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『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ⑱⑲

『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ⑱⑲

⑱胞衣塚式神猫
出現場所:徳川園正門付近


胞衣塚 (300x250)
 徳川園正門(黒門)前から西100m程のところに樹木に覆われたこんもりしたロータリーがある。春には桜が満開になる。これは尾張徳川家2代目藩主光友が生誕した折の胎盤等を埋めた胞衣塚(写真右)である。僕の好きな犬の散歩道でもある。今はマンション群に囲まれているが、戦後の2,30年は北側に焼け跡に急いで建てたらしい小さな建物と手入れのしていない広い庭があり、胞衣塚の雰囲気をより高めていた。我が家でこれまで飼ったどの犬も、このあたりに潜む猫が気になるらしく鎖を放すと追いかけていた。猫はそんな場合、少し高台になっている胞衣塚に逃げ込みその姿を消した。だから猫はこの胞衣塚を守る式神(陽陰師が操る妖怪)のようだと僕は思ったものだ。
 
 この胞衣塚、どうして徳川家別宅の正門前に堂々として存在するのだろう。光友の母は尾張徳川家初代義直が鷹狩りに出かけた折に雨宿りをした農家で見つけた娘だ。子が授かっていなかった義直は、行水最中の父をたらいごと持ち上げた腕力があって健康そうな百姓女なら、きっと元気な子を生むに違いないと思い側女の一人に加えた。予想にたがわず義直にとって初めての子を孕むことになる。

 ここからは僕の親父から聞いた昔からこの近辺に伝わる噂話だ。藩主の跡継ぎを農家の娘のバギナから直接生ませてまずい。そこで腹を立ち割って(帝王切開)産ませることになった。この時代、腹を立ち割ればまず死ぬであろう。いくら農家の娘でも殺したとあっては面目が立たない。

 記録によれば光友の母、於尉の方はその後江戸の尾張藩邸に住み9年後に死んでいる。彼女は生年が分かっていないので何歳だったか分からないが、30歳くらいと推測される。屈強で健康だった農家の娘が、その後一人の子も産まずに若くして死んだことは奇妙だ。そこで名古屋の人々の間には彼女が腹を立ち割られて死に、その死体は胞衣塚に密やかに葬られたというという噂が広まった。江戸に行ったという於尉の方は替え玉だったと。

 噂ではあるが案外真実かもしれない。もし真実なら、どうして胞衣塚を屋敷の正面に造ったかという疑問も解ける。僕の亡き親父が「胞衣塚に幽霊が出る」と言っていたことも納得出来ると思った。僕が描いた妖怪画は、塚を守る式神の猫と妖怪になったでかい不美人の百姓娘とである。

⑱胞衣塚式神猫

胞衣塚式神猫


⑲おしゃべり石垣
出現場所:名古屋城石垣周辺

 8月のお盆の頃の夜、お城の石垣の近くに行くと人々が酔って騒ぐ声が聞こえると言う。名古屋人は石垣の石が喋っていると噂した。これは親父以外からも聞いたことがある。満月に近い日は特によく声が聞こえるそうだ。

 この城の天守台の石垣等主要部分が築かれたのは1610年の8月である。秀吉の子飼いの武将であり、名古屋人の大好きな加藤清正が築き上げているから、石職人もほとんどこの地から集めた人達であろう。この石垣造りからまず築城が始まったわけだ。だがこの石垣造り、凄い難工事でたくさんの職人が亡くなったと言う。清正は職人の意欲を高めるため石に登り自らが立ってふんどし姿で指揮したと言う。時には御酒をふるまい労をねぎらったとも。この時亡くなった人たちが当時を偲び、また清正を慕いお盆にこの世に戻って宴会をしているとしても納得がいくお話だ。

 明治神宮には清正の井戸があってパワースポットとなり覗くと不幸になると言う。そうだろう。名古屋人の怨念があるからね。
 
 石を見ると各藩のしるしが刻まれている。これを刻印(刻紋)という。一説によると他藩に盗まれないためと藩の自己顕示による記入とか。ここでも名古屋のケチで見栄っ張り精神が見受けられる。もちろん他藩の者と混ざらないように区別することが第一目的だが。

清正石 (300x194)
 親父に連れられて戦後始めて城内に入った折、最初に聞かされた言葉が「どうだ、この加藤清正石はでかいだろう」だった。ついでに清正が朝鮮で虎を退治したこと、肥後の城主であった折カッパに襲われた小姓をサルを集めて追いはらった事、眼病のトラホームになった折、加藤清正と書いた紙をおでこに貼れば治った等、嘘のような話を僕に語ってくれた。加藤清正ファンなのだ。石垣がしゃべる話もそんなところから生まれたのではないか。
写真右:名古屋城清正の石とかつては言われてきたが、石垣担当割り振り図面によるとここは黒田長政の担当の場所である。しかし名古屋人は清正にしたいのだ。
 
 僕の妖怪作品にはお堀に住む蛙を登場させた。蛙は石積職人たちの宴会を聞いただろうし、お酒もおこぼれをちゃっかり飲んでいたかもしれない。


⑲おしゃべり石垣

おしゃべり石垣

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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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