『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ㉓㉔

『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ㉓㉔


 これまで尾張徳川藩主の落ち延び街道やその周辺に出没すると言われる妖怪を中心に話を進めてきたが、ここからは大須界隈の妖怪を少し紹介してゆきたいと思う。

 ここ尾張名古屋の中では城から定光寺に伸びる妖怪(落ち延び)街道を除けば、妖怪の出そうな場所と言えばまず大須だろう。織田家の菩提寺である万松寺や大須観音を中心に賑わった門前町で、戦前までは旭遊郭や見世物小屋も乱立していた。遊郭には女郎の怨念が溜まっているだろうし、大須観音の北にある矢場町には化け猫話が住民に語り継がれている事でもわかる。江戸時代には大須より東南へ数百mも行くと街並も途絶え灌木の生い茂った下り坂になり、ここにも妖怪話が絶えなかった。

北斎大だるま絵 (234x300)
 またあの幽霊や妖怪画も多く残している浮世絵師北斎はこの大須を気にいって長いこと滞在しており、かの有名な北斎漫画はここで描き始めたともいう。滞在中大須にある東本願寺西別院で畳120畳に及ぶ巨大なだるま絵を描く見世物を行ったが、このイベントは北斎漫画のプロモーションパフォーマンスであった。
写真右:名古屋大須西別院での大だるま絵パフォーマンス
「名古屋は気候もよく食べ物もおいしく自分にあう」と北斎は言っている。

 大須はコスプレやB級グルメの産地でテレビで等でよく取り上げられている。ところが外国や他県から来る観光客に名古屋で訪れたいところを聞くと名古屋城ぐらいで大須がほとんど出てこない。宣伝が下手なのだ。北斎が大須で大だるま絵を描いてちょうど200年。北斎がもっと大須の宣伝をしろと僕にけしかけているような気がしてきた。そこでここからは大須に関する妖怪を5つ(今回は2つ)紹介したい。



㉓妖怪『大須北斎』
出現場所:大須界隈


 大須には連日たくさんの観光客が訪れているようだが、初めからここを狙ってくる観光客は少ないのではと僕は推測する。確かにこの街は古き日本の庶民臭さやにぎやかな雰囲気があるが、新しいものとの単なるごった煮のような感じがする。特に知られたものもなくこれといった名所やブランド力も低い。アメ横の誘致やB級グルメ、コスプレやメイドカフェ等が目立っているが、今後継続して発展していくための確固たる大きな看板がない。

 そんな中2017年名古屋市博物館で、北斎による巨大だるま絵制作200周年を記念した展覧会が催された。ここでは北斎の版画を用いた漫画から風景画、西洋画等、また手彩色による数々の作品が展示されていた。これを見た僕は、改めて北斎の新しいことへの飽くなき挑戦に感心するとともに、その実験的作品の種類の多さとこの雑多な大須の雰囲気が似ていると思えてきた。
 僕の友人でストリーキングやロック歌舞伎等数々の奇業で知られる芸術家の岩田信市はこの大須にあった質屋の跡取り息子。僕をはじめ数々の芸術家を後援してくれた大須ういろうの山田社長。ミュージシャンになった風呂屋の息子もいる。ガラス工芸家になった服屋の娘もいる。変わった仲間がすごくいるのに、僕にはこれだけのパワフルな街なのになぜかもの足りなさを感じる。

 それは北斎の『神奈川沖浪裏」や『凱風快晴』、『北斎漫画』と言ったような人々を引き付けるブランド性のある目立つものがないからではないか。大須へ来ていつも思わされるのはこの街にはもっと何かある筈だ、探さねばといった不思議な思いだ。北斎展を見た時、僕をイライラさせたのはこの北斎が「なぜこの俺をもっと使わないか」と言った叫びが届いたからではないか。
 
 北斎は東京の現墨田区に生まれているが頻繁に住居を変え、どこが根拠地であるとは言いにくい。ところが名古屋には長く滞在し、北斎漫画を描き始め、巨大なだるま絵を大須西別院の境内で描くと言う一大イベントも行っている。僕を北斎展に導いたのはこの大須に巣くう北斎妖怪かもしれない。
 
 そこで僕が描き始めた妖怪は「大須北斎」だ。この妖怪は口を開けあの世界的に知られたウエーブの海水を吸い込んでいる。北斎を大須のブランドとしてしまおうとしている。このウエーブの柄を大須の柄とすれば大成功をするのではないかと思いついた。外国人などこの包装紙目当てに品物を購入するかもしれない。絵では妖怪『大須北斎』ブランドがヴィトンやシャネルを従え空を飛んでもらうことにした。


㉓妖怪『大須北斎』

妖怪大須北斎


㉔OS☆U「化け猫ギャル」
出現場所:大須界隈

 
 矢場町にはその昔、たくさんの矢場があって多くの客が弓遊びに興じたという。この矢場に関しては化け猫伝説が語り継がれている。明治生まれの親父から大須に来る度に聞かされたものだ。
 白猫を可愛がる美人で評判の矢場のおかみがいた。猫も店で客を迎え矢場は大繁盛した。だが夫のお妾さんにいびられ自殺して亡くなってしまった。白猫は次のおかみになつかなかった。彼女が厠から出ると、死んだネズミを厠の前に置いて、彼女を睨みつけていたという。おかみは丁稚にその白猫を殺して堀川に捨てて来るよう言いつけた。だが暫くするとまた厠の前にネズミの死骸が置かれていることにおかみは気付いた。このネズミを丁稚に捨てるように要求するが彼には見えないと言う。猫がいなくなったためか店の客の入りも減り、その後おかみは気が狂って亡くなってしまったとか。

大須招き猫
 これに限らず大須には猫に関する話題が多い。大きな招き猫があるふれあい広場にはアイドルユニットOS☆U が集結する。
写真右:大須ふれあい広場の巨大な招き猫
街中の喫茶店内には猫神社が造られ連日お参りの人が来るという。猫妖怪が大須を仕切っているのだろうか。

 大須と猫は相性がいいと思うので、ベルギーの猫祭りのように、猫の祭りやイベントを企画したらどうだろうか。例えば猫の絵画コンクールを世界に向けてやってみたらどうだろう。出品料を取っても世界中から猫の写真や油絵、版画等の作品が集まる。猫好きはお金を出しても見てほしいものだ。これは町おこしにもばっちりだ。大須に巣くう化け猫妖怪も満足するのではないか。

 北斎も猫をたくさん描いている。猫プラス北斎で手を組めば世界のイベントとして定着すると思うのだが。OS☆Uはこの際、他との違いを鮮明にするため全員髭を描き猫ギャルスタイルで踊ってみればAKB48の後追いにならずもっと評判が出るのではないか。

 かつて化け猫と言えば灯明の油をなめる化け猫が定番だったが、僕の妖怪絵は現代風の若くてアイドル的な化け猫にしてみた。髪の毛は卒塔婆をもじり、ブラジャーやパンツのフリルにはガイコツを配し、尾はキララの様に2本生やし、目は若さを強調したいからハートにしてみた。手には矢場の化け猫のイメージをなくさないよう弓矢を持たせることにした。あまりの異様さに欧米からやってきたかわいい女の子が驚嘆している所も描き込んでみた。


㉔OS☆U「化け猫ギャル」

化け猫ギャル
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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