ゴーギャン作品、愛知県美術館が購入

ゴーギャンの作品を愛知県立美術館が購入

ゴーギャン作品購入の記事
 2億9千8百万円で、ゴーギャンの作品を県美が購入したと言うと、以前なら「そんなお金があるなら、何故もっと税金を安くしないか」等の苦情が県に寄せられたものだが、さすがにそれは無くなった。それだけ県民の文化意識が上がったのか。ゴーギャンの作品は数が少なくこの値段なら高くはない。10年後に売っても損はないと思われる。「安物買いの銭失い」と揶揄される名古屋人にはいい買い物ではないか。写真上:中日新聞2012年6月9日 朝刊の記事
 さて今回購入した作品はゴーギャン1888年の作ということだが、この頃彼は何をしていたのか。この5年前つまり1883年には、彼はそれまで働いていたパリの証券会社を不況のために辞め、妻の里のコペンハーゲンへ行っている。しかし経済的なことや色々な事情でうまくいかず、息子の一人だけ連れて直ぐパリへ戻っている。だが生活は厳しく、子供を妻のもとに返し、日雇いで食いつないでいる。まあ、この苦労に絶えられたのは、いずれ絵で世の中に認められてやるという目的意識があったからだろう。

ダヴェンの下宿屋
 そんな折、ゴッホからアルルへ来ないかという誘いを受け、出かけたがうまくいかず、例のゴッホの耳切り事件に巻き込まれている。県美の購入作品はこの年に描かれたものだ。キャンバスを買うお金も無く、作品の裏にまで描いている。その時の彼は売れるなんて思ってもいなかったことが分かる。ゴーギャンの代表作と言えば一般的にはタヒチ時代のものがあげられるが、僕はこの頃のものも代表作に入れていいと思っている。写真上:1888年撮影、ダヴエンの下宿屋。貧乏画家の集団。前列右側にゴーギャン。
 タヒチではキャンバスや絵具等があまりなくて、穀物を詰めてきた麻布に少しの絵具で描いているが、1888年頃は正式なキャンバスで、まあまあ豊富に絵具を塗っている。その点でもケチな名古屋人にとってはお得な買い物に思えるのではないか。それに裏にまで絵が描かれている。ますますお得感覚ものだろう。
 「山彊先生、裏表に描いてあっても見せる時は片方でしょう。意味がありませんわね」。県美の学芸員は優秀だからそれはしない。一度表を見せておいて、その後「裏にしましたからまた見に来てください」といって2倍の入場者を狙うのではないか。又は裏表のない額縁をつけ部屋の中央に吊るせば、また話題性もあって面白い。以前版画家でそれをやった者がいる。表は正面、裏は後ろ姿を刷ったものだった。
 ゴーギャンはその3年後、1891年に単身でタヒチへ行っている。船着場から歩いて行く途中に12,3歳の女の子から声をかけられ、直ぐ同棲したとも言われる。女の子はお金目当てで声をかけたのではない。当時のタヒチの性道徳は西欧諸国や現代の我々のそれとは異なっている。このあたりは文化人類学の観点から見ると興味深く、僕もいろいろ研究したが、ここでは長くなるので話を元に戻す。
 ゴーギャンは途中でお金が無くなり、一度フランスへ帰り直ぐまたタヒチへ出かけている。そして当地にて梅毒で亡くなっている。タヒチで感染したかと思われているが、どうもフランスで感染していたらしい。このことはフランスではあまり公にされていないが、タヒチの名誉のために言っておきたい。 

 ところで、このタヒチの魅力は何だろうか。ゴーギャンを惹き付けたその魅力を探ろうと5年前、僕も一人でタヒチに出かけた。僕の定番の旅の仕方で、宿の予約も入れず当地の案内所で宿探しをしたが、ほとんどが2万円以上で高額だ。日本人と分かると5万円から7万円のホテルを推薦してきた。タヒチはフランス領で物価はフランスの2倍程と思えばいいということが分かった(フランスパンだけは原住民の反発を招かないよう100円程だったが、中国製のインスタントカップ麺は湯を入れてもらって700円程もした。)
 僕の旅は常に食事、宿代、現地での交通費などを含めて10日ほどで10万円以内と決めている。アフリカや東南アジアではその半分も使わないが。ズボンの裏には最悪の状態を警戒して、10万円は余分に縫い込んであるがこれを使ってもやばい。すぐドミトリー(安宿)探しに移る。海岸の裏側でそれはすぐ見つかった。1泊食事なしで4500円程だ。部屋に入って驚いた。6畳ほどの部屋に3段ベッドを置き、6人が入っているのだ。もう5人の先客がいて、半分はでかい黒人たちだ。ジーンズも脱がずシャワーも浴びず直ぐベッドで横になったが寝られなくて、朝5時には宿を出た。船着場へ行ったら丁度、ゴーギャンがお城のような島と称するボラボラ島行きのフェリーが出るところで直ぐに乗った。何も考えず離島なら民宿のようなものもあり宿泊代も安いだろうと思ってのことだった。フェリーを降りたらすぐ乗り合いバスが出るところだった。乗って動き出したら運転手が何処まで行くのか尋ねてきた。僕は途中景色のいいところか野宿の出来そうなところで降りるつもりでいた。だが客は3人しかいないので、運転手が降りる場所を聞きたいのは当然だろうと思ったので、とっさに「チープホテル、ニヤ、プリーズ」と口走っていた。何たるブロークンイングリッシュ!でもこれでちゃんと通じた。
タヒチ僕の泊ったホテル そして30分程して田舎くさいホテルの前で降ろされた。安いホテルを頼んだのに、なんと朝食込みで2万3千円程だ。僕にとっては高すぎる。しかし、昨日は眠れなかったため疲れていたので、1時間後に出る次の乗り合いバスを待って、当てのない安いホテルを探す気も失せていた。後で調べたらこのホテルは本当に島で最低ランクの料金だった。写真右:僕の泊った映画『南太平洋』に出てくるホテル
 案内された部屋にベッドは二つあったが「おまえは一人分の料金しか払ってないから、このベッドしか使えない」とボーイに言われた。直ぐシャワーを浴びてから、部屋を出て50メートル程先にある海岸へ出た。そして眼前に広がる風景を見て面食らった。ものすごい!息をのむほど美しい映画に出て来るような風景が眼前に広がっていた。「山彊先生、オーバーじゃありませんか」だが本当なのだ。一瞬夢かと思ったほどすばらしい風景が広がっていた。あとから分かったが、ここはジョシュア・ローガン監督の映画『南太平洋』(名曲、バリハイ…で始まる)の、あのロケ地だったのだ。どうもこのホテルも当時のロケ地として使われたものらしい。その為改築もせず古くなり安ホテルになってしまったようなのだ。でも僕にとっては最高の宿だ。映画『南太平洋』を僕は高校生時代に見ている。新しい施設の充実したホテルより、この映画で目に焼き付いたホテルが一番泊りたいところだ。海岸から美しい島々や海を見ていると、バリハイの曲があたりに満ち渡り、魅惑的な恋が映画のように生まれる予感すらしてくる。まだ朝の9時だから時間はたっぷりある。15分程写真をとってから、まず昼まで寝るかと思いベットで転がった。昨夜ほとんど寝ていなかったので、猛烈に眠かったからだ。が、目が覚めたのは夕方の6時頃だった。うーん残念!ものすごい後悔だった。ここでもう一泊したいがそんなことをしたら持ち金が無くなって、旅を続けられなくなる。夕食はレストランでは1万円を超えるのでフランスパンとバリハイの井戸水にした。
ボラボラ島の子供達
 楽しいすばらしいことって往々にしてこんなふうかもしれない。人生もこんな一瞬の喜びで、後は後悔で生きるのだろうか。写真だけは後からいくらでも眺められるからこれは助かる。18時に目が覚めてから部落の方に出かけ、途中で子供を見つけた。その写真をこのブログに載せてみた。
写真右:ボラボラ島の子供たち。7時ごろまで遊んでいる

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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