妖怪屋敷第9弾 六所神社

妖怪屋敷第9弾
六所神社は妖怪エリアの最東端結界

六所神社
 名古屋城から妖怪街道(尾張徳川藩主の亡命ルート)の下り坂を東に向かうと現旭丘高校の東北約100mにある六所神社に到達する。ここがこのルートの最東端で、ここから殿様は坂のある暗い森を離れ、平地を山田天満宮から長母寺に向けて進む段取りではなかったか。このあたりで妖怪街道にそって存在した大きな沼地も終わる。この六所神社も尾張2代藩主光友が古くなった神社の改築を指図している。まだ豊臣の残党が再起するかあるいは新たな謀叛者が現れるかもしれないという不安を背負っていたのだろう。神社や寺は亡命ルートの各拠点の役割を担っていたのだ。写真右上:閑散とした普段の六所神社。ここは大曽根にある片山八幡神社が管理している。安産祈願は昭和区の塩竈神社へ行く名古屋人が多い。

カッチン玉祭り
 我が家から1km東にあるこの神社は2月26日が祭礼日で(写真左:六所神社のカッチン玉祭り風景)、この日だけ『カッチン玉』と呼ばれる飴玉が売られる。竹の先にタコが巻き付いているような飴がついている。大小の白い飴には赤や青、黄色の色が付けられ、そのカラフルなめずらしさも手伝ってたくさんの参拝者が買い求めている。1個200円から1000円位で買える。以前は飴を巻きつけ、赤や青の色を付けただけであったが、昨今は金太郎飴をその上に載せ子供たちが好きそうな飴にしている。写真下:カッチン玉飴の映像   
 このかっちん玉の由来は二つある。この近くで旅人の夫婦が産氣付き、丸々とした子供を産んだ。そしてこの森の湧水を産湯に使った。無事元気に生まれたその赤ん坊のへその緒をイメージしたと言うのがその一つ。だからこの飴は安産祈願のためのものだ。
カッチン玉飴
 もう一つは松明説。このあたりは「暗がりの森」とも称せられるように深い森が続き、毒ヘビの蝮やムカデ、藪蚊がものすごく多く、それを防ぐため棒の先に薬草も入った松明を燃やしながら分け入っていたという。僕も6歳の頃、この近くで蝮を見ている。近所のおじさんが竹を半分に裂いて、蝮の首を挟んでいた。昭和時代でさえ、ヘビが出たのだから、江戸の頃は、松明は絶対必要だっただろう。この松明を形取ったのが『カッチン玉』のルーツだというのが2番目の説だ。飴玉の赤い色は松明の火をイメージしていたのかもしれない。こちらは厄除け祈願だろう。

 このブログの「妖怪シリーズ」をやるまでは、松明説は今一つピンとこなかったけれど、今は松明に決まっていると思う。亡命ルートとしては、落ちのびる際人目に付かない空間が必要で、鬱蒼とした森は最適だ。無気味で人を寄せ付けなかっただろうし、日が暮れればきっとすごい闇が続いていたに違いない。話がちょっと飛ぶが旭丘高校の前身である藩立洋学校が明治3年に開設され、明治41年に今の地へ移っているが、すんなり場所の確保ができたのは何もない森だったからであろう。いざ鎌倉という際には家来は松明を持って集まったにちがいない。
 松明説をとってへその緒説を否定した他の理由は、へその緒を食べると言う感覚が日本人にはなかったと思われることだ。さらに安産神社のイメージを植え付けると人々がお参りに来る。落ちのび街道なのに、人を寄せ付ける神社を徳川尾張藩が改築する筈はない。またこの六所神社から中日のドーム球場までは数百mのためか、開幕の前には選手がそろってお参りをする。これも、もしへその緒説をとるならば、ドラゴンズが優勝祈願のために安産祈願神社にお参りしていることになりおかしなものだ。毒蛇除けの松明であれば全然おかしくない。巨人や阪神が蝮になるわけだから。
 しかしさらに調べてみると境内の一か所に六所龍神社がありドラゴンズはここに優勝祈願に来ているということが分かった。ナゴヤドームは平成9年(1997)に開設したが、当時の球団社長がドーム近くのここ、六所神社に龍神が祀られていることを知ってお参りしたところ3連勝が2度続いた。「六所で6勝!」。これは縁起が良いと翌10年から毎年、ナゴヤドームでの初のオープン戦の日に球団幹部や選手らが参列して優勝祈願祭を行なうようになった。龍神は水神の象徴。六所神社によると現在は道路になっている神社南側の場所に昔、川がありしばしば氾濫したために神社境内に龍神を祀ったという。
 尾張徳川二代藩主光友の命により寛文年間(1661~73)に編纂された書物『寛文村々覚書』には、「六所大明神、社内六反歩、前々除、瀬古村祢宜吉太夫持分」とある。六所というと、六柱を祭神とした神社もしくは塩竈神社の意味があるそうだ。だから六所か塩竈といえば安産のお守りということになる。この神社は安産の神様の塩竈神社からこの名称をもらったのではと言われている。
 ところで僕が幼い頃、この祭りで売られる飴を見て最初に感じたのは、蛇がどくろを巻いているぞという印象だった。案外これが正解で、後の人が勝手に理屈をつけたのではないかとも思える。人を寄せ付けないためにはこのほうがいい。いずれにせよこのお土産が登場したのは、元録以後のことではあるまいか。


                     
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まとめtyaiました【妖怪屋敷第9弾 六所神社】

妖怪屋敷第9弾六所神社は妖怪エリアの最東端結界 名古屋城から妖怪街道(尾張徳川藩主の亡命ルート)の下り坂を東に向かうと現旭丘高校の東北約100mにある六所神社に到達する。こ

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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