのを、一度も見たことがなかったからだ。不必要な鍵がなぜ付いているのだと。中国の奇書「金瓶梅」を読んでいて、そのなぞが解けた。
 明の時代、高価な家具類の購入可能な家は、ほとんど使用人がいた。金品類は当然として、食べ物まで盗まれることがある。そこで鍵が必要となる。中国では主婦の別名を「鍵を持つ人」という。タンスは金庫の役もしていたわけだと納得した。
 この家具類が返却された後、おふくろが中身を調べて数点の貴重品が紛失していることに気づいた。それぞれの親戚がくすねたようだ。どちらの親戚に預けたかで夫婦げんかが始まったけれど、親戚にまでは文句を言わなかった。これも金瓶梅によると、使用人は、例えば主人から買い物を依頼された際、上前をはねるのが常識であり、社会の風潮だったともいう。以前の名古屋も、中国と同じような思考があったのだろうか(この精神が名古屋の花ドロボーに繋がるのだろう)。
 僕の最も嫌だった不思議は、気位の高いおふくろの立ちションだった。小学生のころ、どうして女子トイレに男性同様の便器がないか、疑ったものだ。噂で聞くと、立ち小便の習慣はこの地方の女性に多いという。なぜか。この疑問は数回のインド旅行でチョット分かった。朝の駅の線路わきでは、常に無数の男がしゃがんで用をたしていた。ところが終わった後、ふかない者が多かった。後ほどインド人に尋ねたら、インド人の男は小便をしゃがんでするのだという。女性は逆に立ってするそうだ。ギリシャのヘロドトスがエジプトへ行った際、女性のほとんどが立ち小便であったと記していた。それぞれの地方の習慣で、人々は自由にやっていたわけだ。かつての名古屋人も性におおらかで見られることに拒否反応がなかったのか「だからソープ等の数が日本一なの?」。否、やはり農耕民族的合理主義の結果か。インドもエジプトも農耕民族。日本も同じ。名古屋はその日本の中心で色濃く農耕主義が残っている。
(毎日新聞 00、2、2) 


4 当地名物花ドロボー
(開店の数分で盗まれる祝花)

 名古屋出身で東京に暮らす友人宅へ寄ったら、「部屋に花が飾れない」と、奥さんがぼやいていた。花があると、訪ねてきた知人は「アラ、この花、どこの開店祝いのもの?」と、半ば冗談めかして尋ねるという。黙殺すればいいが、東京のテレビにも、名古屋人が開店祝いの生花を我先にかっぱらっていく情景を流されると、見ていて非常に恥ずかしく、知人が名古屋人であった私を嘲笑したくなるのも納得してしまう・・と。
 この行為は戦後から始まったことらしい。「本来の名古屋人は、そんなミットモニャーことせんでナモ」と、名妓連の西川喜久さんは言う。
 しかし現に花ドロボーは名古屋あたりでは当たり前である。外から客観的に見ると、みっともない行為も、名古屋の中に入り込んでしまうと、感じなくなってしまう。
 他県から名古屋にやってくる人は、客観的な目でこの地を見るから怖い。版画家のM氏が僕に「名駅前の大きなピラミッド状のモニュメントを、東京の連中がどう呼んでいるか知っているかね。糞(ウンチ)タワーだって」と語った。「糞みたい」という発言は、僕も数人から聞かされた。駅前のビル群を人間に例えれば、このモニュメントは、糞の形と大きさだ。版画家氏のこの話は前述した花ドロボーの件と重複し、僕はゾッとし、蒼白となった。
 ブリューゲルの有名な作品にも日本の言い伝えにもあるが、ドロボーは押し入った後、縁起をかついで、捕まえられないよう、その家の玄関へ糞をしてくるという。(私の友人も空き巣に入られた後、玄関に糞をされたという。その友人、2度目に入られた時には放火されている)
 花ドロボーと糞作品がつながってしまった。この2つをどうとらえるか、人それぞれだろうが、名古屋人もそろそろ井の中の蛙から大海に出て、広い視野に立ち、グローバルな視点で名古屋の街づくりを考えるべきではないか。そしてまず、花ドロボーの習慣をやめよう、と提案したいのだが・・。
(読売新聞 97、2、23)
付 花ドロボーは僕が物心の付いたころから行われている。何時からのことか分からないが、戦後からだろう。名古屋の都心は一面焼け野原となった。そこへ他府県からたくさんの人が移り住んできたが、名古屋人は他府県のものを受け入れない。怒った人たちが派手にオープンする名古屋人の店を、花を盗ることで鬱憤を晴らしたのではないか。店側はついでにピーアールにもなるとして、放置したのだろう。
付 わが家の近くに大きな企業のビルが建ち、玄関サイドに2㍍×10㍍の花壇ができた。そこにはパンジーやベコニア、マーガレットなどのどこにでも見られる安い花が植えられた。ところがその花を一株ずつ堂々と盗んでいくおばさんか何人もいた。僕が横を通っても平気だ。盗むという意識がない。この一週間後この花壇に大きな看板が立った。「花を盗むな!防犯カメラ作動中」というものだ。きれいな花園がこの看板で台無しになった。ここの社長は他府県から来て、名古屋で儲けた人だった。 


5 名古屋のホームレスとピカソの関係
(ホームレスもピカソも詐欺で弁当を手に入れる)

この地に伝わる江戸時代の小咄に、次のようなものがある。『商家の旦那が重病になった。家族が心配して薬を飲ませようとするが、口をつぐんで全然飲もうとしない。薬が嫌いなのか、死を覚悟したからか。けれど家族としてはたまらない。店が倒れかねない。そこへやって来たのが番頭さん。「旦那さま、このお薬はお隣のご主人からいただいたもので、ただですよ」と呼びかける。すると途端に大きく口を開けた』。
 この話を読みながら、これはまさしく名古屋地方の話だと思った。ケチのためには死をもいとわない精神、これがこの地に巣くっている。
 この超ケチの名古屋で先日、ホームレスに弁当屋が2千食近い弁当をだまし取られるという事件が起きた。五木ひろし後援会役員を名のるスーツ姿のホームレス男は、後援会の費用も弁当屋から取りたて、加えて不景気で食にありつけない仲間のために、毎朝40食分の弁当を25回にわたって騙し取っていたという。
 ケチな名古屋人がなぜこのような平凡な手に引っ掛かるのか検証を試みた。それは名古屋人が権威や有名人に弱く、外見で人を計る特質を持っているのに他ならない。だから名古屋でブランド品が一番売れるのだ。中身より外見で相手を判断する。立派なスーツを着たり、ブランド品を持つ者を信用し、ついでに有名人の名を出せばこれで名古屋人を欺ける。
 僕は昨年『ピカソはやっぱり名古屋人』という本を出版した。ピカソを調べていくうちに分かったことだが彼も極貧だった25歳ごろ、同じ手を使って無銭飲食を繰り返していた。友人にシルクハットを借り、レストランへ食事の注文に行き家まで届けさせる。集金にやって来たボーイには、同棲していた女(フェルナンド)が「今お風呂に入っているの。後にして」と、ドアの内側から答える。これでボーイは不承不承帰って行ったという。キャベツのスープだけで一週間過ごしたこともあるというから、当時のピカソはホームレスと変わりなかったのだ。やっぱりピカソは名古屋人。名古屋もだんだん面白くなりそうだ。
(新聞報社 99、8、24)
付 「河村さんがピカソになるのね」。ピカソはめちゃパフォーマンスがうまかった。スキャンダルの男。似てるね。生地マラガからバルセロナへ出る折キャンバスの裏に大きく「われは王者!」と記している。河村さんは「名古屋から総理を目指す男」と自分で言っていた。また似てるね。


6 ピカソは名古屋人?
(マラガ<ピカソの生誕地>でコーヒーを飲んだらおつまみが出た)

先日『ピカソはやっぱり名古屋人』という本を出版した。「おかしいじゃない。ダサイと言われる名古屋がどうしてピカソなの?」と、おしかりを受けるかもしれない。だがよく調べていくと、そう言い切っても間違いじゃないと僕には思える。
 そのきっかけは三年前の僕のスペイン旅行にある。ピカソの芸術を知るために、彼の生誕の地マラガに滞在した折のこと。下町のパブに入ってコーヒーを注文したら、なんとおつまみが出た。こんなことは外国ではいっさいなかったので、「名古屋と一緒だ!」とびっくり。気になってたくさんのパブに入った。そうしたらほとんどの店が、何かかにかのおつまみを出すのだった。
 僕は嬉しくなってきた。ピカソの出身地でおつまみが出る。ということは、名古屋からピカソ並みの大芸術家が輩出される可能性もあるということだ。
 おつまみ以外でも結婚式がド派手など、名古屋的なものがいっぱい。名古屋人は金が大好きで、金シャチを眺め、それに似たエビフリャーを食べ、昔はきんさん・ぎんさんのように金の付く名前を付けた。僕の弟は金雄、叔父は鉂郎、友人は鏘二といったように。そのわりに三人とも、お金に縁のない感だが。
 マラガもよく似て、新しいドレスを買ってボタンが金色でないと、わざわざ金色に取り換えると言われる(マラガの近郊に住む友人の話)。
 町にある唯一の大きな闘牛場は丘のすぐ下にあり、タダ見ができる。幼いころ、貧乏でケチだったピカソもきっとここで観戦したにちがいない。通説ではピカソは次から次へと変えた妻(恋人も)に、ほとんどお金を与えなかったと言われる。ケチは大芸術家になる必要条件かもしれない。だったら名古屋はこれにも当てはまる。
 僕も絵描きでケチだが、大家になれないのは名古屋から外へ出なかったことと、妻を一度しか変えなかったからだろうか。またマラガに逗留しているうちに絵はがきを購入しょうとしたら、写真を使ったものばかりで絵で描いたものが1点もなかった。名古屋も同じだ。誰も名古屋には絵で描けるような美しい風景はないと思っているのだろう。
 名古屋とピカソをからませて、名古屋をもう一度考えてみるのもいいのではないだろうか。ピカソ級は排出していなくても荒川修作や河原温、赤瀬川源平、奈良美智等の現代のヒーローは出ている。
(中日新聞 98、10、30)
付 『連鎖する大暴落』等の著書で知られる福島隆彦氏は不景気には金を買え、と言う。これからは金で、まだ倍にはなるそうだ。「だから名古屋人は金シャチを作った。それを屋根に飾ってみんなを満足させ、そしてここがいちばん盗られない金庫でもあることもしっていたのね」。まさしく一石二鳥ならぬ三鳥だ。「これが名古屋思考のルーツね!」


7 校内暴力が多いこの地の中学
(学校は内部の出来事をいっさい外に出さない)

名古屋の教育界は閉鎖的で管理的だ。学校で起きたことを、外に出さない。しゃべった教師は村八分にされてしまう。かつて中学校の教師をしていたが、この体質は今も変わっていない。
 これは、一部の力を持った校長が、密室の話し合いで新しい校長を選んでいるのが原因だと思う。生徒ではなく、上ばかり見ている人がなったり、学閥が横行したり。平教師はその下で委縮しているか諦めている。
 僕の教師時代も、校内で何か事件が起きても校長は「自分を校長に選んでくれた人に申し訳ない」と、体面を気にして警察に届けない。それを繰り返すと、生徒は「何をやっても大丈夫、先生は警察に連絡しない」となり、エスカレートする。その最たるものが先年の5000万円恐喝事件だ。
 だから次の市長には、中学校の校長人事を改革してほしい。校長を2人制にして、地域から「ボランティア校長」を募る。また、市民が参加した「校長選択委員会」のような機関で校長を選ぶようにすることが望ましい。そうすれば、学校の現状が外から見えるようになり、良い方向に向かうと思う。
(朝日新聞 01、4、19)
付 上記の文、前々回の市長選の新聞コメント。この意見、長い間無視をされてきたけれど、どうも今度の河村市長はこれに近いことをやってくれそう。「地区でやれることは地区に任せる」と約束していたから。これで学校の中の隠ぺい体質が無くなるのではないか。
以前僕の勤める中学でボヤ騒ぎがあった。体育館の一部が焼け消防自動車が名古屋中から駆け付けた。新聞の正式発表は「外部の者が侵入したらしい」だった。とんでもない。生徒たちが体育館の倉庫でたばこを吸っていたからだ。このことは生徒のほとんどが知っている。学校は新聞記者に外部者と告げたから、誰が煙草を吸ったか分かっていても、注意は出来ない。それを知った悪ガキはその後、やりたい放題だった。職員会では僕とあと1人が反対したが、押し切られた。そして学内はガタガタになっていった。
こういったことを気の弱い校長が1人でやるはずはない。学区の市会議員の同意を取りに出かけている。


8 名古屋美人論
(「中央公論」は名古屋女を美人と決めつけている)

女子大で教えていての禁句は不美人に関する言葉だ。チビ、デブ、ブス等、間違っても発してはならない。有難いことに私は50代。女子大生の誰を見ても全て若いからブスに思えるはずがない。だから美しいを連発している。だが先日、学生の一人から「先生が言われる美しいは私には嫌味に聞こえます。私は鼻が低く目も細いし・・・」と半ば冗談で言われた。私も同じのりで「君ってスタイルがいいし性格も色っぽいから美しいと言っても間違っていないと思うのだが」と反論した。「だったら質問しますが“あの娘はスタイルも性格もいいが美人じゃない”という言葉は、その理解でいくと間違っているんじゃないですか」とさらに反論され、言葉使いの難しさを痛感してしまった。女の子は難しい。
話は変わるが明治43年に中央公論で『名古屋美人論』なるものが発表された。名古屋は美人の産地で、その美人が全国へ輸出されていると記されていた。この地は芸どころであるため、芸を身につけた女が芸者となって全国に繰り出していることを言っているらしい。
この文では、名古屋美人の定義も述べていた。名古屋女はほほ骨が並外れて低い。これは名古屋の料理法が進んでいるためである。料理法の工夫で食物が細かく刻まれたり煮込まれたりするため、ほお骨をあまり使う必要がないからだという。また名古屋女は一般の卵に目鼻でなくて瓜に目鼻であり、あごは二重になり歯は食物をあまり噛まなくていいためネズミ歯になり、そのためか唇は厚く突き出しているという。目は二重で大きく眼球は小さめで、これが名古屋女を永遠の未通女に見せているそうだ。だから東京でも成功する芸者は名古屋の出身だという。なにか褒められているのか、けなされているのか分からないが、まあ美人が多いということは喜ばしい事ではないか。
だがそうなると、目が切れ長の女性は「失礼です。私の顔は経験を積んだ証になるのですか」と怒り狂われるかも知れぬ。面白いことに女子中学生の目を観察すると5人に1人が二重瞼である。それが大学生になると整形して5人に4人が二重と変わる。ということは女性たちも名古屋美人論に沿った考えなのだろうか。
(愛知美容新聞 96、3、1)


9 新橋の鳥料理屋はほとんどが名古屋出身だ
(名古屋芸者が持ち込んだ)

昨年の9月13日はNHKテレビの長寿番組『今日の料理』の司会をしながら、岡崎の街々を歩いていた。八丁味噌の角久さんを出発点として、岡崎公園内の味噌でんがくの老舗、康生通りの和菓子屋の味噌せんべい、その近くの味噌煮込み屋。岡崎では中華料理にまで八丁味噌が使われているらしく、ラーメン屋さんまで。最後は家康の里、柳生の自家製味噌を作るおじいちゃんを訪ねる。(豆味噌を食べたから家康は将軍になったと暗に言いたいため)。そして夕焼けをバックにおじいちゃんの八丁味噌を作る豆の畑で撮影終了となる。
全国番組はやはりすごい。東京や九州などからの早速の電話。「名古屋はおいしい物の産地だね」から「八丁味噌ぐらいしか誇るものがないんかね」のいびり型まで様々。
つい先日も新橋で美術評論家による出版記念の飲み会が鶏専門の料亭であった。新橋には鳥料理が多い。その折に私の出演した『今日の料理』の話題となった。「名古屋では鶏の味噌すきが有名なんだってね。安いものね。君のテレビでは紹介されなかったね」と言われた。
「名古屋人に鶏料理のもてなしはまずかったかな」と主催の先生。「東京へ来て名古屋料理をいただくのもおつなものです」と私。「オイ、オイ。鶏料理だから名古屋と決めつけては困る。ここの女将は京都だと話しているよ」名古屋いびりを好む有名Y画家が言う。
 そこへ女将が挨拶にやってくる。先程の画家が尋ねる。「女将、ここの先代は京都でしょう」「ハイ、そうです」。私はすかさず「名古屋じゃありませんか。店構えも屋号も完全に名古屋風ですが」と言った。鳥料理は名古屋と信じている僕は、入る折、店の雰囲気などなにも観察してこなかったけれど、鎌を掛けてみたのだった。「すいません。名古屋の方には嘘をつけませんね。初代は名古屋出身です」と、けろっと答えた。私が鎌を掛けるにはそれなりの信念があった。
 新橋は芸者街の代名詞のつくところ。そして明治、大正のお座敷芸者の産地は名古屋だった。だから名古屋は芸どころと称されている。新橋に鶏料理店が多いのは、その芸者が板前さんを名古屋から連れて来て、店を開くことになったからだ。
 東京人は名古屋の飲食店をまずいと軽蔑している。それが分かっているから女将は、京都と嘘をつかなければならぬ。
 参加者たちに酔いが回り始めると、ここぞとばかり名古屋いじめは辛辣となる。「名古屋へ行くとラーメンライスという食べ物があるだろう。あれは何だね。ラーメンもご飯も主食だからおかしいよ。スパゲティーとライスのようなもんだ。東京では肉体労働者ぐらいしか食べないよ」「いや、最近は漫画家が面白がって食べてるよ」等々、名古屋は散々だ。
 翌日、木場にある東京現代美術館を訪ね、帰りに近くの込み合うラーメン屋さんに入ったら、ラーメンを食べている人の半数以上がライスも取っていた。東京も同じだ。名古屋の真似をしている。名古屋人はもっといばっていいのでは?
(愛知美容新聞 97、10、1)
付 「ひょっとしてういろうも名古屋がルーツではないの。少しのお米を最大限にする食べ方は?」「山口にも京都にもあるからそれはないでしょう」。当たってますね。他県にもあるが、時代も知名度もダントツなのは名古屋と伊勢。どちらもケチのおおもと。明治からあった青柳ういろう、伊勢の虎屋ういろも古い。これは少ないお米で腹を増やす、お粥からの発想ではないか。お粥を煮込むとゼリー状になる。ここから名古屋人はお金儲けになる食べ物に気がついた。昭和6年には名古屋駅構内で売り出している。


10 東京の味噌煮込み屋・・目茶目茶だ
(味噌汁<赤味噌>に白玉うどんを入れただけ)

東京からゴールデンウイークに一時帰ってきた息子が「東京で味噌煮込みを食べたよ。おやじの作るものと全然ちがう」と話した。商いでも冒険を嫌う名古屋人は、いくら名古屋で評判の味噌煮込みでも、東京や大阪で店を出すことはしない。つぶれる心配があり無理をしないのだ。
 ところが高田馬場の早稲田大学近くに「名古屋うどん」の看板を掲げ、味噌煮込みやきしめんを出す店があるという。名古屋人がオーナーでないようだ。この店の料理法を聞いてたまげてしまった。ゆでた白玉うどんに赤味噌のお汁をかけるだけだという。一口で言えば、味噌汁にうどんが入っているわけだ。これには猛烈な憤慨を覚える。名古屋をバカにしている。(最近は名古屋の老舗の数件が東京でも店を出すようになった。僕のような憤慨を抱いた人がいたからか)
 今度は逆な話だが、その後しばらくして僕は名古屋のテレビに出演した。その折の女性アナウンサーは大阪出身であった。収録の後、そのアナウンサーとコーヒーを飲みながら雑談を交わした。その中で僕は彼女に「何故本場大阪のたこ焼きはあんなにまずいの?」と質問してみた。つい先日、難波で、たこ焼き屋に並ぶ行列に惑わされ僕も列の後ろに付いてしまった。はじめて食べるそのたこ焼きがまずかった。キャベツがなく口へ入れるとクシャーとして、タコだけが傲慢に存在を誇示していた。おじやにタコだけが入っている感じ。うどん粉も水分が多く半煮の感じ。大阪人は味音痴じゃないかと思った。
 「何言ってるの。それは逆、大阪の人のセリフよ。名古屋はタコ焼きに何故キャベツを入れるのよ。それではお好み焼きと一緒じゃない」と彼女の反撃。「あれー、たこ焼きはお好み焼きの一口サイズじゃないの?」と僕。「お好みを食べたかったらわざわざ面倒なタコ焼き風にしなくたって・・」
 僕は無知だった。けれど、もし名古屋でキャベツ無しのタコ焼きを売ったら、繁盛しないと思われる。そうか、東京で名古屋風味噌煮込みを売っても誰も食べにいかないわけか。(その後進出した名古屋名物の老舗、苦戦を強いられているのではないか。東京に滞在する名古屋人だけの店になっているのでは?)
 ではおいしさとはなんであろうか。古い本の中で、学者のおもしろい実験報告を読んだ。生まれてから1年間スイトンを食べさせた猫に、その後普通食を与えた。数年度、その猫に肉等の一般食とスイトンを与えた。猫はスイトンから食べたという。
(毎日新聞 00、6、28)
付 味噌汁にうどんを入れる食べ方は、「すいとん」と言われ、もともと江戸時代から江戸にあった。安くてまずいから中間(足軽の下の位)以下の食べ物だった。これを名古屋名物だなんて看板に書くからとんでもない。名古屋を安ければ何でも食べる民と見下している。戦後に食べたスイトンも語源はここからではないだろうか。


11 名古屋人好みのエビフリャー
(金のシャチ=エビフリャーになった訳)

名古屋の大学に通う僕の娘が、友だちとレストランに入ってエビフライ定食を注文した。「やっぱり名古屋人だね。エビフライが好きなんだ」と一人の子が言った。「アラ、何故やっぱり名古屋はエビフライなの?」静岡出身の子が質問をした。
 「アレ、エビフライが名古屋名物であるの、知らないの」「エ、エビフライが名古屋名物なの。静岡でもたくさん食べてるよ」。むきになって反論をした。
 「名古屋城の金シャチからエビフライを考えたのよ。よく似てるでしょう」「ウソー」「・・・」
 近頃は名古屋の小、中学校の昼食にも「金シャチカレー」というメニューがあって、カレーの皿の両側にエビフライが乗っている。だから若い人中心に「エビフライ」=「金シャチ」=「名古屋名物」のイメージが定着していると言える。
 実はこの図式、僕が作り出したもの。16年ほど前、『きしめん紳士が行く』という本を出版し、名古屋にこだわり始めた。3年後にはデザイン博が控えていて、東京のテレビ局も名古屋にターゲットを絞って取材を進めていた。
 そんな中、視聴率の高い夜の11時からの番組「トゥナイト」も、2回の名古屋名物特集番組を制作した。この企画は僕が作り、司会も山本晋也監督と一緒にやった。この全国番組で僕は「名古屋人は金シャチが好きで、それに似ているエビフリャーを好んで食べるのだ」と話した。(エビフライと金シャチの映像も並べてブラウン管にのせた)。これが全国に定着した。エビフライは静岡出身の子が言うように、どの地方でも食べられているであろうが、それを名古屋と結び付けたわけだ。
 名古屋市美術館のお土産グッツでよく知られるのはモジリアニをイメージした金太郎飴。これも僕が考え美術館に教えてあげたもの。今度は万博がやって来る。皆さんも何か名古屋に自分の痕跡を残してみては・・・。
(毎日新聞 01、5、25)
付 天ムスや手羽先、ひつまぶしも同じように誰かが考えたもの。こんなにして名古屋にこだわる人間も多いのだ。


12 大将軍<大阪>VS天ムス<名古屋>
(大阪もセコイが名古屋の勝ちか)

以前の話になるが大阪で花博が催された最終日、見学者が突然花壇や店先にある花を勝手に持って帰りだした。驚いた主催者側は必死になって止めに入った。花を抱かえた人は「誰かが最終日だから持っていてもいい」と言ったという。大阪ではこの張本人をケチの名古屋人が最初に言い出し、持っていったと決めつけて、笑いの種にしたという。名古屋にかこつけ盗んでいくのだ。これは卑怯だ。どうも開店祝いの花を名古屋人があっという間に奪っていってしまうテレビのシーンを見たことに原因しているらしいが、と言って名古屋を利用するな。
僕はこの話を聞かされてすごく憤慨した。“名古屋人を、使い古し、捨ててやる花を盗む餓鬼的な存在に見ている。これは違う、失礼だ。名古屋人は間違っても古い花を奪わない。店先に飾ったばかりの新品の花を狙うのだ・・”と。(もっとひどいのでは!)とにかく名古屋には大阪より行動にポリシーがある。せこくないのだ。
だがさすが大阪という話もある。僕の大学時代だったか、大阪の飲食店「大将軍」の行為に感動したことがある。フランスでナポレオン大将軍の帽子が売りに出された。これを「大将軍」の社長が100万円で買って店先に飾った。多くのマスコミはこれを取り上げ、レストランは連日の満員となった。大阪人のド派手感覚に合っていたのだ。100万円で上手なピーアールをした訳だ。そしてしばらくし、人々の関心も一段落した頃、今度は「ナポレオンの遺品はやはりフランスにあるべきだ」として、返してしまった。この行為を善意と見たマスコミは、また大きく取り上げた。100万という金が何十倍という広告費に化けたと言える。このマスコミの利用の仕方にはもう脱帽。名古屋人をドロボーに仕立てたり、ナポレオンの帽子の使い方など名古屋人は勝てない。
 ところが名古屋にはもっとスマートなピーアールをする商人がいる。日本中に知れ渡る名古屋の大名物、天むすのお話。大須にある天むす屋は近所(数軒となり)の人の話によると「ここは以前、時計の修理をする小さな店であった。ここへ松阪から女性が嫁ぎ、天むす屋に商売替えをした。彼女の伊勢商人的経営が功を奏し、松坂屋からも出店を依頼される天むす本家になってしまった。店は昔のままの質素なつくりだが、一家が家族旅行等でホテルに入ると、その払いの良さでVIP並みの待遇を受ける」という。
 ではこの無名だった天むす店がいかにして今日の地位を築いたか。そのご近所の女性の話によると、松阪出身のお嫁さんが御園座の楽屋裏へせっせと天むすを名古屋名物として差し入れたことに始まるらしい。天むすをもらった役者は、お礼のつもりで「名古屋にはおにぎりの中へエビ天を入れたユニークな名物がありますね」とか、舞台で話をした。
 これを聞いた名古屋の観客は驚く。自分たちさえ知らないこの地の名物を知っていると。東京では有名に違いない。東京に弱い名古屋人が早速買いに行くことになる。これが天むす神話らしい。高い宣伝広告費を使うことなく自前の商品でそれに代えた。これは大阪以上に洒落た行為ではないか。ちなみに天むすを握ったそのお嫁さんと握手すると、運が向いてくるという。
 ケチとは機知にとんだ商人精神といえる。ケチの軍配は果たして大阪それとも名古屋?
(愛知美容新聞 96、12、1)
付・この地に400年前から先祖が住んでいた超名古屋人の僕も「天むす」については、友人の個展か何かで出会った女性に聞かされるまで何も知らなかった。けれど名物なんてこんなことでできあがるのではないか。江戸、明治から続く名物なんてきしめんと鳥料理ぐらいでないか。味噌煮込みも鳥料理を食べた後、残った少しの汁の中にうどんを入れて食べていたのが、戦後独立して一品料理となったのかもしれない。


13 金シャチルパンコンクール
(名古屋城の天守閣に輝く純金のシャチを盗む方法)

僕が企画した金シャチルパンコンクール(ドロボー合戦)は、面白いコンクールだと評判になった。新聞、雑誌、インターネットなどを通じて広がっていき(朝日では全国版トップニュース)、予想より多くの応募があった。その中から上位に選ばれた人の表彰式を8月2日、ナゴヤドーム横の東市民ギャラリ―で行う。そのほかの応募者の作品も展示する。絵や写真、漫画もある。そして、このコンクールの審査を僕とやってくれた作家、清水義範さんの講演も同日午後1時半から同所である。
 清水義範さんは名古屋出身で「尾張春風伝」や「蕎麦ときしめん」「やっとかめ探偵団」で知られる小説家。徳川宗春やきしめんを世間に広めたのも彼。吉川英冶文学新人賞なんて偉そうな賞を取ったが、ユーモアのセンス抜群。この人なら、このコンクールの面白さを理解してもらえると思い、審査を頼んだら、何と二つ返事で引き受けてくれた。
 初めは「とろいこと、やめとけ」という周囲の声もあったが、応募作品の多さや日本中のマスコミの好感で吹き飛んだ。今でこそトヨタで名古屋は元気がいいと言われるが、以前はいつもこけにされていた。保守的で田舎、何も発信しない小心者の集団と思われていた。ちなみに僕が愛知万博の開かれる2か月前、東京や大阪へ万博のキャラクターであるモリゾーのTシャツを着ていったら誰も知らなかった。名古屋のやることなんて問題視していないのだ
 名古屋人である僕は名古屋をピーアールしたいと常に考えていた。そんな時、知人が東京の知り合いとウェスティンナゴヤキャッスルホテルで食事をしていた折、名古屋城の金シャチを見て「名古屋はマルコ・ポーロの述べるジパングかも」と言われた話をきき、それをヒントに、「金シャチ強奪作戦コンクール」を思いついた。
 いくら大阪人でも、このネタには勝てまい。きっと、この面白さで、このニュースは世界へ飛んでいくと思った。その通りになり、コンクールの3位にはスペイン人が入った。全国の生ラジオに何回も電話出演したが、最後に相手のアナウンサーが「名古屋は面白い、ヤル気あるところだったんですね」と、常に締めくくっていた。ヤッタネ。
(名古屋タイムズ 05、7、28)
付 面白い名古屋、内に秘めた改革精神の名古屋。これは今回の河村市長の誕生で実証できたのではないか。だけれどこの「金シャチコンクール」はすんなりいった訳ではなかった。朝日新聞に記事が掲載されると、その1、2時間後全国からものすごい非難の電話が入った。「ドロボーを競わせるとは何事だ」「教育者のくせにドロボーを薦めるとは」といったものだった。勿論「面白いですね、応募の仕方を教えてほしい」というものもあったが。僕の勤める芸術大学では教授会でこのことが話し合われ、「以後やらないように」とか言った非難決議がなされた。


14 「田分け」の言葉を多発する名古屋
(東京はバカ、大阪はアホ、名古屋はタワケ)

新学期の最初、ゼミの学生に自己紹介をさせていた時のことだ。金沢から来ている学生がいた。紹介後すぐコメントをはさみたがる僕は「石川県の津幡に学生時代、彼女がいたんだよ。美しかったけれど気が強かったなー」と。「私、その隣の町です」と金沢の子。「彼女どうしているかなー」「先生、ダラやねー」「ワー懐かしい。そのダラってタワケのことでしょう」彼女に言われたことがある僕はまた割り込んだ。「タワケって何?」「バカのことだよ」。
 ここで全国から来ている学生たちの話が弾む。「タワケって武士の言葉でしょう。今でも使っているの。わー、シーラカンス」。関西出身で冗談好きのゼミ長がおどけてみせる。「東京はバカ、大阪はアホ、金沢はダラになるのだよネ」。
 ここでまた僕。「津幡の女性に振られ、次に付き合ったのが岡崎の女性。デートすると〝そうダラー″の連発。バカ、ばかと言われている感じ」。「先生!岐阜では〝クソタワケ″〝ドタワケ″とも言うんですよ」岐阜出身の学生の発言。
 ここで僕がまとめる。『タワケ』という語は1千年以上も前、『日本書紀』に登場する。本来は『婬』(たは)けの意味だったらしく『淫乱』『淫欲』に近い意味として使われてきたが、現代では『戯ける』として残っている。その語が、この地方で生き残ったのは『田分け』とつながるからでないか。江戸は100万人の街、尾張は7万人ほどの街。競っても勝負にならない。だが御三家筆頭としては威厳が必要。そこで財産(田畑等)を子供全てに分ける(田分け)ことをせず長男に残す。
 まずまずの広さの田畑でも兄弟で分ければ共倒れとなる。それは愚かな(タワケ)こと。だから歴代の名古屋人は、そのことを未来永劫言い続けたいため田分けの言葉を使い続けているのではないだろうか。
(毎日新聞 02、5、17)
付 以前、大阪のどこかのテレビ局が「全国アホ・バカ分布図」なる地図を作った。これによるとアホは近畿圏に圧倒的に多く、バカは一般的だが関東や九州に多い。タワケは名古屋圏に集中しているが、一応全国にほんの一部一部だが散らばっている。香川の学生に「うちの方でも使うよ」と言われたことがある。これをどう判断すればいいか。徳川家はこの地の出身。全国の大名は後継ぎのない場合や姫を求める折等、尾張藩に頼むのではないか。
 そんな場合、御三家筆頭として裸一貫とはいかず、それ相応の仕立ての品や金品を持参したのではなかろうか。この費用をねん出するためにより節約(ケチ)を心がけるようになり、タワケという名古屋弁も一緒に付いていったと思われるが。


15 名古屋人は犬が好き?
(犬は女性が好き。妻が実権を握っているということか)

この夏、僕はピカソを調べるために、スペインへとひとり旅をした。スペイン人は人生を楽しむ民族といわれている。ある夜僕が夜11時に床に就き、けたたましい車の騒音で飛び起きて「シマッタ!朝だ。列車に乗り遅れる」と時計を見たら午前1時だったことがある。家路につく車の群れだったようだ。
 裏道を歩いて気になるのが、いたるところにある犬の糞だ。それだけ人々、主にお年寄りや女性が犬を連れて散歩しているのだ。犬を飼うのも人生の楽しみの一つなのかなと思った。
 犬の数ではわが名古屋も負けていない。登録件数は全国でもトップクラスだそうだ。「動物好きな人が多いね」で終わってはいけない。このことは何を意味するのだろう。以前僕は学生たち100人ほどに、「あなたの好きな動物は何?」という質問をしたことがある。その結果、女性がトップにあげたのが犬だった。猫はというと、男性の方が上位にあげていた。僕はこれを踏まえて猫の好きな女子学生がいると、「君は結婚して家庭におさまるタイプではない。社会に出て働きなさい」とおせっかいな忠告をしている。
 それでは、犬の多い名古屋をどう理解すればよいのだろうか。そこで僕流に想像すると、しっかり者で家事もこなす犬好きの優しい妻が、家で采配を振るっている姿だ。
 また、犬を飼うことは、お年寄りにもいいと言われている。福祉の国、スウェ―デンやデンマークでも犬を連れたお年寄りにたくさん会った。ドイツの電車やバスには犬の運賃表まで張ってあり、犬も人間並みである。
 ある時、東京からやってきた友人が、「午前10時ごろ名古屋駅や金山駅かいわいを通ると、たくさんの元気なお年寄りを目にする」と話してくれた。敬老無料パスのおかげかなと思ったが、「名古屋は北欧並みでしょう」と話を合わせておいた。しかし、「いやーあ山田君、実は家に居づらいんだよ」と、話をしてくれたお年寄りもいた。
(広報なごや 96、10月号)
付 登録している犬が多いということは、お役人に逆らわず真面目で、役人が決めたことはやるという精神の表れとも思われる。NHKの視聴料金も一番払っている率は高いのではないか。しかもほとんどが銀行からの引き落としにして。
 僕の知る大阪人は誰もNHKの料金は払っていない。犬を飼っていても鑑札は受けていない。だから名古屋の犬の数が統計上はより多くなるとも考えられる。


16 ブランドは農耕民族が好む
(ブランド漬けの名古屋人)

ブランド品が売れるのは名古屋が東京に次いで2位であるという。人口比でみたら名古屋がトップであろう。これは何を意味するか。画家である私はブランド品に批判的だ。ブランドは自分で作り出すもので、人の作ったブランドを買うなんて芸術家の恥と思っている。数年前、こんな話をいつもCDやグッチ、カルダンで身を包んでいる女性の同級生にしたら、バカにされてしまった。「山田さんは知らないでしょうが、ブランド品は本当にいいんですよ。作りも、物も良いし・・。持ってみたことのない人には分からないでしょうが」と。バーゲン品ばかりあさっている貧乏人には分かるものかといった態度だった。
 この彼女らをギャフンと言わせたときは痛快だった。トルコへ旅行した折、僕はイスタンブール大学の南にある大バザールで、手持ちのバッグが壊れたので新しいのを買った。日本円にすると2300円程のドイツ製だった。日本では見たことのないブランドだったがそのことは全然気にならなかった。誰も持っていないから気分もよかった。
 このバッグを名古屋で持って歩いたら、冒頭のブランドおばさんに嫌みを言われた。「なにー、そのド派手なバッグ。見たことないブランドね。香港かソウルで買ったんでしょう」と。そんなバッグを持っているあなたのそばには、いたくないのといった感じだった。そうかそんなに見苦しいバッグなのかと思い、洋服ダンスの奥に押し込んで置いた。
 その一年後、何の気なしにそのバッグを持って忘年会に出かけた。そしたらなんと同級生だった婦人数人が僕を取り巻き、目を白黒させ「山田さん、すごいバッグを持ってるじゃない。それ14~15万したでしょう。どうしたの。そんな高価なバッグを持っているのはスナックのママか、ヤクザの女くらいよ。品薄で手に入りにくいし」と言うではないか。
このブランドバックについて彼女らの話を総合するとこうだ。半年ほど前、日本のある
企業がドイツのこのブランドの日本での販売権を手に入れた。そしてこのバッグを有名タレントのA・Aさんに持たせ、銀座を歩いているところの写真をファッション誌に載せた。このごく自然なピーアール方法が功を奏したらしく、爆発的にヒットした。その絶頂期のころだ。(現在ではよく知られていても人気は落ちているという)。
 僕を取り巻いている中に、あの一年前に僕をいびったおばさんもいた。「いやー、○○さんは前にそんなインチキバッグ、よく持っているね、と言ったんだよネ」と言わせてもらった。彼女、もう忘れたような顔をして逃げてしまった。
 結局、ブランド品が良いのじゃなくてそう思わせた方が勝ちということではないか。
(愛知美容新聞 96、5、1)
付 名古屋人は農耕民族、一人で自分だけが目立ってはいけない。だから誰でもがお金だけ出せば買えるブランドを持って威張りたがる。その人しかできないことは間違ってもしてはいけない。全ての名古屋人を敵にする。だがこの精神では個性を重んじる芸術には通用しない。僕が東京や大阪で賞をもらうと「山田さん、東京や大阪にも知り合いがいるの?」
と聞かれる。賞は縁故でもらうものと思っている。だから名古屋の美術界を牛耳る者は作品のよさより、権力を手に入れた人になる。


17 香港はブランドを利用、名古屋は犠牲者?
(8888のナンバープレイトが香港では1億円) 

 香港を旅して街角に並べられた油絵を2千円で買った。パリの凱旋門が薄もやにかすむ30号大のもので、大きさからいって日本の三流画家が描いても10万円以上はする代物だ。
 香港へ来てパリの風景画を、しかも画家である私が何故購入したか。まあ極安であることも当てはまるが、芸術指導講座に適した教材と思ったからだ。技法面からの評価なら決して悪いものではない。
 もしこの作品がユトリロ等、エコール・ド・パリの画家たちに交じって美術館に展示してあったら、一般の多くの見学者は、他の作品と同様の感激を覚えるであろう。同種の作品を香港で見ていたり、美術に詳しい人はこの作品の偽造性を見抜くかもしれないが。
 では美術というものは、一部の美術通だけのものだろうか。きれいな作品を飾ってみたいという要求は、誰にでもある。その場合、美術を分からない者にとっては、ユトリロの数億円する作品であっても、この2千円の作品でも、変わりはないのではないか。
 「とんでもない。大芸術家のものと香港の倉庫で流れ作業で描いた差は、感銘度が天と地ですよ」という人もいるだろう。しかし、例えば同じ高価な額に入れて作者名も示さずにどちらが優れた作品かと尋ねたなら、おそらく多くの人は返答に困るだろう。後は好みの問題となるかもしれない。そうなると芸術的価値とは一体、何なのだろう。
 同じ香港の裏街では「にいさん、偽物の時計あるよ。買わないか」といった日本語の声も、幾度となく聞かれる。ここで売られているものもニセモノか本物か、ちょっと見た目には何ら変わりない。だが値段は極端に違う。人間の虚栄心を微妙に利用した商売がいきづいている。
 私は今までずいぶん海外へ出ているが、香港はあまり訪れる気がおきなかった。それは観光客を招きよせる常套手段である「食」と「ショッピング」を売りものに、観光に毒された街という気がするからだ。
 だが今では、ニューヨーク並みにこの街が好きになってきた。人間を知る勉強になる。ニューヨークの近代美術館に並ぶ現代美術の作品と、赤や青のけばけばしい彫刻群の並ぶアウブン・ハウ・ガーデン(旧タイガー・バーム・ガーデン)とは、それぞれの住民の視点からは同じではないか。歴史的にみると美術作品には、長い間、作者名を書かないことが一般の習わしだった。ところがルネッサンス以後、また日本では雪舟以後おおっぴらに名前を作品中に表記するようになってきた。現代ではそれが陶器類や衣類にまで明記され、人々はその名(ブランド)によって評価を下すようになった。だとすると、香港人はこのシステムに逆らって、本質を見ず表面(ブランド)だけで評価する人々をあざ笑っているように思える。
 ところが街を走るたくさんの高級車についたナンバーを見て、ここには別な価値観のあることを知った。8が多く4が少ないことだ。8は發財の發と同じ発音を持つ語で縁起が良く、4は広東語でセイ(=死)という発音だから嫌われる。
 なんでも香港の金持ちは8888のナンバープレートを億のお金を出して買うという。
8、2、3、9の順で幸運のナンバーであるそうだ。では四は全ての人に嫌われるかというとそうではなく、葬儀屋の社長は4444に乗っているという。香港では数がブランド性をおびている。功をなし金持ちになったり有名になったりすると、その証としてブランドを得たがる。これは人間社会の避けられない習性なのかも知れない。だとするとユトリロもピカソも才能や努力により自分のブランドを作り上げたところに、その価値があると言えるのではないだろうか。
 ただ大切なことは、現存する既製のブランドにむらがることではなく、自身であらたなブランドを作るべく努力することだと思う。
(中日新聞 94、5、19)
付 この文で名古屋人に相当な嫌みを言ったつもりだが分かってもらえただろうか。東京や大阪は9割が朝刊をとれば夕刊も取っている。夕刊は芸術文化面が多い。名古屋人が夕刊を取る確率は5割だという。その理由は夕刊にはスーパー等のチラシが入っていないからだそうだ。芸術文化なんて興味がないわけだ。そして街の中央には次々と有名ブランド店がオープンしていく。


18 お米の名古屋ブランドは駄目
(工業の物造りに決まっているギャー)

僕が今持ち歩いているカバンはパキスタンのイスラマバードで買った品。アフガニスタンの難民が作っている品らしい。目立たないけれど、皮製で原稿用紙1千枚を入れても平気。この平凡なカバンは同時多発テロから出番が頻繁になった。仲間にピーアールできる品に変わった。テロがきっかけで表舞台へ出たのだ。
 こんな話を同僚の教授にしていたら、「私の家で採れるお米も何かのきっかけで売れるようになるだろうか」と言われた。彼は伊勢湾台風の折、水没した南陽町に住み、そこでお米作りもしているとか。翌日、その名古屋米を10㌔も彼にいただいた。
 わが家はお米の味にうるさく、妻の里に頼んでブランド米を購入してもらっている。そこで僕は悪戯をして、こっそりお米を入れ替えておいた。幾日過ぎても誰も気付かない。ついに食事の折、「近頃のお米の味はどう」と、話を振ってみた。「そういえば、おいしくなったみたい」と妻と娘。
 同じ体験を僕は刈谷農協でもした。講演の後、農協はお米の銘柄当て食事会を開いた。古米を言い当てた人は多かったが秋田産、新潟産、刈谷産の区別はつかなかった。おいしいと思って食べているブランド米も、秋田、新潟などの昔からの米の産地として評価を得てしまっているからではないか。勿論そう思わせる宣伝もしてのことであるが。
 名古屋で米作りをしている人たちは、その宣伝のため東京の銀座でおにぎりを配る計画をしたとか。だがもしお米がブランド性を得ると、今度は逆に名古屋の大都市イメージに傷をつけるからと、止めになった。ブランドってなんだろう。
(毎日新聞 01、12、7)
 

19 熟年婦人に嫌われる東山公園
(40~60年前のデートの定番)

「名古屋で外国人や他府県人に見せたい場所はどこ?」。こんなアンケート(400人対象)をイベント用に取ったら、70~80代で東山公園が2位になった。この話を知り合いの50代の婦人にしたところ、「何故あんなところが選ばれるの。池の水は汚いし、ボートに乗ってても気持ち悪く、オールを漕ぐ度に水をかけられるだけ・・」と突然、怒り出した。
 アンケートでも同様な結果が出ていた。熟年婦人は東山公園をワーストの方に選んでいた。その理由は、前述した婦人の言葉で知ることができる。彼女たちは東山公園を夫とダブらせているのだ。彼女たちが青春だった頃のデート場は、ここぐらいしかなかった。お見合いも食事が終ると、まずここへ来て人生の選択を迫られたのではないか。
 マスコミなどによる女の生きがい論が盛んになった昨今、松田聖子症候群に陥って自由な女の生き方を羨望している彼女たちは、不倫も離婚も出来ないうちに中年になってしまった。この元凶は夫。「憎きは夫。私の青春を返せ」と思っている。だが、さらに元を探ると最初に愛をささやかれた東山公園にたどりつく。「あの東山公園へさえ行かなかったら、今のこんなみじめな私はなかったのに!」と。
 それが70~80代になるとひっくり返る。若さをねたむ気力も薄れ「このバア(ジイ)さんでよかったかな」となり、また孫を連れての動物園行きで、この公園のイメージが好転する。
 僕がスウェーデンやデンマークへ老人問題の調査旅行へ赴いた折、70~80代のペアーがほとんど手をつないで散歩する光景を見た。「さすが社会保障の国柄。愛も環境が整うと持続するのか」と、感動した。だが違っていた。インタビューすると、ほとんどが再婚組だった。当地では街を、手をつないで歩けなくなったり、ダブルベットを共有しなくなった夫婦は、まず離婚となるそうだ。僕の周辺の中年名古屋男たちは、ほとんどが妻と一緒に寝ていないことを自慢したがる。これは言外に「他にいい女がいるから」という意味を含んでいる。 夫を“濡れ落ち葉”“核廃棄物”とまで称している妻たちの発言とは違い過ぎる。自由に使う金も、魅力も無くなったおっさんに女がいるはずがない。
 夫婦間の恋という緊張感が完全に欠落している。この状態は全財産を子や孫に譲らねばならないという因習が誘導している結果だろう。連れ添いが嫌になっても離婚せず、財産を全て子供らに残さなければならないとこの地の者は、頭に刷りこまれている。だから家庭内で離婚状態でも、家を出ない。互いに不倫しても別れない。
 それだけ親たちが気を使っても、そのお返しで一緒に住むという風習を息子の嫁は拒絶している。財産はもらうが同居はいやだというわけだ。そろそろこの現実に親たちも気が付くころだが。
(毎日新聞 98、10、14)
付 河村新市長が当選した1週間後、東山動植物園に入場料を払って入り、前市長が4百億円を投じ進めていたプロジェクトの撤回を表明している。きっと市長もここへ来て、奥さんを口説いたのであろう。無駄金を使い、思い出まで壊されたくないのだ。僕も賛成だ。
 市長は入場料を払った。それに関することで少々、大学やカルチャーの先生をやっていると海外旅行へ生徒を連れて出かけることがよくある。すると先生は旅費もただで、1日2万円の手当がつく。僕はどの恩恵にも浴していない。貧乏な学生には海外の旅費まで出している。これをやると、同僚から疎外され、出世にも縁がなくなる。お金に執着しない者は仲間として怖いのだ。 
20 名古屋で一番人気、ナナちゃん人形
(この地のマスコミ露出度No1、他府県ではゼロ)

 頭髪のカットはお坊さんの剃髪のように、象徴的な去勢のイメージになる。名古屋人を去勢された民というものもいる。また古代オリエントの裸婦像には陰毛があったのに、男尊女卑となったギリシャでは女性像から陰毛が消え、実際に女性たちの間に陰毛を剃る習慣まで始まっている。
 名古屋にはこの二つの条件を満たす像がある。上下無毛の名鉄セブン前にあるナナちゃん人形だ。大学生4百人の“名古屋のシンボルは?”のアンケートで、金シャチやきしめん等を抜いて人気度トップになった人形だ。ところがこの人形は、この地方だけでダントツに知られ、東京や大阪ではゼロ同然。
 まあそこで名古屋の活性化も兼ね、ナナちゃんぐらいは全国区にできないかと思って、僕が企画したのが『ナナちゃんのツインを作るコンクール』だ。名古屋人はツインが好き。名駅がツインのでかいタワーとなった。きんさん、ぎんさんもツイン。金シャチもツイン。
 そんな中、僕は考えた。きんさん、ぎんさん姉妹はツインで有名になった。この際このツインをからめてナナちゃんの相棒を募集するのは、他に例がなくユニークではないかと。
「ナナちゃんの彼氏を作る」「ナナちゃんの子供でも?」「21世紀はお年寄りの社会、きんさん、ぎんさん姉妹のようにナナおばあちゃんでも?」等なんでもいいが、これではスケールが小さい。いっそのこときんさん、ぎんさんのヌード彫刻とか、名古屋モンロー主義にあやかって、味噌煮込みを食べるマリリンモンロー像とか、思い切ってゴミの詰まった人形ではどうだろうか。顔を市長にすると、もっと効果が上がる。ゴミ分別にがんばっている松原市長は、ごみ市長の別名があるくらいだから。名古屋のゴミ戦争はこのPRで解決かも。
 近ごろは堀川がきれいになった。いっそのこと、納屋橋の川底にナナちゃんを沈め、美女の入浴シーンとしてはどうか。コペンハーゲンには、川の底に人体彫刻が5体も展示してある。川がきれいだから展示できる。川が美術館になったわけだ。
(読売新聞 00、4、5)
付 このイベントは名鉄デパートから30万円が出て、これは賞金として使えて僕としては嬉しかった。1位となったのはナナちゃんに匹敵する大きな竹箒を出品した名芸大の学生だった。汚い駅前をこれで掃いてもらおうというコメントがよかった。びっくり仰天の応募もあった。26歳の京都出身の女性からだが、ナナちゃんと同じすっぽんぽんになって、ナナちゃんの横で、同じポーズをとって写真(早朝で数人の通行人しかいなかったらしいが)を撮ったものだ。スタイルのいい彼女の裸婦写真(陰毛は付いていた)はグランプリの資格は十分にあったが、名鉄側からお客様からの反応が怖い、となってだめだった。スキャンダルのないアートは歴史に残らず、賞となっていたらすごい物議となっておもしろかったが。京都、大阪だったらやっていたかもしれない。あの草間弥生やオノヨーコ等はそれ以上のことをしている。名古屋はスキャンダルを好まない街。だから著名な芸術家が出現していない。
 「絵描きのあんたが何故こんなイベントをするの?」と思われるかもしれない。僕の考えでは絵だけ描いているのは過去の芸術家たちで、現代では表現方法に縛りはない。名古屋人の多くは絵を描くだけがアートと思っているようだが。


21 純名古屋人は一宮から岐阜方面に
(一宮の喫茶店に豪華なモーニング)

 モーニングは全国的に知られるこの地の喫茶店の朝食。コーヒー代だけでケーキや茶碗蒸し、サンドイッチやサラダ等がつく。こんな話をしながらテレビで司会し、名古屋を案内したことがある。このビデオを大学の学生に見せたら大喜びだった。そこで学生のコメントと僕の返事を書いてみた。「名古屋にケチな人が多いというのは、本当であることが分かった」「安くて量が多ければ、味をそんなに気にしないのですね」「住居をあまり改造せず、商売ができるのが喫茶店ですね」「ケチは名古屋だけですか。私の実家の岐阜・各務原はどうですか」・・。
 最近の名古屋はそれほどケチでもなく、市内から西北方面に以前の名古屋気質が残っている。モーニングでケーキや茶碗蒸し、サンドイッチ等が出るところは原名古屋に近いと思えばいい。一宮から岐阜方面がすごいらしい。各務原も岐阜県内、名古屋より名古屋的かもしれない。名古屋の人の喫茶店での面白いお金の払い方がある。各務原でもみられるのではなかろうか。
私の近所の喫茶店でよく「私が払う」「いや私が・・」と伝票の奪い合いをしている。あれは見苦しい、一見ケチとは思えず反名古屋的でかっこいいが、裏返しのケチ行為だ。名古屋人はケチのくせにケチと思われたくないのだ。これは「目上のくせにコーヒー代を私に払わせた」と言われたくない故の行為だ。名古屋人には名古屋人のルールがある。東京のように「宵越しの金は持たない」精神で、われ先に伝票を握るでもなく、大阪のようにワリカンでもない。目上が払うというルールだ。それに従わないと村八分にされかねない。
 僕の父は80歳を過ぎたころから、喫茶店で座るところが違ってきた。それまでは年上の仲間が多かったが、皆亡くなって自分が高齢になってきた。そうすると自分が払う率が多くなる。そこでレジから一番遠いところ、伝票からより離れた所に座る。伝票に近いところだと、伝票を取り合う演技をしなくてはならない。また決して最初に帰るとは言わない。伝票を取らなくてはならないから。そのため早い段階でトイレに行っておく。皆がそろそろ帰る頃にトイレに立つと、帰るのかと誤解され、周りの仲間に払ってくれると期待されるからだ。父はそろそろ最高齢になったけれど、払いたくない。そこでこのような行動に出る。 
「僕の実家は岐阜市なんですが、お姉さんの結婚式で屋根から菓子をまきました。どこでも同じだと思っていましたがこの地だけなのでしょうか」。そうだろうね。岐阜方面ではまだこの風習、生きているらしいです。大きな包みの菓子だが中は10円程の一文菓子ばかりだという。
「名古屋名物にういろうがありますが、ようかんとどこが違うのでしょう」。あなたの家族も名古屋人ですね。ようかんを食べたことがないのかも。本物を食べたら一発で分かりますよ。ようかんに雰囲気だけ似ているういろうを名古屋人は考え出し、食べているのです。名古屋人のケチと見栄っ張りが作り出したものだ。ういろうはお米のおじや。ようかんは大量の小豆や砂糖等を煮込んだもの。原価からして幾10倍も違う。
「名古屋はちょっとした路地に入っても、喫茶店がある。あれでよく採算が取れるものですね」。住み家を少し改造したものが多いから設備投資に多額のお金が要らず、人件費も家族従業員が多いから必要ないし、少しもうかれば生活ができる。三ちゃん農業ならぬ三ちゃん喫茶なのだ。「それでモーニングの数々の料理の説明もつくわね」
(愛知美容新聞 00、7、1)
付 聞くところによると一宮は商工会議所が音頭を取って、モーニングのコンクールをしているという。どうも街興しに使う目的のようだ。日本中からモーニングを求め旅行客が集まるだろうか。名古屋の御年寄りの言。「一宮までモーニングを食べに行きたいが、名古屋からでると敬老無料チケットが使えず交通費がかかるであかんわ」だった。


22 猫に小判、1億円の今池彫刻
(税金の1億を投入し、誰も知らない彫刻を立てる

大垣共立銀行系の共立総合研究所が名古屋文化不毛のレポートを先ごろ発表した。「大いなる田舎からの脱皮・・・問われる名古屋の情報発信力」と題している。“清洲越し”で明治生まれの父は、この新聞発表を見てすごく怒っていた。文化不毛と言われたことに憤慨していると思ったら、名古屋よりはるかに田舎の大垣に田舎者あつかいされたことに対してだ。
 田舎都市かどうかは、喫茶店のモーニングや結婚式の菓子まきを見れば分かるという。名古屋のモーニングは茹で卵とトースト(これでも東京の友人は驚く)ぐらいになったが、大垣はサラダや茶碗蒸し、サンドイッチなどがバイキング方式で付く。
 父がなぜモーニングに詳しいのか。週の二回は量の多いモーニングを求め、敬老無料パスで食べ歩いているからだ。岐阜、大垣方面はすごいらしいという情報に意欲を燃やすが、そこまでの無料パスはないから残念がっている。結婚式の菓子まきは名古屋の中央ではほとんど見られなくなったが、岐阜の方では続いていることをおやじは知っていた。
 その大垣に田舎と言われたのだから、腹の虫は納まらない。だが内容はまあまあ。「名古屋出身の人気芸能人が少なく、閉鎖的な地域国土が文化発展の邪魔をしている。だから教育も個性を伸ばせていない」等々。そのままのしを付けて大垣へお返ししたい。
 だが名古屋文化は本当にお粗末。数年前、名古屋の今池の交差点に1億円する(市が出費)米国の彫刻家の作品が立てられた。今池の発展会の人は「1億円の作品が来る。これで活性化を・・」と驚喜していた。作品に喜んだのではなく一億のお金だから、であろう。
 僕がこの地の大学生5百人に「今池にある彫刻を知ってる?」と、アンケートしたら、ただあることを知っている者が一人いただけだった。芸術作品だなんて誰も知らない。広告看板やネオンの間にあるから、これも立体的な広告の一つとみているのではないか。1億円の見つけにくい看板?これが“猫に小判”と言うのだろう。市民の皆さん、今池に行って自分が猫かどうか確認してみては。
(新聞報社 02、7、20)
付 「名古屋人を猫呼ばわりしていいんですか。大垣人の文化のない街発言に怒った民なのに」。これは名古屋人の不思議なところで、他人に言われると猛烈に怒るが身内には無視しておしまい。僕など名古屋の悪口エッセイをもう数千回は書いているのに、一度も怒られたことはない。妻が夫の悪口を言うようなものなのだろう。講演会では数回前に陣取ったおばあさんに「何故、名古屋の悪口をいやーす」と、たしなめられたことはある。


23 フェミニストのおばさんが、「ミス名古屋」を作る
(主催者側は、こんな女性が怖いのだ)

先日、久しぶりに元ミス名古屋の知人に会った。もう30代半ばになっていた。彼女は身長が150㎝チヨッとで、バストはほとんどないけれど、名古屋の有名大学卒で顔は小さく可愛い娘だった。全体に小柄なのだ。
以前から思っていたが、どうして彼女がミス名古屋に選ばれたか不思議だった。ミス・コンテストといえば、古い時代の人は山本富士子(昭和25年ミス日本)を連想する。その後伊東絹子がアメリカの「ミス・ユニバース」(昭和28年)の3位に選ばれ、八頭身美人という言葉が定着する。ちなみにその折の彼女の身長は165センチで、89、57、91がスリーサイズであった。「何だ、私と一緒じゃない」と蔑むあなた。当時は食料事情が悪く、成人男性の平均身長が160㎝ほどだった。
まあこれ等の事を考慮しても、冒頭のミス名古屋は低すぎた。どうも彼女をミス名古屋にしたのは、名古屋のフェミニズムグループのおばさんたちらしい。名古屋に『おんなの叛逆』という雑誌があって、このグループが中心になり、行政や主催する新聞社(主に中日新聞)に圧力をかけたらしい。この雑誌、45歳以上の方なら知って見えるかもしれない。ピークが昭和51年頃で、第1次フェミニズム運動が華々しかった頃だからミス・コンは格好の攻撃材料だったのだろう。何故ミス・コンに問題があるのか。彼女らはその評価が売買春や花柳界、芸能界と同じで顔やスタイルにあり、働く女性の真の美しさを評価していないと言うのだ。ミスコンなんて要は女の性を売り物にした見世物で、男社会の証だとフェミニスト等は言う。
フェミニスト側からの抗議に困惑した主催者側は、顔やスリーサイズに関係ない女性を選んだのだろう。元ミス名古屋はいかにもフェミニズムのおばさんから好かれそうな雰囲気だった。おばさんたちが多く卒業している地元有名大学の出身でもあった。バカで胸だけがでかく、男にチャラチャラしている若い娘におばさんたちは我慢できなかったのだろう。
古風な男社会だった名古屋が突然のフェミニズム旋風に対処できていなかったのも、主催側がオタオタした原因でないか。全国的にも多い預貯金高を誇るこの地は、その預金をほとんど妻が握っていた。家庭のボスとしての夫は、心の広い所を妻に示したつもりだが、知らぬ間に実権は妻に委譲されていた。時代が変わった今、その余勢をかつて女性が社会へも出てきたようにも思える。当時は僕が講演で少し女性問題に触れただけで、前に陣取っていたおばさんが立ち上がってセクハラだと叫びだした。講演をするとこんなおばさんが前列に数人はいた。名古屋の女たちも、突然自分らに権力が舞い込んで、何が何だか分からなくなっていたのではないか。
僕が19歳の折、大学から百人程の男女が赤倉へスキー合宿に出かけた。夜になると、布団に入った30人程の男による同行の女子学生の品定め談議が始まった。そしてその後は美人コンクールのランク付けになる。これは女性を性の対象にして蔑んだからではない。今日と違って、女性は男たちの手に届かない憧れだった。付き合うためには結婚を前提としなければならないし、結婚したら食べさせていかなければならない。当時は妻が働かないのが普通だった。だからあこがれからきた美人投票だった。
結果は北区の鳩岡団地に住む女性がグラマーや長身のライバルを押え一位となった。しかし憧れしかいだけない時代だから一位になっても誰も近づけない。そうなれば、すぐ手紙を出した者の勝ちだと読んだ。僕は思いきって手紙を出した。そして3週間後に彼女は僕のガールフレンドになっていた。ところが1年後、母に紹介したら「150センチしかないの、お父さんも亡くなったのね」と嫌みを言われ、彼女は僕から去った。母が猛反対したのは家の格式が違い、恥ずかしくて結婚式が行えないからとのことだった。当時ミス・コンがあったら彼女もミス名古屋になれたかもしれない。ミス・コンの女王は時代の風潮によって決まるのだ。
(愛知美容新聞 01、10、1)


24 この地の芥川賞受賞者<平成19年度>
(「文学界をぶち壊す!」と彼)

芥川賞受賞者の諏訪哲史氏や彼の母親らと、会合の後に食事をとった。彼、身長が180㌢程あるさわやかな好青年。母親を連れてくるところが名古屋的ですごい。名古屋を恥じていない。その母親、きっとすごくうれしいのだろう、指名されてしゃべりだすと止まらない。
「山彊先生は諏訪さんと違って、親をたくさん困らせたのではありませんか?」。だろうね。貧乏絵描きにはなるし、離婚はするし・・。以前、作品制作のため夜まで釘でアルミ板を打っていたら、近所のおばさんがやかましいとわが家へ怒鳴り込んできた。わが家から20mは離れていても連夜で我慢できなかったのだろう。
その折のおやじの対応が面白かった。「音の大きさは何ホンだったね。法律に違反しとれへんでー」とやり返していた。息子の用心棒をやっていた。名古屋人は近所にものすごく気を使うが、最後は財産を引き継いで墓を守ってくれる息子なのであろう。諏訪さん親子もこんな関係に思えた。
ところで諏訪さん、次はどう進むのか。同じような小説を連発するのか。気になって尋ねてみた。「文学界をぶち壊す文を書いていきます!」と答えた。この発言、小泉さんの「自民党をぶっ壊す!」を思い出させた。情熱的でかっこいい。だが僕には意味するところがもう一つ分からない。壊すといってもしょせん、文章上でのこと。例えばジェームズ・ジョイスのように今までの伝統を壊すような文を書くことか。とするとジョイスを超えなければならない。この世界もよほどのことがないと生き残れない。
「山彊先生、またいつものようにエッチに話題を振ったのではありませんか」。当たり!彼の反応を見たいがため、質問した。「人間ほど愚かなものはない。最良のことは死ぬことだ」といったミダス王の話などのやり取りの後、僕があなたなら次に小説を出す折、文では限界があるから奇抜な出し方をするね。自分が裸になってその裸体に物語を書いていく。できればまず、ペニスの先から始めるね。ビデオカメラを回しながら。耳なし芳一だ。これぐらいのセンセーショナルな行動をしないと生き残れない。
突然の僕の発言に彼は戸惑っていたが、お母さんが即座に「そんなことは、わたしが死んでからにしてほしいわ」と、割って入ってきた。名古屋思考の彼、これからが大変だ。
(名古屋タイムズ 07、9、25)


25 消える墓と性道徳
(名古屋にはお坊さんが多い)

 「えっ?先生は宗教を信じないの。どうして。死んだらどうなると思っているの?」僕のゼミ学生からの質問。「えっ、君たちは死後の世界を信じているの?」「当然です」「嘘だろう。死んだら何もないよ。だから先生は今をしっかり生きているのに」(授業中のやりとりの一コマ)・・と言いながらも僕は、今年もお盆にお墓参りに行った。そこでふと気づいたことだが、墓地の脇にまとめられている無縁仏となった墓石に、江戸時代のものが見当たらないことだった。これだけたくさん積み重ねられた墓石なら、一つぐらいは天保だの、安政だのといった江戸時代の聞きなれた年号があってもよさそうなのにそれがない。
父(養子)の本家の墓もこの地方では古く、家康の行った清洲越しの家系といいながら、調べると明治に入ってからのものだった。91歳になった父の話によると、文久の時代に家老の庭にあった自然石をいただいて、明治に入ってから『山田家代々之墓』と彫りこんだものだという。ではなぜ明治なのか。これは明治になる前は庶民が苗字を名乗ることを、幕府は許していなかったからだと思う。じゃあ、それまで亡くなった人たちの墓はどうだったのか。
江戸の中頃からキリシタン禁止のため、宗門人別帳でお寺が人々を管理し、遺体の処理もしていた。遺体は焼かれ埋められ、卒塔婆(供養のため墓の後ろに立てる上部を塔の形にしたもの。分かりやすく述べれば男根状にした細長い板)を立て、それが朽ちたらおしまいということだろう。そして明治6年富国強兵のための徴兵令を作るにあたり、「戸籍制度」や「家制度」(長男相続等)が生まれた。その結果『何々家』といった墓制度も作られるようになった。それに加え国が打った手は、家制度(家庭)が崩壊しないよう妻の姦通罪という犯罪まで作ることだった。私たちが守らねばならないと思っている墓なんて、夫の浮気を許し妻に犠牲を背負わせ、家を守らせるために作った明治以後の天皇制の産物だった。
僕はこれまで幾度か教え子たちのお見合いを仕切ってきた。おとなしくて自分から声をかけられない子たちから頼まれると、ホイホイ調子に乗って相手を探して会わせる。見合い相手を選ぶ基準は、互いの容姿が逆になることで、例えば目の小さい男性には、でっかい瞳の女性を探す。デブッちょにはやせた人というあんばいだ。
一度などお見合いの最初から意気投合し、安堵したことがあった。だがしばらくして男性側からの断りの電話が入った。彼女の2,3か月間の米国留学にその原因があったらしい。彼女は留学中に起きた男女関係を素直に話してしまった。
家制度は妻に純潔を求める。「何故家制度と純潔と関係があるの?」との疑問もあるだろう。家制度は財産を全て子供(長男)に受け渡す。その子供が代々の墓を守る。そのためには間違いなく自分の子でなければならない。妻がこっそり不倫して作った子であったらとんでもない。財産を他人にくれてやるようなもの。(僕の同級生の京大教授が教えてくれたのだけれど、以前あの紳士淑女の国イギリスの片田舎で、見つけ出されたばかりのDNAを使って学者がこっそり父親とその子供のDNAを調べたら、なんと一割が違っていたという。どこの国の女性も性的には信用できないわけだ)
その点で僕がお見合いさせた彼女は不合格だった。名古屋人として育った若いころの僕も、気持は彼と同じだった。結婚相手が他の男と少しでも噂があれば、結婚どころか交際もまずしなかった。それを知る名古屋の親たちは娘の門限を厳しく定めて管理した。
だが逆に名古屋は不倫が多く、離婚が少ないところという調査結果もある。離婚をしたら財産が減って、家を守れなくなる。不仲な夫婦でも我慢して離婚しない。だから結婚時の審査がすごい。だが時代は変わり今の僕や周囲の者から、離婚は悪であるという思考は消えた。だから家制度は崩壊しているし、それを守る『何々家代々之墓』という概念がなくなるのも時間の問題であろう。お坊さんが廃業する日も真近い。
(愛知美容新聞 02、9、1)


26 デザイン都市名古屋の求愛方法学
(体にアイラブユーの文字を日光で焼く)

1989年世界デザイン会議が名古屋で開かれ、それを記念して[世界デザイン博覧会]が催された。日本で一番ダサいと言われている都市での開催はそれなりの効果はあった。
 僕の知り合いに、聡明でスマートな美女がいる。彼女はつい半年前に同僚と結婚をした。伝え聞くところによると、相手の男は燃え上がらない彼女に首を振らせるため、2年に渡って車で送り迎えをしたという。「おはようございます」という玄関での一声から始まって、退社で彼女が腰を上げるまで待っていたという。それほど乗り気でもない娘の様子を察した母親は、出迎えを彼に拒んだ。御近所で噂になると、今後の縁談に差し障りが出かねないからだ。
 彼はそれに屈することなく、今度は通勤途中で彼女を待った。注意だけでは効き目のないことに気づいた母は、彼女に車を買い与えた。ところが運悪く、数ヶ月後、彼女は足を骨折してしまった。彼はチャンス再来とばかり、また送り迎えに精を出し始めた。そしてゴールインをした。
 この話を聞いて、“名古屋人らしい口説きのテクニックだな”と、僕は思った。もし断られたらどうする気でいたのか。この行為は、義理と人情を利用した、正しく名古屋商法と同一ではなかろうか。常に顔を出すことによって近所の噂にもなり、彼女は追い詰められていったのではないか。
 だがデザイン博をやるぐらいの名古屋だから、このような方法からは脱皮したいものだ。そこで僕の女性を口説く方法を紹介しょう。夏の頃、裸になった僕の胸に「I love you・A子」と墨で書く。そして、日曜日の1日を外に出て裸で過ごす。太陽に皮膚を焼かせるのだ。その後、シャワーで墨を落とす。体には日焼け部分に差ができ、くっきりと文字が浮かび上がる。真夏なら1、2時間もあればよい。
 あらかじめ夕方に会う手順をきめておく。彼女に「僕の皮膚が、何か言いたいようだよ」とでも言ってみせるといい。(ちょっとキザー!)求愛は決定的になるのではないか。デザイン都市の求愛の一例にならないだろうか。「彼女がやったらどうなの?」。二の腕にでもやってくれたら最高だね。だけど好きでない女にでもやられたら恐怖ものだが。
(月刊なごや 87、1、1)

27 ここがヘンだよ名古屋
(淀君は太閤の2号さんだから名古屋祭りにそぐわない)

「札幌で有名になった“よさこいソーラン祭”を名古屋でやると数十億の経済効果がある」と、どこかの経済研究所が新聞で大きく発表していた。そしてその名古屋版「日本ど真中祭」が名古屋でこの夏、実施された。これにより実際何十億の効果があったかどうかは知らないが、何十億の効果うんぬんというのは、この祭りが札幌のようにヒットしたらの話だろう。名古屋でやっても二番煎じで、ヒットするだろうか。偽ブランドと同じことでそれを事前に発表すること自体おかしいのでは?
 ところで名古屋駅がツインタワーになった。名古屋人は東洋一のビルが建ったことで、きっと日本中から見学者が殺到すると思った。いや行政がそうピ-アールして、市民がそう思わされたのかもしれないが。
 そんなこともありつい先日、大阪へ個展で行った折、「すごいだろう」と大阪人に吹聴したら、白けてしまった。20人ほどの画家仲間が誰も知らなかったのだ。すごい費用にすごい高さ、日本中にそのニュースが飛び交い、観光客が増えるだろうという僕ら名古屋人の期待は吹っ飛んだ。ニューヨークには超有名なツインタワー(2001.9.11の同時多発テロで崩壊)があり、東京都庁もそうだし、1年近く前に建ったマレーシアのツインタワー(名古屋より高い)が東洋一とかで既にある。
 二番煎じどころか物まねの四番煎じではないか。これではどうしょうもない。大阪では全然知られていなくても不思議ではない。わざわざ見に名古屋へ来る者は少ないわけだ。どこかがおかしい。それに市民は感づいていない。
 この10月、名古屋祭で郷土英傑行列が行われた。わが家の88歳になる親父も、久しぶりに見に出かけた。曰く、「子供のちょうらかしだ。見に行って損をした」と、帰るなり僕に不満を漏らした。ついでに「今年は淀君がいなかった」とも。聞くところによると「二号の淀君が出て、本妻のネネはどうなった」という文化人らからの意見があり、市側は淀君を降ろしたという。この文化人ら、バカじゃないか。この行事は研究発表ではない。市民が楽しむためのお祭りなのだ。ネネも淀君も日本の歴史を彩る重要な女性だ。両方出せばいいじゃないか。僕の知人だろうが「誰だ、こうして名古屋を仕切り、つまらなくするのは」。ついでに一工夫し、自分たちで仮装してゲイのネネになるのもいい。こんな姫が10数人も祭りの後からついて歩いたら、異様さに本体以上の話題をさらうだろう。これがお祭りなのだ。
(新聞報社 99、12、7)
付 名古屋はこの「淀君は2号だから降ろせ。名古屋人の恥だ」精神が祭りの中ですら堂々とはびこるところ。いわんやテレビできたなゃー名古屋弁を使うなんて名古屋の恥。とんでもないと、この地のボス連は思っている。河村市長はそれを撥ね退けたことになる。「日本ド真中祭」は何十億とはいかないが、若者が頑張りマスコミがよく盛り上げている。
28 名古屋人の正体
(ブランド品を持つのはソープ嬢)

朝、ゴミを出しに集積所へ行ったら、見慣れない雑誌がごみ袋からこぼれていた。「究極、夜這いコースでオオカミに変身」「男天国。はじけるパンチラ。ヌキ技だってさわやかエッチ」という表紙の文字が目に入った。好奇心旺盛な僕は、拾って家に帰った。「ゴミ捨てに行って、他人の家のゴミを取ってきたのね。それドロボーよ」。どうせドロボーといわれるのなら、やってみたいのが神田うののゴミ。彼女のマンションへ早朝に出かけ、出されるゴミを盗んでくる。ゴミ袋をさばけば陰毛の1本や2本は入っている。これ、味噌汁の具になる。「キャー、最低」
話を戻そう。その雑誌は「ヘブン」といい、名古屋で月に2回出され出張サラリーマンに超人気だとか。厚さ1㌢以上のそれを開いて、卒倒しそう。かわいいソープ嬢のオンパレード。店の数だけでも数百軒。女の子はその10倍はいるだろう。
僕の隣の家のおっさんが、これを読んでいる!? ページ内のソープ割引券がちぎられているところを見ると、抜きに出かけているのだ。僕より隣人はいやらしかったわけだ。「あんたの影響が隣にまでおよんでいるのでは?」。でも僕は自慢じゃないが、このような雑誌、一度も買ったことがない。「ストリップに行くよりましじゃない?」。あれは芸術的なもの。ストリップ嬢は芸術家。脱ぎ方、見せ方がアートだ。僕もアーチストで物書き。ストリップ劇場のことを書くと劇場が招待券を送ってくれる。この残りの券を仲間の二科展の審査員にやったら、「冥土の土産に見に行くか」だって。絵描きはお金がないから案外真面目なのだ。
以前にも記したが、名古屋はブランド品がよく売れて、ソープの数も日本一。1軒に10人のソープ嬢がいるとするとものすごい数の姉ちゃんがいることになる。この二つはつながっている。ブランド品を身に着け、昼間や夜中に栄や納屋橋、名駅裏を歩くかわいいお姉さんはまずソープ嬢と思えばいい。学生やサラリーマンはいないだろうから。
名古屋は一見きれいな街だが、その中に数百軒のソープが分からないように入っている。お隣のおっさんで分かるが、名古屋人はまじめぶっていても実は、その欲求不満からソープ依存症になっているのではなかろうか。「ヘブン」を知らなかった僕はどえりゃー紳士だがね。
(名古屋タイムズ 03、10、2)
付 東京の知り合いが名古屋へ来ると、いつも友人へのお土産に買っていく風俗情報誌があるというが、このような雑誌なのだろう。この種の雑誌は東京になく、持って帰るとメチャ喜ばれるらしい。どうも東京人は名古屋をソープの本場とみているようだ。だから名古屋への出張は喜ばれるとか。あるデータによると中で働く女の子は名古屋人は少なく、全国から美女がスカウトされているとか。今や名古屋はウォーター美女の産地?
 
29 伊勢の男は何故でかい
(伊勢うどんと同じで、太いだけ)

名古屋のケチ精神のルーツは伊勢にある。伊勢は伊勢乞食で知られるお国柄。名古屋の老舗松坂屋はこの近くの松阪出身。だから名古屋と伊勢は兄弟同然でケチ精神も共通している。
伊勢で講演をした後、当地で新聞を出している知人と共に食事をした。お酒で彼の舌が滑らかになった頃、僕は質問をした。「伊勢男のなにはでかいといわれるが何故ですか」と。一瞬、一緒にいた女性たちの目が点になった。女性たちの前で質問すべき内容ではなかった。まあ、夕刊紙連載のネタ探しのためだからお許し頂きたい。
 伊勢男が巨大なペニスの持ち主という話は、鎌倉時代初期の「古今著聞集」にも記されている。“まらは伊勢まらとて、最上の名を得た・・”と。
 酔いが回ってにこにこ顔の知人も僕の発言にしばし絶句。だが点の目から垂れ目になった御婦人方を見て安心したのか、質問に答えてくれた。「伊勢は神々の里。その神話の原点は常に子作りに求められる。子作りに有利なのが巨大なペニス。神に近ければ当然、一物もでかいに決まっている」。さすが文化人!
 一言注釈。でかいとか小さいと言われるが、当時は何㌢あれば大きかったのか。同じ時代に書かれた「宇治拾遺物語」によると、「五寸の小弘が亀頭をふりふり」とあるので15㌢は小さい方だ。
 「大きさではなく、質の善しあしでしょう」と僕の反論。「女性が喜べば妊娠もしやすい。また伊勢女のなにもでかいしね」と文化人。これは初耳。どこの文献にも載っていない。「どうしてでかいと言えるの?」「伊勢はアワビの産地。あれを毎日見ておれば負けるものかと・・」と、ますます根拠がない。御婦人方が笑っている。
 食事の最後に例の伊勢うどんが出た。小指ほどある極太のあれだ。「どうだ、このうどんも太いだろう」と彼。「何言ってるの、太くてもふにゃふにゃではね」(伊勢うどんは沸騰した湯にうどんを入れ、もう火を加えず一時間ほどほっておく。ふやけて太くなり腰がない)
 そこへいくと、名古屋名物味噌煮込みは腰があって硬い。どうだまいったか。「何を威張っているの。あんたじゃなくて、うどんのことなんでしょう」
(名古屋タイムズ 01、11、1)


30 落書きの真髄?
(思わぬところで思わぬ図柄に出合うもの)

 いつだったか、商店街のシャッターに落書きをしたデザイナー学院の学生が捕まった。この保守的な名古屋では珍しい。ニューヨークやパリ等では日常茶飯事で、グラフティーアートという名すらある。以前のニューヨークの汚れた地下鉄の落書きは、荒廃と暴力の恐怖を与えたものだ。地下鉄構内へ落書きをしまくって世界的に有名になったキース・へリングという画家もいた。警察に捕まっているところが堂々と美術雑誌や画集に載っている。捕まってから有名になり全世界で絵が売れるようになった。
ニューヨークの地下鉄はそのため、落書きをされてもすぐ消せる日本製の車輛を購入した。米国人のお尻にはサイズが合わず座りにくそうだが、それでも大きな苦情が出なかったのは、ニューヨーク子にとっても落書きはうんざりだったのだろう。
落書きが減ってきれいになったニューヨークの地下鉄犯罪は激減したという。名古屋で落書きが増えかかっていることは、犯罪が多発する兆候だろうか。
画家としての僕から言わせていただければ、ここの落書きは絵柄も欧米の真似。オリジナリティーに欠ける。捕まったらひょっとして売れるようになるかもと、思ったのかもしれないが、ひと真似をして、これはない。ただのいたずらか、低級の犯罪にすぎない。おもしろくもない。
もし僕が落書きをするとしたら、セスナ機をチャーターして大空に金色の煙をはかせ、金シャチの絵を描くか、または夜、大名古屋ビルヂングの屋上に演劇用の強力なスライド投影機を置き、名駅ツインタワーに東山動物園のコアラの映像でも抱きつかせてみる。
ところで落書きはなんとあの法隆寺の天井板にも描かれている。筆跡からいって当時、ここに壁画を描いた画工のものであるという。清く尊い仏様の頭上に描かれた落書きというのが、なんと性器だったというから驚きだ。あの頃はまだ性がタブー視されていなかったのか、それとも愛知県小牧市の田県神社のように、性器は御神体とでも思われていたのか。
この性器の落書きで思い出されるのが、30年前に旅行したネパールの国。朝もやの中、独りぶらつく村の中で、まる二つに点々を白壁に描きこんだ女陰の落書きが目に飛び込んできた。僕たちが少年時代に書いた女性の何と同じだ。これは真似ではない。男の子なら本能的に描くものだ。
僕が思うに良い落書きとは思わぬところで発見され、見る人を喫驚させたり魅了させてくれるものではないだろうか。そう考えるとシャッターに落書きをした名古屋の若者も物真似文化に染まっているだけだ。人を引き付けるものがない。かつてテレビ塔を立てた折、エッフェル塔に似ていると市民が喜んだというから、その後の進歩はないようだ。
(毎日新聞 00、12、8)


31 名古屋の文化度は何故低い
(茶華道と芸術の区別が出来ない)

 この3月、名古屋市議会で“名古屋の文化度”をめぐる論議があった。市民局長は「茶道、華道が盛んで文化度は高く、問題は芸術文化の発進度が低いことだ」と答弁したという。分かりやすくまとめると、芸術度は高いが宣伝が下手だ、ということらしい。誰だ、こんないいかげんなことを教えたのは。役人の後ろにいる文化人がバカなのだ。勉強していないから自分を馬鹿とも思っていないのだろうが。まあ市議会で文化論争がおこなわれるようになったことは、やっと名古屋も「花より団子」のケチ根性から脱出できるかな、との期待を抱かせる。これ等の論争の中で名古屋人の多くが理解していないことがある。それは、芸術に関する文化というのは大別すると、「伝統芸能文化」と「芸術文化」に分けられることだ。
伝統芸能は、お茶やお花、踊りなどを指すが、これらは名古屋で盛んに行われている。名古屋に仕事できたタレントが、わざわざ華道を習っていくという話も聞いた。だが、一般に文化が遅れていると言われるのは、後者の芸術文化度を指す。芸術は創造である。誰もやらない領域を開くことだ。しかし、名古屋人の多くは、この芸術を伝統芸能とごちゃまぜにしている。これを理解していないから、市議会でも意味不明の論議で終わるのだ。
僕がコンクールで賞をもらったりすると、「どうやってコネを作ったね」と、信じられない質問をされる。才能が認められたのではなく、コネで選ばれたと思い込んでいる。茶華道界は才能にあまり関係なく、年功序列、世襲制である。これら伝統芸能の盛んな名古屋は、だから個人が持っている才能を信じたがらない。
話は飛ぶが、前述した他府県人に評判の悪い名古屋駅前のピラミッド型パイプモニュメント(通称・ウンチタワー)を名古屋の顔として選んでしまったのも、そこに原因がある。芸術の分からない長老たちがこのコンペの審査員だった。
「いや、あれしかまともな作品はなかった」とおっしゃるだろう。上下関係などのつながりのない連中は、いくら創造的にすばらしい作品を出しても、どうせ名古屋では選ばれないと思っているから出品すらしない。そして、名古屋へ降り立った外国人や他府県人は「オー、田舎!」と蔑視する。市議会も、真に内容ある論議を期待するなら、まともな芸術家でも呼んで話を聞くべきではないか。
(新聞報社 09、4、20)


32 名古屋に真っ赤なネクタイは売られていない
(目立つ格好はしないから売れない)

大阪へ行くたびに、僕は街中で無地の真っ赤なネクタイをした青年にちょくちょく出くわした。その都度「おー、かっこいい」で通り過ぎてしまったが、名古屋に帰ってからたまらなくそのネクタイが欲しくなった。すぐデパートやスーパーのネクタイ売り場を探し回ったが、見つからなかった。
その後、京都へ行く機会があり、四条河原町の店をのぞいたら、いくらでもかかっていた。なぜ大阪や京都にはたくさんあるものが名古屋には無いのか、気になった。どうも名古屋人は人と違った、特に目立つスタイルを好まないようだ。農耕民族だからか。僕は美術家。よし名古屋に反発してやろうと、赤いネクタイを3本も買った。
だが、そのまま使ったのでは関西人の真似になり、芸術家としても恥だと考え、もっと目立とうと、それに豚やカバなどの絵を大きく刷り込んでみた。赤いけばけばしさに品のない動物を刷るという破天荒な行為によって、大阪人たちにきっ抗する狙いもあった。
中国の敦煌へ行った折、街中で売られていた赤と青の女ものの上着を買い求め、着たりもしている。名古屋人のやらないこと、嫌がることをするのが快感でもあった。赤いネクタイや中国の派手な服装をする僕を、妻が「ひょっとして森村泰昌のような変身願望があるのじゃないの」と疑った。だが、このような例は歴史上でもいろいろあるが、男女の衣装交換はトランスベスティズムと言われ、古代ギリシャからあったことだという。
ローマの思想家プルタルコスによると、スパルタ教育で知られるスパルタでは、初夜に花婿が女装して新妻を待ったり、花嫁が頭を剃ったうえ男装して夫を迎えたという。サド裁判で知られる渋澤龍彦の本によると、オーストラリアのある部族では、その成人式に青年を集め、体に女性のシンボルである穴をあけるという。これによって青年は女性も体験した大人と評価されるらしい。結婚までに互いの性を理解し合って、長い共同生活に入ろうという教訓なのか。古代キプロスでは髭の生えたビーナスが彫られている。
半年前にふらりと旅したグルジアの若い女性のアナウンサーは、仏陀のようなドジョウヒゲを剃りもせずニュース原稿を読み上げていた。前述した内容とどこか関係があるのだろうか。
前衛画家として著名な工藤哲巳は、教授として東京芸大へ赴任した折、体中に恋人から借りた百個程のブローチを付けてジャラジャラさせながら歩き、人々を仰天させたという。どうもある種の人間にはこの目立ちたがり願望があるようだ。工藤教授が名古屋に来たら嫌われるだろうな。
(毎日新聞 99、7、7)


33 名古屋人の好きな巨大迷路
(設備にお金が掛らず、客も少しの入場料で長時間遊べる)

先日、名古屋近郊にある巨大迷路へ、子供連れで行ってきた。入場料は大人、子供に関係なく、1人5百円もした。何かを食べさせてくれる訳でもなく、何かの出し物がある訳でなく、ただ、たたけば壊れそうな安物の板で囲まれた塀と、裏道の仮舗装でもこれよりはましであろう、ひび割れたアスハァルトの通路があるだけだった。
 入ってすぐに面倒くさくなった多くの子供たちは、塀の下をくぐって、迷路内を自由に横切っている。親が5百円も払い、入れてくれたことに無とんちゃくだ。迷路から出て来た者たちのカードを見ると、半数は規定のルールに従わず、途中でゲームを放棄してきた者たちである。それでも入場者はひっきりなしで、次から次へやってくる。
 聞くところによれば、この巨大迷路は名古屋地方が、極端に盛んであるという。大阪が火付け役であるというが、それ程盛んになっていない。東京方面など、人口比からいって名古屋の5倍ぐらいあってよさそうなのに、かえって少ないくらいであるらしい。このことは、何を意味するのだろうか。
 1、2年前、東京からやって来た知人は、名古屋駅前の、あの巨大な迷路化した地下街に理由を求める。「名古屋人は迷路の好きな民で、だからあのように複雑怪奇な地下通路を造ってしまうのだ」と。駅前の地下街は、僕が高校生だったころに造られた。そのころは地下鉄に沿った通路が一本と、小枝状に出ている小さな穴道があるのみだった。デート中、雨に降られ、やむなくこの地下街へもぐっても、数分で地下街を抜け切れてしまうため、二人で過ごす時間に苦労した。
 ところが、その後、新しいビルが建つ度に、地下街は統一性もなく、ビルの都合に合わせ、気ままに伸びていって、現在の巨大迷路になった。
 それは、我が家の建物にも似ている。地下街ができたころ、20数坪の家を新築した。数年して、僕のアトリエが必要になり、またしばらくして子供部屋が欲しくなったりして、増築に増築を重ね、現在は50坪程。
 増築する度に、全部取り壊して立て直そうかと父に相談するが、生粋の名古屋人たるオヤジは、ガンとして受け付けない。名古屋のケチの精神、無借金精神が巣くっている。
 これと同じように、名古屋の地下街も、東京の知人が言うように、単に名古屋人の迷路好みの精神として広がったものではなく、僕が思うには、ケチの精神が作り上げてしまった代物であろう。名古屋が特に盛んと言われる巨大迷路も、この同じ思考上にあるのではないか。
 巨額を投じた遊具施設を作り客がこなかったり、すぐにすたれてしまったら、とんでもないことになる。名古屋のケチ企業家は考える。仮舗装と、どこかの廃品を利用した塀であれば、損をしてもしれている。自宅を少し改造して喫茶店を開くようなものだ。名古屋に喫茶店が多いのも、同じ理由によるものだろう。
 迷路に来る客の方も同様ではないか。どこかの遊園地でも行けば、乗り物の度にお金がいる。1、2時間も子供たちのお守をすれば、どれだけの費用を必要とするだろうか。安物の板塀だけの遊具であっても、それだけで時間をつぶせれば、5百円は決して高くない。
 こう考えてくると、パチンコも同一視できる。少しのお金でたっぷり楽しめるバクチは、パチンコしかない。
 名古屋のデザイン博は、会場が3つに分かれている。大阪の万博にせよ、筑波博にしても、会場が幾つにも分かれることなどなかった。不可解に思っていた僕は、上記の名古屋思考を再確認し、納得した。
 名古屋城や名古屋港など、既に存在している施設を利用すれば、費用はその分、安くなる。それに加え、6百万人を目標にした入場者数も、3会場を別々に集計すれば、簡単に達成できる。正しく名古屋人の経済観念が作り上げた成果(?)だ。
 これに気づいてから、3つに分散される会場に、名古屋人である僕は違和感を抱かなくなった。けれどこの方法が、世界デザイン博を3倍に盛り上げるか、3分の1に魅力を削いでしまうかには疑問が残る。
(読売新聞 87、11、17)
追・・同じようなことが 05年の愛知における世界万博でもあったから記す。
万博が開催される1か月前、「週刊ポスト」の編集局から電話取材を受けた。取材内容は何故万博に合わせ観覧車が次々と名古屋地区では作られるのか。会場にも50m級が2機、名古屋市栄の中央にも、港にも、ハイウエイのインターにもにょきにょき建った。編集局は何故、こんな現象が起きるのか検証してほしいというのだ。そこで電話に答え、それが週刊ポストの紙面に載った。
まずは私の紹介。『きしめん紳士が行く 独断偏見名古屋人論』などの著書があるエッセイストの山田彊一氏に話を聞いてみた。ちなみに氏は、家康とともに先祖が名古屋に来て以来4百年、どっぷりと名古屋人家系なんだそうです。
「小銭文化、きしめん文化に象徴される、名古屋人気質の表れでしょうね。小銭をけちけち貯めていてカネはあるが、そうそう使いたくない。うどんを食いたいが、太いからゆでる燃料費がもったいない。きしめんとして平たくすれば、早くゆであがって節約できる・・・。名古屋人の基本はこれ。万博があるんじゃ、なんかやらなきゃな。そうそう、観覧車ならちゃんとデータがあって、危険はないし比較的安くできる。そのわりに派手で、(万博に関係のないところも)万博に積極的に協賛しているようにも見える。だからうちもうちもっていう、これなんですよ」
農耕原人の血をひくこの地は、新しいことを好まず、ひと真似を善しとするとも話したからこのことも書いてほしかったが。
(週刊ポスト 05、3、4)
追・・週刊ポストの3週間後、「ゴルフダイジェスト」からも電話取材があった。名古屋人のゴルファーは終わってからゴルフ場のレストランに行かず、地元(ゆき付け)の喫茶店に行ってゴルフ談議をする。代金は上司や先輩が払う。1から2時間以内で行けるゴルフ場へ行く。フルスイングで一か八かより、飛距離は出なくても慎重に行く。これ等の特徴を名古屋人が好むきしめんで語ってくれないかというものだ。チヨッとひねくった取材も面白いので受けた。同じような切り口の取材ではおもしろくないと踏んだのだろう。
ちなみにこの記事のタイトルは「名古屋人のゴルフをきしめんに見た!きしめんゴルファーの掟」。内容はというと「私の先祖は400年前に家康とともに名古屋に移り住んだいわゆる“清洲越しの名古屋人”。代々御典医の家系で、今“名古屋人”といわれる場合の“名古屋人の中の名古屋人”が私です。だから、私、きしめんゴルファーの代表みたいなものですか。まぁ、今はたまに練習場に行く程度ですが。名古屋は近距離にコースがあるので、30分程で市内に戻れる。だから帰りにラブホテルに寄るカップルも多いんです。本当ですよ。まぁ、何しろ、ゴルフだけで1日つぶすなんてもったいないってことですわ。コースでは残念だけれど、なかなかきしめんは出しません。コースには関東や関西からのお客さんが来てますわね。だからきしめんじゃなくて、味噌煮込みうどん、どてやきなんかを出します。名門では、なんやらメンバーだけが精算できるといった風習があるというけど、確かに名古屋では喫茶店では上司や先輩が勘定を払うのが当たり前なんですよ。誰かが出すのをジッと待つのが礼儀みたいなね。」
もう少しおもしろく、分かりやすく話したつもりだけれどまあこんな風にまとめられていた。観覧車もゴルフもグラビア写真が中心で僕のコメントなんて刺身のつまみたいなものだからしかたがない。僕の教え子で、よく僕に仕事をくれるゴルフ好きの社長は、「今月のこの雑誌、妻に見られないようにしなくては」と言っていた。帰りにラブホへ寄る常連なのだ。
「だから名古屋は、ゴルフ場近くにラブホが多いのね」
(ゴルフダイジェスト 05、3、22)
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No title

 山彊先生、よくもまぁ原稿を、電子データで保存してあったこと。ずぼらな性格だと思い込んでいましたが、結構マメだったんですね。新たな発見をしました。
 暑い日が続くとはいっても、少しづつ季節は移り、市内でも早生の稲刈りが始まりました。一ヶ月ぐらい先に、玄関先まで届けましょう。

Re: No title

>  山彊先生、よくもまぁ原稿を、電子データで保存してあったこと。ずぼらな性格だと思い込んでいましたが、結構マメだったんですね。新たな発見をしました。
>  暑い日が続くとはいっても、少しづつ季節は移り、市内でも早生の稲刈りが始まりました。一ヶ月ぐらい先に、玄関先まで届けましょう。
コメントありがとうございます。大先生に読んでいただいていると思うと励みになります。
昨日坂本竜馬の土佐米を後輩にもらいました。先生にいただいた名古屋米を思い出しました。
土佐の新米はふんわりして、下半身が元気になったようです。岩田先生のは頭がクリヤーになったかな。
みえたらよってください。あたまとしたがこれで元気になれますね。けれど無理をなさらないで。
山彊
カウンター(since2011.1.1)
プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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