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『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ⑯⑰

『山彊創作 名古屋妖怪画集』より ⑯⑰

今まで妖怪街道にまつわる妖怪を紹介してきたが、ここからは妖怪街道の周辺の妖怪を載せていきたい。

⑯太郎メデューサ
出現場所:妖怪銀座北西200m、久国寺釣鐘の音が届く範囲


 尼ケ坂(妖怪銀座)から200m程北西へ行くと名古屋城の鬼門寺として知られる久国寺がある。この寺は岡崎の松平家の菩提寺から菩薩像を一つ譲り受け創建したといわれている。この岡崎の菩提寺で家康は手習いをしていたとのこと。そんな由来もあり久国寺は名古屋城付近の寺としては一番大きく、雲水の数も多かったという。

 この寺では僕にとって忘れられない出来事があった。当時住んでいた酒問屋の家はこの寺からすぐ近くで、よく女中さんに連れられこの寺に散歩に来ていた。1944年12月7日午後1時36分に起こったマグニチュード8.0の「昭和東南海地震」が起きた折もちょうど昼食後の散歩最中だった。突然地面が揺れ灯篭が倒れ、僕は立っていられなくなった。6歳だった僕だがこの時のことは鮮明に覚えている。情景も絵に描けるぐらいだ。この地震ではものすごい数の死者が出たらしいが戦時中で戦意を喪失させないためにニュースにもならなかった。街々が地震被害から復興もしていない中、1年後には米軍のB29の爆撃ですべてが焼失してしまう。この折我が家も焼失した。


久国寺の釣鐘
 このこと以外にここはなぜか僕と因縁がある。僕が25歳で日本人画家14人に選ばれてニューヨーク展が決まった時、ここの住職があの岡本太郎に釣鐘のデザインのお願いをしているのだ。太郎は勿論当時から有名で僕は憧れていた。住職は何故岡本太郎に釣鐘のデザイン依頼をし、太郎は何故その依頼を受けたのか。釣鐘には数十本の角が生え、周りには動物や魚、妖怪など森羅万象の事物が描かれている。
写真右:岡本太郎作、久国寺の釣鐘(この釣鐘、今は10億円の値が付いたという。妖怪もお金が関わる様になったのか)

 太郎は何故ここの釣鐘に角を生やす絵を描いたのか。すべて不思議で僕の妖怪話に繋がって驚く。太郎と妖怪、どこかで繋がっているかもしれない。否、太郎が妖怪その者だったりして。

 角が生えた妖怪鐘楼は叩くと他に類似しない余韻のある音がする。人には分からない妖怪音律なのだろうか。万博の太陽の塔もここの釣鐘も常人離れしたものがある。この釣鐘の角は手であると太郎は言う。そこで僕の妖怪画は太郎の大きな手を中心にまとめてみた。保守的な名古屋ではまず起こりえない妖怪鐘楼の設置だ。やはりここには妖怪の見えざる力が働いている。


⑯太郎メデューサ

太郎メデューサ



⑰壬申の妖怪樹
出現場所:東区主税町


撞木町椋の木
 金城学院高校南100m程のところ、日本料理店太閤のすぐ隣に直径3メートル程の大きな樹木(椋の木)がある。
写真右:太閤日本料理店駐車場内の椋の木
 太閤はこの大木を残したまま駐車場として使っていたが地主がここを売るからどいてくれと言われ困っていると、僕の知り合いでもあった太閤の社長から聞いたことがある。だが大木を処理できず買い手がつかなかった。この木は樹齢千年をはるかに越えて生き残っている。なんでも672年、壬申の乱の頃に生えてきた木で、殺された大友軍兵士の1万人を越える遺体が埋められたその上に生えてきた木だという。
 
 同じような木が周辺にあと2本ある。金城学院前の椋の木と片端の交差点の真中にある椋の木だ。金城学院前の木は爆撃が激しくなる前の5歳の頃、このあたりのお祭りで連れてこられて見たことがある。車道にはみだしている大きな木があり女中さんは「この木は神様の木だから、邪魔だけど切ってはいけない。切ろうとした人が何人も亡くなっている。」と話してくれた。幼い頃の会話なんてほとんど覚えていないのに、なぜこの折の話は鮮明に覚えているのか不思議だ。

 片端の交差点の木も道を拡げようとした戦後や都市高速を通す折、切ろうとしたらしいが決めた役人か誰かが亡くなったという噂が出て、結局怖くて誰も切れず車道内に残されたと言う。さらにこのあたりは第二次大戦で焼き尽くされているのにこれらの樹木はなぜ生き残っているのだろうか。

 水木しげるによると「火葬されないで埋められた遺体は、その霊魂が人に災いを及ぼす」と言う。それを参考に僕の作品では妖怪樹に妖怪獣の顔を描き込んでみた。またこの老木には白蛇が住み付き亡骸を守っていると言われているので白蛇を描き込み、傍らに可愛い子ヘビも描いてみた。実はこれらの交通の邪魔をしている老木、僕は都市の中の潤いスポットとして大好きなのだ。この大木のそばを通り過ぎる時は癒される気がし、殺伐とした街に何とも言えない暖かさを感じる。この子ヘビのようではあるまいか。


⑰壬申の妖怪樹

壬申の妖怪樹
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プロフィール

絵描きの山彊

Author:絵描きの山彊
山田彊一プロフィール
1964「ニューヨーク,日本人アーティスト14人展(最年少で選抜される。脇田和氏らと) 
1967 第6回シェル美術展(佳作賞)
1981 第3回中日美術展(大賞)
1982 第4回エンバ美術賞展(優秀賞)
1983 第5回宇部絵画トリエンナーレ展(優秀賞)
1984 第5回大阪現代版画コンクール展(優秀賞)
1985 第1回和歌山版画ビエンナーレ展(大賞)
1986 第2回IBM絵画コンクール(大賞)
1989 第11回エンバ美術賞展(準大賞)
1995 第1回中国・北京現代展(優秀賞)
1997 第8回大阪トリエンナーレ展(特別賞)
<著書>
『そして地獄・そして芸術』(ギャラリー安里)
『中学が爆発する』(風媒社)
『きしめん紳士が行く』(風媒社)
『ナゴ・ナラ』(アドア出版)
『おもしろ老後生活術』(黎明書房)
『ピカソはやっぱり名古屋人』(アドア出版)
『僕らにできる教育革命』(アドア出版)
『名古屋力 アート編』(ワイズ出版)  
『名古屋力 妖怪篇』(ワイズ出版) 
『妖怪インニューヨーク』(ワイズ出版)等                   

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