妖怪屋敷第6弾 尼ケ坂

妖怪屋敷第6弾
名古屋の妖怪銀座は尼ケ坂付近 №2

 前回の妖怪屋敷第5弾で「光る首が飛んでくる」と女中さんが言ったと書いた。これについてどういうことかの質問を受けた。どうもこれは女中さんが見たのではなく誰かに聞かされたことのようだ。怨霊三大事件と言うとよく知られた菅原道真や崇徳上皇、平将門の怪奇現象のことだ。今、NHKで大河ドラマの平清盛を日曜日にやっているが、平将門は清盛より前、平氏が関東で勢力を持っていた時代の話だ。平将門は朝廷の反逆者にさせられ戦っていたが、流れ矢に当たり亡くなった。そして首は京都の都大路で晒された。だが首は3日過ぎても腐敗せず目を開いた形相で怪光を放っていたとか。人々が驚く中、その後胴体を求めその首は関東まで飛んでいったという。濡れ衣であり残念で、死に切れなかったからの出来事であろう。
尼ケ坂下の道路標識

 この噂が尼ケ坂でも影響したのだろうか。どうも聞くところによると江戸時代、ここに罪人の斬首された首が晒してあり、その首が将門のように胴体を求め飛んで行ったということではないのだろうか。罪人の中には当時のことだから無実の人も多かったのではないか。そんなこともありここは人通りが少なく、人が寄り付かなかった。そのため暇を余した武士が辻切りの場所として選んでいたという。それらのことを憂いた近くの久国寺の八代目住職は、自分の寺に安置されていた六地蔵の一体を蔵王山(片山の旧名)延命閣地蔵院と名付けた寺社に移し、この地の怒りを鎮めようとした。この院はその謂れからお助け寺とも称されている。寺は新しく建て直されて現在片山神社の西、数十メートルの所にある。写真上:尼ケ坂下にある道路標識
写真下:お助け寺から尼ケ坂の森を見る
お助け寺から尼ケ坂の森を見る
 その尼ケ坂の中央に南北に走る切り通しの太い舗装道路がある。これは先回の妖怪屋敷第5弾の写真でお見せしたものだが、これは僕の若いころにはこんな道路は無かったような気がする。鬱蒼とした森のど真ん中をこの道は突き抜けているのだ。尼ケ坂にしろ坊ヶ坂にしろ、昔は舗装は勿論されておらず細くて、森の中の昼でも暗い道だったに違いない。だから幽霊坂と呼ばれ、人も怖がって避けたと思われる。いつから今のような道路になったのだろう。早速調べてみると、これは1935年の名古屋の地図には現在のような道路は載っていない。前に徳川園近くにあった女郎屋が上飯田に移ったことを述べた。それが戦争で燃え、戦後になり占領軍のために女郎屋街は戦火を免れた城東園に移った。この道は占領軍の兵士を城東園に運ぶためと、幽霊坂の暗いイメージを無くすために造ったものでないだろうか。その後1978年(昭和53年)地上を走っていた瀬戸電が栄乗り入れのために沿線地域である尼ケ坂付近が整備され、更に1990年(平成2年)東大手-森下間が高架化され、尼ケ坂の坂道の上を交差する形で瀬戸線が通っている。
 前回のブログを読んだ東京にいる娘が「そう言えば亡くなったおじいちゃんから、尼ケ坂のあたりは怖いところだから、明和高校へ通う途中、この近くを通って通学しないように言われたことを思い出した」と、電話をしてきた。我が家と明和高校を地図で結ぶとそのど真ん中に尼ケ坂がある。娘は自転車通学をしていたので祖父は心配していたのだ。
 僕の親爺もそうだが、ここの地元民は怖いから近寄るなとは言うが、何故怖いのかの説明はしない。説明したくないのかたたりを恐れてのことか分からない。この坂の上に20年程?前に大きな大手のマンションが建った。レンガ造りで瀟洒なつくりで外から見たところ、部屋は全て詰まっている。一度調べてみたいのはここを売った地主、また買って住む人々がどうなっているかだ。まず平均寿命が知りたい。なにしろ妖怪銀座の真上に住んでいるのだから。
「山彊先生、何故そんなことを気にするのですか」。前述した平将門の首が飛んで行った先は旧大蔵省横。関東大震災の折り、大蔵省庁舎が全焼したため近くにあった平将門の塚も整地し、大蔵省の仮庁舎が建った。すると大蔵省の役人の中に怪我人や病気が蔓延した。その噂の中、震災の3年後には大蔵大臣が当然倒れ意識不明になった。その間工務部長や図面を書いた工学博士も亡くなっている。将門の死後1000年目の1939年には大蔵省に落雷があり主要な建物が全焼したという。戦後、米国の占領軍がこの上に駐車場を作ろうとし、将門の墓石を除けようとしたらそれに触れたブルドウザーが横転し、二人が亡くなっている。
 またこの片山神社ではあの伊丹十三と宮本信子が結婚式を挙げたと評判になった。ふたりはまず東京都国立市の谷保天満宮で結婚式を挙げ、ここ名古屋は宮本家があるため二度目の式を挙げたのだろう。御存じのように伊丹十三は自殺したと言われるし、谷保天満宮は三大怨霊の菅原道真を祭る関東の大寺。皆どこかで繋がっている気がする。

片山神社伐られた杉
 片山神社で社務所の留守番の男性にいろいろ尋ねたが、「昔自殺が多かったとは聞いているが…」くらいしか知っていなかった。神社の中には樹齢数百年と思われる杉の木があったが、枯れたためか途中で切られアルミの蓋がかぶせてあった。この神木は天狗の腰掛と言われていると言う。根元から切らず十メートルを残しているのは何故だろうか。あの尼ケ坂の名になった尼さんは杉の木に紐をかけて自殺しているが、この木なのだろうか。だから台風等で危険でも、完全に切り倒せないのか?
まあ皆さん一度出かけてください。都心なのに田舎の神社の雰囲気と妖気を感じるから。

写真上:片山神社本殿横の伐られた杉(尼さんが紐をかけて自殺した?)を望んで
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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