信楽寺障壁画・『親鸞生誕750年』

信楽寺障壁画を描く
『親鸞生誕750年』

信楽寺障壁画表面全体
 瑞穂区にある信楽寺から『親鸞生誕750年』を記念して本堂脇の障壁画を描く依頼を受けた。写真右:信楽寺障壁画表面
この催しは50年ごとに行われ『大遠忌法要』と呼ばれるらしい。
 この寺には10余年前、本堂天井画も描いている。68×68㎝の作品120枚を当時教えていた名芸大のゼミ生11人を指導して手伝わせ、描いた。またこの寺と姉妹寺の韓国、洪川郡の海元寺にも百枚近い龍や鳳凰の天井画を依頼され、韓国まで描きに行った。
 ついでに書けば同じゼミ生を使って、ドラゴンズの名古屋ドーム球場に落合選手が監督の間、3度に渡って龍画も描いている。それぞれが普通の龍ではなく例えば3回目に描いた龍の顔は落合監督に似せ、その瞳には背番号の66が入っていたり、龍のイヤリングには秀吉の千なり瓢箪がついているというもので、絵の中に7つの不思議を探そうという言わば謎解き落合龍といったものだった。 
信楽寺障壁画表面部分
 さて今回の障壁画に話を戻すと、障壁画は襖になっており、表は金の絵具や金の箔で天国を表し写真右:信楽寺障壁画部分、裏は銀の色に銀箔を用い地獄を表している。天国には鶴や獅子を描き、地獄には妖怪を中に描き込んで仕上げた。妖怪には、今どきの女子学生の感性も入れようと学生が日ごろ描いている落書き漫画も参考にさせてもらった。親鸞は女色を肯定しているから、子供も男子4人、女子3人を残している。本願寺を開いた蓮如上人はもっとすごいらしい。「それで安心して山彊先生は仕事を引き受けたのですね」。この寺は住職も御庫裡さんも僕の教え子でよく知っているから安心して描ける。御庫裡さんは中学校時代可愛い子だった。

 また障壁画の表、天国の絵の背景は「南無阿弥陀仏」といった親鸞の自筆の字や彼の残した経文を刷りこみ、裏の地獄絵には無数の蠅を背景に描いている。「先生は名刺やコップなどに蠅を刷りこんでいますがどうしてですか」。以前一休和尚はつえの先に骸骨をつけて都大路を歩いていたという。それは「無駄な時間を費やしている時間はないよ。直ぐそこに死が待っているよ」と言うメッセージだと言う。パンクの若者が骸骨を使うのもそれに似てるのかもしれない。写真下:信楽寺障壁画裏面
信楽寺障壁画裏面全体
 僕の蠅のモチーフは我が家の犬が死んだ折り、翌日にはもうものすごい蠅が発生していたことによる。僕にとって蠅は死のイメージになった。骸骨になる前にまず蠅が死者を死の世界へいざなうのである。だから以前は骸骨をイメージした餓鬼草子を描いていたが、骸骨に変わって僕は蠅を描くようになったのだ。写真右下:信楽寺障壁画部分
信楽寺障壁画裏面部分
 障壁画の金銀は絵具ではなく、箔を使ったが、画面に箔を貼るという一般的な使い方ではなく、箔を絵具代わりにしている。伝統的な使い方にならぬようチャレンジしているつもりだ。こうすると箔がかすれたり幾重にも重なり、作品の上にもかぶってしまうが、これが狙いでもある。そのため捨てられる箔は、使われる量よりはるかに多くなる。

 お寺の障壁画というとどうしても過去の真似になってしまったり、仏教の伝統を壊してはいけないといった無意識の制約が浮かんで、面白さに欠けてしまうのではないかと思い、今回の作品は今様の障壁画にしている。だから100年経ても、平成の個性ある作風として残るのではないかと思ったりする。今の若い女子の思考を取り入れたのもそこに要因がある。期せずして僕はブログで妖怪シリーズを書いているが、何か生きている全てが妖怪に引きずられているようだ。

朝日新聞
 ところで上記した韓国の海元寺での作品作りは、2月の初めの頃におこなったので、寒くて大変だった。シルクの版とインクをすべて用意して、そこで作品作りをしようとして寺に乗り込んだのだが、一度版を洗うと寒さのため表面に薄氷が張って次に進めない。ゼミの学生を連れていったからなんとかなったが苦労の連続だった。トイレは田舎のため穴を掘っただけのドボン式で、大便が1m近くピラミッドのように積み重なって凍っていた。おケツまで届いたら穴を埋めるだけらしい。凍てつく寒さの中で天井画の仕事はまさに仏教僧の厳しい修行に勝るとも劣らぬものだったのではないか。寝るときはキムチの匂いが強烈に染み付いた部屋で寝たため、キムチの桶の中で転がっているようだったが、オンドルで床が温かく快適でその点は救われる思いがした。写真左:朝日新聞 2005年2月8日

 僕等は帰りには観光地を通りそこで泊ることにしたが、旧正月の真っただ中で韓国の重要な祝日のため、ソウルを離れるとホテルは全て休業になっていた。普通のホテルは休みでも、ラブホは稼ぎ時らしくいたるところがネオンぎらぎらで、結局ラブホの円形ベット泊となった。ラブホのおっさんも驚いただろうが、学生も先生に犯されるのではと寝られなかったのではないか?ちなみにこの時は学生は全て男子だったが、今時あり得なくもないことなので?!

月刊中日スポーツ

 又ドーム球場の龍画は名芸大の体育館二階で2ヵ月に渡って制作をした。アメリカ人のゼミ生もいたから落合に似せても、雰囲気はベーブルースのようになった。これは後ほど中日スポーツ紙が大きく取り上げてくれた。写真右:月刊中日スポーツ 2004年4月 
韓国の天井画の時は朝日新聞が紙面の3割ぐらいを使って掲載してくれた。学生ともどもすごく感謝している。信楽寺の作品、よろしかったら見に行ってください。

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まとめtyaiました【信楽寺障壁画・『親鸞生誕750年』】

信楽寺障壁画を描く『親鸞生誕750年』 瑞穂区にある信楽寺から『親鸞生誕750年』を記念して本堂脇の障壁画を描く依頼を受けた。写真右:信楽寺障壁画表面この催しは50年ごとに行われ『大遠忌法要』と呼ばれるらしい。 この寺には10余年前、本堂天井画も描いている。50×...

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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