妖怪屋敷第11弾 徳川園正門前の胞衣塚

妖怪屋敷第11弾
尾張2代藩主光友を生んだ大森の百姓娘は、腹を立ち割られたか?自然分娩か?

 『妖怪屋敷・第7弾』で、尾張2代藩主光友は農家の娘から生まれた、と書いた。文献では普通に光友を産んだ大森の百姓娘の乾の方は、江戸屋敷で9年後に亡くなったと言われている。ところが明治生まれの僕の親爺は、御三家筆頭の尾張藩主の子が賤しい農家の娘から自然分娩で生まれたとあっては、あまりにも下品すぎるとして、娘の腹を立ち割って子を取りだしたと聞いたと言う。どちらが本当なのか。僕は下々が噂することの方が真実ではないかと思う。それというのも大柄の元気な娘がその後、藩主と暮らしながら次なる子に恵まれないのはおかしいし、9年後に若くして死んでしまうのはどうも腑に落ちない。この江戸で亡くなったお乾の方は替え玉でないかというのが僕の見解だ。

徳川園正門前胞衣塚
 そうなると親爺の話の方も説得力を持つ。当時腹を切れば(今でいうところの帝王切開?)まず数日で亡くなっただろう。その遺体をどうしたか。まさか世継ぎの子を産んだ母を野っ原に埋めてしまうことはできない。どこかお城の近くにそれとなく崇めて埋めたに違いない。その場所が親爺は徳川園の西にあるロータリーの塚山(胞衣塚)だというのだ。徳川園の正門(またの名を黒門)からまっすぐ西に50 m行くと道路の真ん中に塚状になった小山があり、そこだけ道が分かれてロータリー状になっている。春には桜が咲き誇る。胞衣(えな)とは胎児を包んでいる臍と胎盤のことであり、出産後それらを埋めたのが胞衣塚だ。写真右上:徳川園の正門前にある『胞衣塚』(お乾の方の墓場と僕の親爺は言う)
 僕は徳川園やここを小学校の1年からの遊び場としていた。我が家の犬が元気だった数年前までは毎晩のようにこのロータリーを回って散歩していた。ここで排泄させたことは一度もないが。この付近は土地代も高くエリート住民が住んでいる。付近に住んでいる人が言うには「このあたりはその昔、薬草園があってこの塚もその一部だった」そうだ。
 2004年、徳川園が改装され、名も葵公園から徳川園に戻された折り、「市の役人がオレんところに徳川園の昔のことを訪ねに来た」と親爺は喜んでいた。なんでも近所の人には「この地の生き字引き」と親爺が言われていて、そのため役人が尋ねに来たと親爺は言う。市は以前我が家のあるところが沼地であったことを証明するためにボーリングもしたらしい。
 そこで早速この塚の謂れを調べてみた。言い伝えによれば、この塚には光友の母親の分娩時の胎盤等が埋めてあり、光友が大人になってから母を偲び、その塚に直々、藪椿を植えたとある。現地には標識が立ち以前藪椿の大樹があったが大戦の戦火で焼かれてしまったと記されている。まあ僕の親爺の話から想像するに、お乾の方の遺体を密かに胎盤等と称して、分からないようここに埋めたのではないかと思う。こうすればお乾の方も浮かばれるし、成人をしてから光友がこの胞衣塚を正面に据え、隠居屋敷にするべく大曽根下屋敷(現徳川園)を造ったことも想像できる。家康や他の藩主にも胞衣塚はある。だがこれだけ屋敷の真正面に堂々と据えたものはない。きっと光友が生誕のいわれを知り、毎日母を拝めるようにしたのではあるまいか。
 「山彊先生、またここに幽霊が出るというんじゃないでしょうね」。幽霊は何かの怨念を持つと現れるが、自分の子が藩主になったお乾の方としてみれば化けて出るはずがないのではないか。「でも結局、子供を産んだ後殺されたのだから、恨みはあるはずよ。私なら化けて出るわ」 僕が以前、夜に犬を散歩させてこの付近を歩いた時は一度も幽霊を見なかったが、あの頃はこれらの歴史的背景を知らなかった。今行くと幽霊の方も自分のことをブログに書いている人に、ちょっと御挨拶でもと思って、出てくるかもしれない。
 親爺が話したこのあたりの幽霊話は、尼ケ坂と坊ケ坂、それにこの胞衣塚から300mほど南にある、現在芸術創造センターになっている葵1丁目付近だ。ここには一時、処刑場があったらしく墓地もあり、そこから幽霊伝説が始まったのではないかと考えられる。

幽霊子育飴
 ところで話しは少し飛ぶが、幽霊と言えば京都の建仁寺付近に幽霊飴を売る店があることを御存知だろうか。これは死後墓の中で子を産んでしまった母親が棺桶から這い出して赤子のために近くの飴屋さんに飴を買いに来る話だ。人が死ぬ時、棺桶に三途の川を渡るためのお金、六文(六道銭という)を入れたという。それを持って母親幽霊が飴屋に来たわけだ。現在はここを轆轤町というが、かつては髑髏町と呼ばれていたという。写真右:京都にある幽霊子育飴
面白いね、以前このブログに載せた名古屋の尼ケ坂や坊ケ坂と似ている。

坊ヶ坂写真左:坊やが亡くなった『坊ケ坂』
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まとめtyaiました【妖怪屋敷第11弾 徳川園正門前の胞衣塚】

妖怪屋敷第11弾尾張2代藩主光友を生んだ大森の百姓娘は、腹を立ち割られたか?自然分娩か? 『妖怪屋敷・第7弾』で、尾張2代藩主光友は農家の娘から生まれた、と書いた。文献では...

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幽霊飴

京都建仁寺の子育て飴(幽霊飴)の話、桑名にも有ります。8月23日24日地蔵盆の日、桑名初代藩主「本多忠勝」の菩提寺、浄土寺で「幽霊飴」が2日間だけ売られる。身籠ったまま亡くなって、この寺の墓に葬られ、その後赤子が生まれ、母親が幽霊になって近くの飴屋に夜毎飴を買いに来た。と言う昔話が伝えられています。
でも、この手の話、伝説は常陸・信州・因幡・武蔵と日本全国にかなり多く有るのだそうです。
また、東京に江戸から伝わる「鍋割坂」という名の坂が、現存します。鍋割つまり大きな鍋が割れる……子供が生まれる、胎を割る(現在の帝王切開)。この坂の辺りで源○○の女が児を生んだ、殿さまが側室の腹を切り開いたとの昔話が坂の名と共に残されています。乾の方の話とも、良く似ていますね。
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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