『山彊創作 名古屋妖怪画集』から『名古屋妖怪三十六景』へ 

『山彊創作 名古屋妖怪画集』から『名古屋妖怪三十六景』へ 

 これまで「『山彊創作 名古屋妖怪画集』より」というタイトルで、僕が独自に創り出した名古屋の妖怪をこのブログで2,3体ずつ紹介してきた。この画集を出すために僕はまず妖怪画を36体描いた。そして画集として出版するために説明文を加えようと考え、説明文とともにブログで発表し始めた。その途中で北斎につながることがいろいろ出てきて、本のタイトルを変えようという気が起ってきた。新たに考えついたタイトルは『名古屋妖怪三十六景』だ。初めに描いた絵が36体だったのは全くの偶然だが、北斎からの暗黙の示唆と考えさせていただくことにしよう。『富嶽三十六景』を描いた偉大なる絵師へのトリビュートとして。

『名古屋妖怪三十六景』より㉕㉖

㉕妖怪「化け見ヶ原」
出現場所:上前津東南丘陵地帯


 名古屋の地下鉄名城線の東別院駅の北東一帯を富士見町という。この名前の富士見町、以前は不二見ヶ原と言って江戸時代からあったのだ。この不二見ヶ原の名、誰がいつ付けたか分からない。確証はないが家康の清州越しの頃、このあたりの高台は何もない一面の野原だったので、坂の上から東方面にはるか遠くの甲府の山々が見られ、そのうちの一つを富士山と思い、富士が見える所という意味で名付けられたようだ。そのため当時は誰もがここから富士山が見えると信じていた。

尾州不二見原 富嶽三十六景 (300x201) そんなことも影響したのか、あの北斎までここで富士山を描いている。富嶽三十六景の中で描かれた「尾州・不二見原」という浮世絵がそれだ。
写真右:富嶽三十六景より 「尾州・不二見原」 北斎画
 桶屋がでかい桶を作っていてその丸い桶を通して、中心に小さいけれどはっきりと富士山が見えるという構図の版画だ。こんなところからも富士山が見えると、北斎が喜んで描いた気分が伝わってくる気がする。現代の科学では見えないと検証されているので、ここの妖怪が北斎に乗り移って描かせた?のかもしれない。

 尾張藩の寺社奉行で著名な俳人でもあった横井也有も富士山について次のように言っている。「10月のよく晴れた日に見えた」とか、「宝永の大噴火の折、東の空に噴煙が見えた」等。この横井也有は東別院北で隠居生活をしていたらしい。上前津の角にある春日社からも富士山がよく見えたという。彼はお化けに関する句も詠んでいる。「化物の正体見たり枯れ尾花」と。みなさん、一度はこの句を聞いたことがあると思う。不二見ヶ原は雑草の生えた眺めのいい丘陵地だが、夜になると真っ暗で枯れ草が化け物のように見える怖い場所だったのだろう。
 也有の隠居場所のすぐ南にある長栄寺境内には彼の爪や髪を埋め込んだ塚が今も存在している。何故爪や髪を保存したのだろうか。爪や髪は死後も伸びるという言い伝えがある。爪や髪が死体とは別個に保存してあるとはちょっと妖怪的だ。あの崇徳院は怨霊となる前、爪や髪を伸ばし続け妖怪の様になったと言う。

 僕の描いた「妖怪 化け見原」は坂の張を怨霊の頭として、そこから髪の毛状、爪状の蘆が生え、それが手や骸骨の首に見えるように描き込んでみた。その坂の遠くには噴火している富士山も確認できる。


㉕妖怪「化け見ヶ原」

妖怪化け見原


㉖異獣「おからねこ」
出現場所:大須界隈


大直禰子神社 (300x200)
 地下鉄名城線、上前津駅北出口すぐ横に「大直禰子」(おからねこ)神社(写真右)がある。小さな2間ほどの間口で目につきにくく知らなければ見落としてしまう。大須出身の妻に言わせると母親が何かの折につけ、若い時はお友達と会う折、「おからねこで会いましょう」が合言葉であったという。けれど待ち合わせ場所にしてはこの神社は分かりづらい。どうも地下鉄開通の折ここに閉じ込められるように移動させられたようだ。これは残念なことだが、僕はこのおからねこが大須の起爆剤になるのではと思っている。いずれ大須ではねこ祭りをしたいし、ねこ造形コンクールもしたい。それはこのおからねこ神社の存在が、大須における猫の話題の原点になっているのではないかと考えているからだ。

 このおからねこについてはいろんなルーツが語られている。「前津旧事誌」や「堀川端ものがたりの散歩道」には社の三宝の上に狛犬が乗せて安置してあったのでお唐犬と言われ後にお唐猫になったとか、大榎の根の部分が空洞だったので「お空根子」と呼ばれたとか書いてある。又、石橋庵真酔の『作物』には「御空猫という異獣」と記してあったり、『尾張名陽図会』にはお堂の中に本尊がなく三宝の上に狛犬の頭一つが置かれていてそれをおからねこと呼んだとか、また尾張藩士の猿猴庵は「前津の内おから猫にありて・・」とも書いている。

 まあいろいろな説があるがざっくり僕なりにまとめると、江戸時代この大須には猫の話が多く、猫を祭った神社もあった。ところが明治39年の神社合祀の命によって大量の廃社が出た。そこでこの社を信仰する人たちはおからねこが廃社にならぬよう,読み方が同じの大和一宮、大神神社の初代神主である大直禰子が祭られているとして逃げたのではないか。現在この社の前には猫と関係はありませんと記してあるが、あれはここへ猫を捨てに来る者をなくすため書かれたのではないかと僕は考えている。

 さて僕の描いた「妖怪 おからねこ」は、これらすべての要素を入れてまとめてみた。唐猫+空根子がベースになって爪が根の役目もしている。いずれ全国のねこ好きがこの猫神社に気付きお参りに来るのではあるまいか。そして大須の街が猫(化け猫)で盛り上がるだろうとことを考えている。これで大須の街は未来永劫さかえるであろう。


㉖異獣「おからねこ」

異獣おからねこ
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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