妖怪屋敷 第8弾 久国寺

妖怪屋敷 第8弾
久国寺は妖怪封じ寺

 「このブログに久国寺という寺がよく登場するけれど、妖怪と関係があるのですか」。久国寺は僕が妖怪シリーズを書き始める前に、このブログで以前紹介したことがあるが、あの岡本太郎の釣鐘で有名な寺だ。釣鐘に角が数十本生えていていわば‘妖怪釣鐘メデューサ’と言ったところか。けれどこの話は置いておいて、この寺は僕が戦前住んでいて戦争で焼けてしまった造り酒屋の家と幽霊坂を結んだ線上の、ほぼ中央に位置する場所にある。   
 久国寺は名古屋城の北東にあって、鬼門に当たるため魔除け寺としての役目も持っている。また名古屋城から徳川の別邸(現在の徳川美術館)までの間(=妖怪エリア)には多くの寺があるが、その中でも一番多くの雲水を抱え、エリア内では一番で大きい寺でもある。1600年前後、長国守養が、岡崎にある松平家の菩提寺、三河法蔵寺から徳川家康の『守護仏出世勝利開運聖観世音菩薩』を譲り受け開いた寺でもある。三河法蔵寺は家康が手習いをした場所としても知られ、ヤマトタケルも祭られている。ヤマトタケルは武勇の誉れ高く、吉備や難波の邪神も退治したことで知られる。彼にあやかろうと、東海道を旅する武士は家康を参ると同時にここに寄ることが多かったとか。

久国寺槇と石燈篭
 久国寺には我が家よりはるかに古木の槇の木が植わっている。また我が家と同じ妖怪封じもされている。槇の木の直ぐ脇には地中の妖怪を押さえる石や石灯篭が立っている。昔から庭づくりには当然のことだったのだろうか。写真右:久国寺の槇の木と石や燈篭
 この話を先日、我が家へ講演の依頼にみえた一宮の素封家の旦那衆にしてみた。彼等によれば、今でもこの考えは守られていて、石のおもしがなく槇の木を植えることはないという。普通、石燈篭も脇に立てるそうだ。僕が槇の木は元棺桶の材料で、吉野の妖怪の里にたくさん生えていることを話したら、それは知らなかったと言われた。
門かぶりの松については彼等のうち二人が我が家もそうなっていると話していた。僕がかつては庭に桜の木があったけど以前に切ったと話したら、それは正解だと言われた。桜は個人宅の庭木にするには縁起の悪い木だそうだ。公園や歩道に桜の木が多いのは、それぞれの家で植えることができないからだという。
 数々の木の中で、とくに庭木に適さないのは枇杷の木だそうだ。枇杷は別名大薬王樹とも称され葉を煎じて飲むと免疫力が増すと言われている。それなら植えてもよさそうなのに駄目だとか。どうも忌み嫌われる理由がはっきりしない。彼等は親から間違っても枇杷の木は植えるではないと教わったという。この葉に含まれるアミグダリンは胃腸で分解されると猛毒である青酸を発するので危険だとも言われているらしいが、それが事実なら間違って葉を食べたりしたらとても危険だ。当然庭木に植えるべきでないと忌み嫌われても不思議はない。しかし庭に枇杷の木のある家を僕はちょくちょく目にする。
 実は僕の同級生宅の玄関にも大きなびわの木が植わっている。彼は未だに結婚できていないし、親族の全てが亡くなってしまっている。名古屋の中心に近いところに200坪程の土地を持ち、売れば数億の金になるのにどうして結婚相手が見つからないのか。こんな彼を見ていると、枇杷が縁起の悪い木だと言う話もあたっているのかなとおもってしまう。

お宮参り僕と母
 さて久国寺に話を戻すと、この久国寺と僕にはおかしな関係がある。1944年12月7日、午後1時36分、M8,0の昭和東南海地震が起きた。戦時中のことで国は全てを隠したが軍需工場は壊滅的であったとか。この地震の折り、僕は女中さんと久国寺の庭にいた。食事が終わって片づけの邪魔になる僕を、彼女は散歩がてら近くの久国寺へ連れだしていたようだ。突然まっすぐ立っていられない程地面が揺れ出して、周囲にある石燈篭がバタバタ倒れ出した。彼女との鬼ごっこで燈篭の後ろにでもかくれていたらとんでもないことになっていただろう。写真右:お宮参りの時の僕と母、終戦前の写真は燃えてこれ1枚しか残っていない。

 ここ久国寺は冒頭でも書いたが1965年、あの岡本太郎に頼んで角のある大きな釣鐘を造ってもらっている。岡本がこの寺の依頼を受けたのは、普通の寺でないという確信があったからではないか。それもあり鐘には数十本の角をはやし(岡本はこれを人間のうごめく手であるという)、表面には動物や魚、それに妖怪など森羅万象の事物を入れている。まあ彼自身妖怪的な人間だし、万博の太陽の塔も妖怪そのものだ。写真下:岡本太郎の鐘のアップ
岡本太郎作久国寺の鐘 
 きっとこの妖怪寺、久国寺には妖怪が寄って来る何かがあるのだろう。もちろん寄って来た妖怪はここに封じ込められるわけだ。ゴキブリホイホイのようなもんですかね。僕もアフリカのジャングルやパプアニューギニアの奥地、またアマゾンの源流まで一人で出かけているが、無事に帰ってこられたのは、日頃から妖怪封じをしているからかもしれない。戦時中の大地震の時にも怪我もなく無事だったのは、久国寺が妖怪(=大地震)から僕を守ってくれていたからだろう。


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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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